第40話

「これが、なんだっていうの?」

「これ、川沿いの廃工場で見つけたんです」

「廃工場?」

「はい。その中に、捨てられたままの机があって、その抽斗に入ってました」

「どうしてそんなところに?」

 恵奈が首を振った。

「わかりません。でも、考えられるのは、樹くんが隠したんじゃないかと」


「隠した?」

 母親が目を剥いた。


「どうして隠す必要があるの?」

「それを知りたいんです。この文集を隠したことが、樹くんの失踪と関係があるかもしれないと思って……。大雅が――樹くんの友達なんですけど、樹がいなくなった理由がわかったと言って、この文集を探していたみたいなんです。何か、この中に、樹くんが隠したいことが書かれてあるはずなんです」

 母親の顔が曇る。


「わからないわ。大体、あの子の行動はわからないことだらけで……。何を訊いても、わたしには何もしゃべってくれないから」

 そして母親は、両手で顔を覆った。

「あの子、悪い友達とも付き合っているんでしょう?」

 母親はそう言って、颯真と翔太郎に目を向けた。

「ほかの中学のワルとつるんでるって、よそのおかあさんが教えてくれたから……」

 新光中学の生徒たちのことだ。


「つるんで何をしているのか、いくら訊いても答えてくれなくて。学校での様子ももちろん何も話しません」


 この人はほんとうに何も知らないのだ。


 颯真は思った。


 樹が学校で手下を引き連れていじめをしていたことを、この母親は知らない。


 母親が、重いため息をついた。

「父親がいれば、いい助言もできたんでしょうけれど」

「樹くん、おとうさんがいないんですか」

 颯真の問いに、母親が頷いた。

「あの子が小学校の六年生のとき亡くなったんですよ。今、思えば、あの子が変わったのはその頃だったような気がする……。父親は教師だったんですよ。真面目な優しい人で、樹も父親が死んだことはとてもショックだったと思います」


「いなくなった日ですけど」

 恵奈が声を上げた。

「おかあさんは、どこにいたんですか」

「いつものように仕事に行ってました。仕事先から帰るのは、毎日七時を過ぎます。あの日も七時ちょっと過ぎに帰ってきて」

「樹はいなかったんですね」

 翔太郎が訊く。


「いないのはいつものことで、気にしていませんでした。でも、九時を過ぎて、おかしいなと思い、学校に電話をかけたんですよ。学校には当然いなかったし、学校に残っていた先生も何も知らなかった。それからクラスのみなさんのお宅へ連絡網を回してもらい、結局警察へ通報することになって……」

 嗚咽まじりになった。

 心臓が締め付けられるような後悔を、颯真は覚えた。

 樹が人消しゴムで消されたとであれば、それは自分の責任だ。消しゴムを使った当初は、人の存在を消してしまう、その痛みにまだ気づいていなかった。

 だが、今、痛みや悲しみが颯真にはわかる。


「どこに行っているのか、心当たりは」

 颯真の問いに、母親は虚ろな目を向けた。

「まったくわかりません。警察にも何も言えなくて。担任に訊いたって、くわしいことは何も教えてくれないし」

「担任といえば」

 颯真は文集を手に取った。

「今の僕らの担任の秦野先生ですけど、中学校に入る前から樹くんとは面識があったみたいですね」


「どういうこと?」

 母親は訝しげな目になった。

「ほら、ここに、秦野先生って出てくるでしょう? 樹くんのおとうさんと同じ中学校にいたって書いてある」

 母親は急に前のめりになって、文集を読み始めた。読み終えると、魂を抜かれたかのように肩を落とす。と思うと、颯真たちから顔を背け、言い放った。


「もう帰ってもらっていいかしら」


 

 樹の母親と気まずい別れ方をしてマンションを出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 結局、母親を訪ねても新しい事実は掴めなかった。大雅がなぜ、樹の古い文集を見つけようとしていたのかもわからない。

 どの顔にも、徒労感が漂っている。


「なんか、おかあさん、かわいそうだったね」

 奈都乃がぽつりと呟いた。

「ほんと。泣きそうになっちゃった」

 奈都乃が応える。


 もし、自分がいなくなったら。 


 颯真は母親の顔を思い浮かべた。

 きっと半狂乱になってしまうだろうと思う。樹の母親は、疲れている様子だったし、けだるい雰囲気で、こちらの質問にもあまり答えたくなさそうだったが、自分の母親だったら、もっと違う反応をしたんじゃないかと思う。もしかしたら、自分自身で捜索を始めたかもしれない。

 

 重くなったみんなの気持ちを弾き飛ばすように、翔太郎が声を上げた。


「樹のおかあさんの話を聞いてたらさ、なんか、俺、樹は案外どっかで元気にしてる気がしてきたよ」

「案外、プチ家出だったりして」

「だよな」

 奈都乃の応えに、颯真も同意した。そうだったらどれほどいいか。と、恵奈が叫んだ。


「そんなわけないよ!」


 みんなの視線が恵奈に集まった。


「樹って、あたしたちが思ってるより、なんかあったのかも」

「なんかって?」

 颯真は恵奈を振り返った。


「秘密っていうか、よくわかんないけど、そういうもの」

「かもな。おかあさんに友達の名前も知らせてないって普通じゃないよな」

「学校でのこと、話さないようにしてたんだよ、きっと」

「気持ちはわかる。あたしだって、保健室にばっか行ってるって、親はあんまり知らないし。けど、樹の場合、ちょっと極端っていうか。だって、友達の名前まで知らせてないなんて異常だよ」

 奈都乃が頷きながら言う。


「だからって、許せねえよ」

 前を歩いていた翔太郎がみんなを振り返った。


「樹は嫌なやつだった。それは事実だ。もう、どうでもいいよ。樹なんか見つからなくたっていい」

「何いってんのよ! 樹はクラスメイトなんだよ! 友達が永遠に戻って来なくてもいいわけ?」

 突然の恵奈の怒りに、驚いたのは翔太郎だけじゃなかった。恵奈の目には、涙が膨らんでいる。


「優しい、恵奈って」

 奈都乃が恵奈の肩を抱いた。

「だいじょうぶ、見つかるよ。ていうか、見つけようよ」

 ただ優しいだけだろうか。そもそも恵奈は、クラスのみんなに優しくするようなやつだっただろうか。

 

 頷く恵奈を見つめながら、颯真はふと疑問を感じがした。

 なぜ、恵奈はこんなに樹探しに懸命になるんだろう。

 翔太郎が思いつめた目で恵奈を見ていた。さびしげな目だった。

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