第38話

 恵奈が指先で、抽斗の中の物をつまみ上げた。


「ノート?」

 奈都乃が訊いた。

「ノートとは違うみたい」

 そしてぱらぱらと中身を見る。

 颯真は翔太郎とともに、机の前に近づいていった。


「文集?」

 奈都乃が目を丸くした。

 それは確かに、文集だった。小学生の頃、書かされた作文を集めて、こんなふうに先生がまとめてくれた記憶がある。大きさはA4だった。厚さは二センチほど。手垢にまみれてはいるが、埃をかぶっているわけじゃない。


「やっぱ、文集だ。六年二組だって」

 そして恵奈は、文集の中に、樹の名前を見つけた。

「樹のものだよ、これ」

 だから埃まみれではないのだ。

「なんで、こんなところに樹の小学校時代の文集があるんだよ」

 翔太郎が文集を覗き込む。

「隠してたのかな、ここに」

 奈都乃はそう言って、抽斗を大きく開けた。中は空だった。樹の文集だけが入れられていたようだ。


「わかんねえな、ここにある意味が」

 奈都乃の言うように、樹は隠してたんだ。


 だけど、なんで?


 颯真は恵奈の手から、文集を奪い取った。

 樹の作文が書かれた頁を開ける。

「新しい小学校で――」

 颯真が読み上げると、翔太郎が舌打ちをした。

「なんだよ、樹のやつ、自分も転校生だったのかよ」

 翔太郎に疎外感を植え付けようとしていた樹。転校生の翔太郎に、殊更からんでいた樹。


 先を読み進めてみた。

 これといって、特別不穏な事柄は書かれていなかった。

 樹が書いているのは、社会科の授業の一環で訪れた施設の感想のことだけ。授業では、生徒の行きたい場所に行き、その場所の説明と自分との関連を書くというのが課題だったようで、転校が決まっていた樹は、転校先の、いずれ自分が通うであろう中学校の見学をしたようだった。

 

 学校の案内をしてくれた先生とのエピソードが書かれている。社会科の教師が親切にしてくれたようだ。

 颯真は文集を読み上げた。

――僕が行ったのは、僕が通うことになる中学校です。僕は今の学校のみんなと同じ中学校には行けません。小学校を卒業する春休みに引越しをするからです。

 みんなと別れるのはさびしいけれど、新しい友達ができるのも楽しみです。

 見学した中学校は、校舎も新しくグラウンドも広くてよかったです。いろんな教室も見学しました。小学校と違って、理科室には模型がたくさんあったし、美術室には彫像がいくつも並んでいてびっくりしました――。


 ここまで読んだところで、翔太郎が焦れったそうに言った。

「なんてことない内容じゃん」

 颯真は続きを読み上げた。

――学校を案内してくれたのは、秦野という先生です。優しい先生でした。

 僕が会うのは初めてでしたが、秦野先生は僕のおとうさんと知り合いです。以前、秦野先生は、僕のおとうさんと同じ中学校で働いていたからです。

 秦野先生は、学校を案内してくれたあとも、僕とたくさん話をしてくれました。中学生になったら、どんな部活に入りたいのか、勉強でがんばりたいのはどの教科かなど相談することができました。相談したいことはたくさんあって、放課後も校庭で秦野先生を待ちました――。


「なんか、変なの」

 恵奈が口を挟んだ。

「放課後まで待つ? 普通」

 たしかにちょっと奇妙だった。いくら相談したいことがあるからといって、見学に行った先の中学校で、案内してくれただけの教師を待つだろうか。


――先生は夕方になって、ようやく校庭に来てくれました。僕が残っているのを見てびっくりしていましたが、ご飯を食べに連れていってくれました。いっしょに食べた牛丼はおいしかったです――。

 作文はここで終わっていた。


 文章は特にうまくも下手でもなかったが、現在の樹を知る者からすると、意外なほど、素直で真面目な感じが伝わってきた。中学になって、樹は変わったのかもしれない。


「樹を案内したのって、秦野なんだな」

 翔太郎が言った。秦野だったらさぞ熱心に案内しただろうと思う。樹が感激して作文に残したのも頷ける。


「なんで、これをわざわざ隠さなきゃならなかったのかな」

 奈都乃が首を傾げた。

「ほんと。特別な意味があるようには思えないしね」

 恵奈も言う。

「だけど」

 颯真は文集を閉じた。

「大雅はこの文集を探しにここへ来たんだと思う」

「で、見つける前に消えちゃったのか」

 翔太郎と顔を見合わせた。


「樹の家に行ってみようぜ」

 颯真が思っていると同じことを、翔太郎が口にした。

「行ってどうするの?」

 歩き出した颯真に、奈都乃が訊いた。

「樹の家の人に、樹のあの日の行動を訊きたかったんだ。でも、きっかけがなかったから。でも、この文集を拾ったっていえば話を訊く糸口になる」

「そうね」

 恵奈も歩き出した。


「あたしも樹の家に行ってみたい」

 そして恵奈は、ぽつりと、

「樹のこと、もっと知りたくなった」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る