第25話
「あの、すみません」
半分ヤケクソだったから、颯真の声は大きかった。
なあにという言うように、おばあさんはこちらを振り返った。犬がキャンキャンと吠えたてる。
「ちょっと聞いてもいいですか」
颯真が続けると、おばあさんは立ち止まって三人を見た。
三人は一斉に立ち上がって、おばあさんの前へ立った。
「このちょっと先の通り沿いに、廃屋があるのをご存知ですか」
うんともいいえとも取れる曖昧な表情が返ってきた。
「昔、文具店だったらしい廃屋です」
期待できそうにないな。
おばあさんの表情を見ながら、颯真は思った。昔のことを話してくれる老人というのは、このおばあさんとはちょっとイメージが違う。ジブリ映画に出てくるようなおばあさんなら、いろんなことを憶えていそうだけれど。
ところがおばあさんは、すんなりと、
「菱屋文具店のこと?」
と、返してきた。
「そうです。菱屋文具店」
思わず声が上ずってしまう。
「憶えてるんですか?」
恵奈が弾んだ声を上げた。
「憶えてるわよ。小さな文具店だったけど、この辺りの子どもたちは、みんなノートや鉛筆をあそこで買ったもんだったから」
ヨシッと、思わず三人でハイタッチをする。颯真はおばあさんい向き直った。
「その文具店に、おじいさんがいたのを憶えていますか。僕ら、そのおじいさんのことを知りたくて」
「おじいさん……。菱屋のノボさんのことかしらね」
「ノボさん?」
「菱屋のご主人はそう呼ばれてたから。本名は昇かなんかのはずだけど」
おばあさんは、キュッと犬のリードを寄せてから、訝しげな表情になった。
「あんたたち、どうしてそんなことを知りたいの?」
しまった。理由を考えてなかったと颯真は焦った。まさか、自分はその菱屋文具店に行き、そこで人消しゴムをもらったなんて言えやしない。
「が、学校の授業なんです。この界隈の歴史を調べるっていう……」
おばあさんは表情を変えないまま、三人を見回す。
納得しているようには見えないが、押し切るしかない。
「だから、教えてください。菱屋文具店のことを」
すると、おばあさんは、ちらりと廃屋を一瞥してから、声をひそめた。
「不幸があった家なのよ」
「不幸?」
颯真は意表をつかれた。
「不幸があったって、どういうことですか」
「この通りで、菱屋さんの孫が交通事故に遭ったのよ」
「交通事故?」
「そう。轢き逃げ。孫は即死でね。まだ小さかったのよ。ノボさんはすごくかわいがっていたから、そりゃあもう嘆いて。当時、ここはダンプの行き来が激しくてね、危ない通りだったのよ。国道に抜ける近道だったから」
おばあさんは遠くを見るように、目を細めた。
「犯人は捕まらなくてね。ノボさんは、絶対犯人を見つけるんだって、警察に何度も話を聞きに行ったり、警察があてにならないとなると、事故を目撃した人を探すために自分でビラを作って配ったり」
薄暗い店の中で見たおじいさんの様子が思い返された。そういえば、どこか、悲しげだった気がする。
「ノボさんは優しい店主だったのよ。買い物に行くとね、子どもたちにおまけをくれるの。ちっちゃいガムとか飴とかね。あそこは子どもたちの溜まり場だった」
「菱屋さんはいつ店を閉めたんですか」
恵奈が訊いた。
「そうねえ、お孫さんが亡くなってすぐだと思うわね。わたしが中学に行ってた頃にはやめてたから。ノボさんが、店のことそっちのけで犯人探しを始めちゃったでしょう? 商売どころじゃなくなったのね。それに、その後も不幸が続いて」
息を詰めて、続気を聞く。
「菱屋文具店は、家族四人だったのよ。おじいさんと息子夫婦と孫。だけど、お孫さんが事故に遭った翌年に、お嫁さんが病気で亡くなって。わたしは子どもだったから詳しい病名まではしらないけど。それから、息子さんもなんだか気がおかしくなっちゃったみたいで、病院に入れられたとか」
「――そんな。おじいさんはどうなったんですか」
「しばらくあそこで一人暮らしをしてたみたいね。文具店の二階があの家族の住まいだったんだけど、店を閉めたあともしばらくは明かりが点いてたから。でもねえ、二十年ぐらい前にこの辺りが新しい住宅街として開発されて、そのとき家を出てどこかの施設に入ったんじゃなかったかしら」
そう言ってから、おばあさんは、あっと目を見開いた。
「違う、違ったわ。開発がある前に、ノボさんは亡くなってたのよ。それで、文具店だけが古い家のまま取り残されたのよ。だって、病院にいる息子さんは、家をどうするなんて判断ができないとかで」
とうとう犬が痺れを切らして、ぐいぐいとリードを引っ張り出した。
わかった、わかったからと言いながら、おばあさんが歩き出す。
「ありがとうございました」
颯真に続いて、恵奈と翔太郎も頭を下げる。
「余計なこと、しゃべったんじゃないといいけど。もう、誰も知らないことよ。この辺りは人が入れ替わっちゃったから」
そしておばあさんは、ふと三人を振り返ると、肩をすくめた。
「早く取り壊してもらいたいわよね。だって、あそこ、怖い噂が立ってるから」
「怖い噂?」
「そうよお。幽霊が出るって」
そしておばあさんは、犬に引っ張られて去っていった。
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