第16嘆き 【閲覧注意】ド下ネタ言語学
朝の情報番組の最後のほうに、カリスマ塾講師タレントのあの人(今でしょていう人)がいろんな言葉の由来とか語源についての3三択クイズを出すっていうコーナーがあって、面白くて見るたびに「へぇ~」と思ってるんです。やはり小説を書く人間として言葉の成り立ちって興味がありますよね。
みなさんはち○ぽとち○こってどっちが元か知っていますか?
私は知っています。これはもう明らかにち○ぽです。ち○ぽが原型でち○こが派生形です。なぜ「ぽ」が「こ」に派生していったのかについてはちゃんとした言語学者に論を譲るとして、ここではまず、なぜ男性器、特に棒状のあれの方を示す隠語(もはや正式名称と言った方がいいかもしれない)が「ち○ぽ」であるのかを述べようと考えます。
曹操という中国の偉人をご存じだと思います。三国志や、フィクションである三国志演義、それを元にしたエンタメ作品の中で曹操は残虐な悪役として描かれることが多いわけですが、その実像は極めて合理的で優れた為政者であったとも言われ、私もそう考えます。
その論理的思考が端的に表れている一例に、曹操の遺言の中の一文「無蔵
当時の中国、あるいは世界中の文化において、貴人が亡くなった時にはその墓陵にたくさんの副葬品を収めることが一般的であったらしいのですが、魏王朝の太祖とまで言われた曹操はそれを無駄と考え、金玉珍宝を自分の墓に入れることを生前あらかじめ禁じたのです。
「無蔵金玉珍宝」の「無蔵」は「蔵す無かれ」、つまり「収納するな」という意味で、「金玉珍宝」は金銀などの貴金属や宝石、および珍しい宝という意味です。
「私のお墓の中に男性器を入れないでください」という意味ではありません。
この「金玉珍宝」という言葉がいつ日本に伝わって来たのかはわかりません。曹操が亡くなったのは西暦220年で、聖徳太子よりも3世紀も年代が早い人物ですから、金玉珍宝の語彙は日本で漢字が使われるようになった頃に一緒にやって来たと考えるのが妥当でしょう。
その、貴重な宝という意味の言葉がいつごろ男性器を表す隠語になっていったかという点についても私は知りません(なんか調べるのが面倒なのです)。
ですが想像するに、日本の古来の文化的価値観において男性器(時に女性器も)を神格化し、生命力の象徴として有り難がり、実用性以上の価値を見出すことは珍しいことではなく、現在でも各地の神道の祭りや道祖神信仰などにおいてその影響が残っています。
世界的にもある宗教観で、インドヒンドゥー教のシヴァリンガ(映画『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』に出てきたサンカラストーンのモデル)なども似通った宗教観から崇拝されています。
ここで前提として確認しておきたいのは、「金玉珍宝」、もしくは「金玉」「珍宝」という言葉は現在中国文化において男性器を意味する言葉ではないらしいということです。おそらくですが、歴史的にも中国人が金玉と聞いてタマタマのことを連想することは無かったのでしょう。
つまり金玉・珍宝イコール男性器という発想は日本独自の物です。(中国語のスラングにおいては睾丸の事を卵子というらしいです。紛らわしいですね)
日本の歴史のある時期において、上記の生殖器信仰的な価値観と、価値あるものを意味する「金玉珍宝」という四字熟語があいまって、「俺様のありがたい金玉珍宝をその目に焼き付けろ」等のことを言った者が居て、その言い回しが洒落ている、教養的であるという一種のブームが発生し、結果として現在において珍宝がち○ぽとして男性器の一部を示す語になったと考えられます。
とここまでは。少しネットを調べたり辞書を引けばわかる事です。わざわざ私がこんな恥ずかしい文章を書いて主張する意味はありません。
私が独自の考えとして主張したいのは、なぜ日本語において「金玉」が睾丸、「珍宝」が棒状のあれの方を意味するようになったのかであり、それがこの文章の本題なのです。
金玉がタマタマを意味するのは当たり前、残った珍宝がち○ぽになるのも必然だろうが。と、みなさんは言うかもしれません。
ですが考えてほしいのです。「玉座」とか「玉璽」という言葉からわかるように、「玉」とはそもそも球状の物体を表す語ではありません。
ネット翻訳で「玉」と入力すれば「ヒスイ」や「ジェイド」と返ってきますから、中国語において玉とは翡翠のことであり、鉱物の名前なのです。また中国語でボール状のものを示す漢字は「球」であって、玉ではありません。
日本人が漢字を元に古代日本語を再構築したであろう時代にあっても、玉が球状物体を表さなかっただろうことは「まが玉」という言葉からも読み取れます。
まが玉がどういうものか知らない人はググってほしいんですが、つまり「まが玉」とは「曲がった玉(翡翠)」のことであり、その形はどうみても球状とは言えません。
言語感覚として、睾丸と棒状のあれを二つに分けて考え、「金玉・珍宝」のどちらかを、どちらかに当てはめるのは誰でも共感できることでしょう。
しかし、玉という言葉がそもそも球状物体を示すわけではなく、また睾丸の色や硬さ(手触り)が貴金属とは似ていも似つかないことから言っても、「金玉」が睾丸(ないし陰嚢)を表すようになったことに必然性は見出せません。
逆に「珍宝」が睾丸、「金玉」が棒状のあれでもよかったわけです。
ですが、そういう用例は多様で豊かな日本語文化の中にさえ見つかっていません。(私が探していないだけとも言えます。面倒なので)
以前、この問題について何故なのだろうと考えたことがあります。2分くらい考えたんだと思いますが、私は一つの結論に達しました。
「価値のある宝」をイメージした時、現代日本人の多くが貴金属、もしくは貴金属で出来たコインや宝石の事を想像するでしょう。カリブの海賊の秘密の地図で見つかる宝箱の中身は? と言って紙と色鉛筆を渡せば、誰でもそういうものを描くはずです。つまり、金玉珍宝でいうところの金玉です。
他方、それ以外のお宝と言えば何があるのか。お宝の中で、貴金属でも宝石でもないものと言えばみなさんは何をイメージするでしょうか。
陶磁器をイメージする人も居るかもしれませんが、そういった物が実用品以上の価値を持ったのは織田信長の「茶の湯御政道」に代表されるような近世あたりからの価値観であり、日本古来の感覚とは言い難いものがあります。
昔話の中に出てくる絹の反物。「鶴の恩返し」や「わらしべ長者」で出てきましたが、美しい布というのは古来価値の高い宝でした。和服に詳しければ分かるはずですが、現代でもそうです。
もしくは書画。絵や文字を巧みに書く、達人の残した芸術もまた宝と言えます。現代でも雪舟の描いた水墨画なら何千万円の値がついてもおかしくないですし、そういうものを財物とする価値観は古代・中世からあったと思われます。
これで分かったと思います。
素材そのものに価値がある「鉱物質のお宝」ではなく、布や書画、人間の手によって作りだされた宝は棒状なのです。
絹の反物も書画の巻物もどちらも棒状です。あるいは神秘的なまでの切れ味を秘めた刀剣類もまた、素材としてはただの鉄ですが財宝と言っていいでしょう。
「金」でも「玉」でもないが、価値のある珍しい宝。そのイメージは常に「棒状物体」として日本人の脳内に存在したわけです。
これによって、「金玉」「珍宝」のどちらを棒に当てはめるかは決定したのです。
「珍宝」が棒状であったから、残った「金玉」が睾丸を意味することになったのです。
さらに言うならば、もともと翡翠を意味した「玉」が日本でボール状物体を示すようになった経緯もこれで説明がつきます。
睾丸イコール球状(真球ではなく楕円球状ですが)。「金玉」「珍宝」の珍宝がち○ぽなので、残った金玉イコール睾丸。よって球状イコール金玉であり、球状のものは玉と言ってもいい。
そういう思考の推移により、本来中国語ではボールの意味を持たない「玉」が、日本語では「ボール状」と捉えられるようになったのです。ち○ぽがなければ飴玉は「飴球」とか「飴丸」と呼ばれていたことでしょう。
下品な下ネタのように聞こえたかもしれませんが、この「『金玉珍宝』の男性器化におけるち○ぽ先行論から見える日本語の『玉』の意味の変遷」という仮説は、日本語学において重要な意味を持ち得ると思うのです。
親兄弟にも見せられない文章ですが学術論なので、この記事を読んだ人は運営に通報したりしないでほしいのです。よろしくお願いします。
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