第23話

 冊子から写し取った菱屋文具店の住所を地図アプリに落とし込み、目的地へと向かった。

 学校から西へと幹線道路を進む。


「あー、こっちのほうなんだ」

 歩きながら恵奈が言う。

「あんまり来たことないな」

 翔太郎も初めての道らしい。

 いつのまにか、さっきまで明るかった空は葡萄色に染まり始めている。

 冊子に書かれた文具店の住所は、六丁目二の三。スマホのアプリは道筋を示してくれている。

 

 橋が見えてきた。記憶をたどってみる。

 あの夜と同じ橋のような気もするが、そうでない気もする。あの夜、辺りは暗かったから、どんな川だったのかはわからない。今は橋の欄干から下を覗くと、案外きれいな水であるのがわかる。

「こっちでいい?」

 橋を渡ると、道が二手に分かれていた。

 どうかな。返事をしようとすると、恵奈が、

「こっち」

と、右に進んだ。アプリに従えばそうなる。

 

 静かな住宅街になった。同じような家並みが続き、おだやかな夕暮れに辺りは包まれている。

 更に進んだ。まわりはごく普通の住宅ばかりだ。どこといって不審な点はなく、奇妙な感じもしない。

 と、恵奈が立ち止まった。

「あ、れ。おかしいな、圏外になっちゃった」

「なんだよ、電池切れ?」

 翔太郎が恵奈を振り返る。

「違う、充電はしてある。ただ、圏外になっちゃったんだよ」

 

 ふいに、あの夜の記憶が蘇った。

 そうだ、あのとき。

 あのときも圏外になったのだ。


「な、水たまりは?」

 恵奈と翔太郎が、訝しげな目を向けてきた。

「何言ってんの」

「晴れてるじゃん」

「水たまりがあったんだよ。楕円形の大きな」

 三人で辺りを見回す。だが、水たまりなどどこにもない。


「干上がったんじゃねえの?」

 翔太郎が歩き出した。

 そうかもしれない。でも、あの夜だって、雨の後ではなかったはず。

 記憶をたどっていると、恵奈が叫んだ。

「あ、あそこ!」

 恵奈が叫んで前方を指さした。

 家と家の間に、そこだけ闇が降りたような一角が見えた。いや、そこだけ黒い穴のような一角だ。

 知らず知らず走り出していた。恵奈と翔太郎も続く。

 三人で、闇の一角の前で立ち止まった。


「――ここ?」

 恵奈がかすれた声を上げた。

「まさか、違うだろ」

 翔太郎は不安げに呟く。

 建物はあった。たしかに存在する。だが、人の住んでいる気配はない。まして、文具店を営業している体裁ではない。

 建物は真っ暗で、両側の家からの光で、どうにか全体像が見渡せる。入口のあたりには腰の辺りまで伸びた雑草がはびこっている。その向こうの引き戸らしき場所には、壊れた板戸が見える。

 二階部分も、暗くて判然としないが、ずいぶん朽ちているようだ。窓のあるあたりにも、伸びた雑草がこんもりとした陰を作っている。


「ここだとしたら――おかしいよね?」

 恵奈が問いに、颯真は頷くしかない。だけど、納得はできない。

「番地違いなのかもよ」

 翔太郎が明るく返す。

 恵奈が首を振った。

「住所はここだよ。だって、ほら」

 恵奈が顎をしゃくって示したのは、隣の家との間に建つ電柱だった。電柱にはプレートが貼られ、そこには六丁目二の三とある。

「どうする?」

 翔太郎が颯真と恵奈を交互に見た。

「中には――入れないよ」

 翔太郎の言うとおりだった。この中に入る勇気なんてない。そもそも、中などあるのか。


 ぞっと、背中に寒気を感じた。

 これが現実なら、あの夜、見たものはなんだったのか。

 知らず知らず、颯真は腰に手を当てていた。あのとき、ロープを外してもらった。 

 この腰に、おじいさんは手をかけ、颯真を救ってくれたのだ。


「隣の人に聞いてみようよ」

 熱を帯びた恵奈の声が響いた。

 恵奈に惹かれてしまうのは、魅力的な外見のせいだけじゃない。どんなときもあきらめないパワフルさがあるからだ。

 颯真は翔太郎の腕を引っ張った。


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