第46話
「樹がどうしてあの文集を隠してたのか、先生は知っているんですか」
確信を持ったわけではない。ただ、樹が文集の作文に書いた「親切な先生」は秦野のことだった。樹が抱えていた何かを秦野は知っているんじゃないか。
恵奈が続けた。
「樹がなぜ、文集をあんなところに隠したのか、その理由はわからない。でも、大雅は知ってると思う。それで、大雅を消した人消しゴムを手にした者の名前聞き出そうと思ってここに」
「大雅は人消しゴムで消されたんだ! こいつが人消しゴムを使ったってわかったんだ!」
颯真は悠人に向けて叫んだ。
「うるせえ!」
悠人も言い返す。
「樹を消したおまえに言われる覚えはねえよ!」
「僕は、樹の名前を書いて人消しゴムで消したと認める。それは認めるよ。でも、よみがえりの鉛筆を使っても、樹は戻って来ない。樹は別の理由でいなくなったのかもしれないんだ! なあ、悠人」
颯真は悠人の腕を掴んだ。
「大雅の名前を書いてくれよ。大雅は樹が消えた理由がわかったはずなんだ」
「しつこいな、おまえも」
渋々ながら、悠人が鉛筆を手にする。悠人の表情からは、よみがえりの鉛筆の力を信じてないのがわかる。
「さあ、書けよ!」
悠人はふんと鼻を鳴らしたあと、大雅の名前を書いた。ヤケクソみたいな走り書きだったが、たしかに書いた。
これで、大雅は戻ってきただろうか?
今まで人消しゴムで消された者は、消えた場所によみがえる。それなら、大雅は今、あの廃工場によみがえったはずだ。
颯真はスマホを取り出し、大雅に電話をかけた。
発信音を聞く颯真を、翔太郎や恵奈、そして奈都乃が固唾を飲んで見守る。
「あ、大雅か?」
颯真が叫んだ。
――颯真? あれ、どうして、俺ここに。
大雅の声はくぐもっていたものの、はっきりと聞こえた。
――どうなってんの? なんで、夜?
「よかった、よかったよ」
颯真は樹の家に来てくれと伝えた。樹について大雅が知っていることが、樹を戻す手がかりになる。
「マジかよ、ほんとに戻ってきたのかよ」
喜ぶ颯真の横で、悠人が目を丸くしている。
電話を切った颯真は、悠人の手からよみがえりの鉛筆を奪い取った。そして悠人に言い放つ。
「ここを出るんだ」
「は?」
悠人が颯真を見返す。
「何言ってんの、おまえ」
「出るんだよ、ここはいちゃいけない場所なんだ」
そう。この店は存在しない店。この世に生きている者は、来てはならない場所なのだ。
だが、悠人を掴んだ颯真の手が大きく振り払われた。
「うるせえ!」
そしておじいさんに向かっていく。
「俺は人消しゴムが欲しいんだよ! 消したいやつがまだたくさんいるんだ」
おじいさんは怯えるでもなく、ただぼんやりと悠人の顔を見つめている。
「なんか言えよ! じじい! まだあるんだろ? あれと同じ消しゴムは」
くくく。
ふいに響いた笑い声に、悠人が棒立ちになった。
「な、なんだよ、じじい」
くくくくく。
おじいさんの笑い声は止まらない。
「おい、探すぞ」
悠人が健に怒鳴った。
「何うろたえてんだよ! この店のどっかに人消しゴムはあるんだ。じいさんがくれないなら探し出すしかねえだろ!」
くく、くくくく。
悠人が踵を返そうとしたとき、それは始まった。
おじいさんの顔が崩れ始めたのだ。
個体が沸点を迎えて溶け出すように、おじいさんの顔が形を変えていく。
「ううわわああああ」
悠人が叫び、健が、
「ぎゃああっ」
とその場にへたり込んだ。
「こ、これは一体……」
秦野が呆然と呟く。
「いやあああぁあ」
奈都乃の叫び声が響いた。その奈都乃を恵奈が抱き寄せる。
悠人は身動きができない。
「なんなんだ、この化け者は――」
秦野も悠人たちも知らないのだ。おじいさんはこの世の者でない。
おじいさんは溶け続けた。肩が崩れ、胴がぐにゃりと曲がる。眼鏡が曲がって床に落ち、カーディガンは雫を垂らしながら形を変えていく。
これがほんとうの姿。
颯真は震えながら、おじいさんを見つめた。どこか冥い世界にいるおじいさんの、これがほんとうの姿。
「あわあああ」
健が弾けるように立ち上がると、店の出入り口に体を向けた。我に返ったように、悠人も健の後を追おうとする。
ふいにおじいさんの歪んだ体の先が伸びて、前を行く健の体をその体を掴んだ。
「ぎゃああああああああ」
断末魔のような叫び声を上げた健が、おじいさんに絡め取られる。
もう、それは、人の仕業ではなかった。何か、いいようのない恐ろしい闇が、不気味な形となって健に絡みついていく。
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