第22話

 がらんとした教室。

 

 いつもはざわめきで満ちている教室が、しんと静まりかえっている。

 

 翌日、颯真たち三人は、登校すると、いつもの教室に入ったが、そのあとは隣の一組に行くことになった。残った三人だけで授業を受けるわけにはいかないからだ。

 三人が同じ一組に編成されたのが、せめてもの救いだ。


「なんでおまえら三人だけが残ったの?」

 そんな心無い言葉をかけてくるやつもいたからだ。

 翌日も、颯真は翔太郎と恵奈とともに、放課後を使って文具店探しに出かけた。

 だが、文具店は見つからない。

 教室移動や休み時間のふとした瞬間、すれ違いざまに、恵奈は、

「あきらめてないから」

と、呟いた。

 頷き返すが、だからどう具体的な行動を取ればいいのか、颯真にはわからなかった。ただ、わかってきたのは、恵奈の茶がかった大きな目が、とても魅力的だということ。すれ違いざまに、かすかに柑橘系のシャンプーの匂いがして、その途端、心臓がバクバクし始めること。

 

 翔太郎も同じ気持ちのようだ。いや、もっとはっきりしていて、もっと激しいかもしれない。

 学校のどこにいても、翔太郎の視線は恵奈を追っている。だが、それがわかるのは、自分も恵奈の姿を追っているからだ。

 そんなに恵奈が気になるなら、ラインをすればいい。コンビニでパンを食べたとき、三人でグループラインを作ったのだ。人消しゴムに関する情報を交換し合うのが目的だった。

 だが、いざ、何か言葉を打ち込もうとすると、手が止まってしまう。人消しゴムと関係のないことを書き込んだら、

「それどころじゃないでしょ!」

と怒られそうだったし、眠れない夜に、

――どうしてる?

 なんて書いて送ったら、何、この人と思われそうで怖かった。翔太郎も同じだと思う。その証拠に、翔太郎からの書き込みもない。


 だから、恵奈からのラインが入ったとき、気分はちょっとしたお祭り騒ぎになってしまった。翔太郎と顔を見合わせ、思わず二人してにんまりしてしまった。

 太った猫がハローと手を挙げているスタンプのあとに、恵奈の要件が書いてあったのは、

――あのことで話がしたいから、放課後、教室に残って。

だった。

 あのこととは、もちろん、人消しゴムのことだ。


 放課後が待ち遠しかった。午後の授業はほとんど手につかなかった。自然と口元が緩んでしまい、

「なんか、キモい」

と、プリントを回すために後ろを振り返った女子に顔をしかめられた。

 

 やたら長く感じられる六時間目がようやく終わり、教室に生徒たちがいなくなったとき、恵奈はやって来た。

「あのね、わかったかもしれない。文具店の場所、絞れたかもしれない」

「マジ?」

 恵奈はリュックサックの中から、古びた冊子を取り出した。厚さ二センチほどの冊子だ。表紙には、町内史とある。裏表紙に、「謹呈・昭和四十七年」と達筆で書かれてある。


「昭和四十七年って、何年前だよ」

 スマホのネットで西暦を検索してみた。すぐに、一九七二年と出てきた。

「ひえ、五十一年前」

 平安時代と同じくらい、想像がつかない。

「図書館でね、借りてきたんだけどね、これに文具店が載ってたの」

 恵奈は冊子を開いて、文具店の欄を両手で抑えた。どうやら商売の種類ごとに分けられているようだ。

「ほら、ここ見て」

 恵奈の指先がなぞる箇所を見た。


「……菱屋文具店」

 思わず呟き、恵奈を見ると、深く頷く。

「橋が目印じゃない? で、当時の地図を見ながら、橋からそう遠くない場所にある文具店を探してみたの」

 スマホの地図アプリでは、町のどの橋の近くにも文具店はなかった。

「そりゃ、スマホの地図アプリでは出てこないよ。だって、昔の地図にしか載ってないんだから」

「昔の地図?」


「そう。ここを見て」

 冊子の最後の頁を開いた。簡単な地図が載っている。

 菱屋文具店の場所がわかった。橋の近くにある。

「でね」

 そう言ってから、

「あー、だめ。喉渇いた」

と恵奈は訴えて、

「ちょっと飲みもの買ってくる」

と席を立った。学校の校門を出てすぐに飲み物の自動販売機がるのだ。


 恵奈が戻ってくるまで、颯真は翔太郎と冊子を見てみた。

恵奈が示した地図の頁を見つめる。丁寧に、一軒ずつ世帯主の名前が書かれてある。ほとんどが男性の名前だ。なんとか郎、なんとか夫と並ぶ。

 菱屋文具店のほかにも、米村氷店とか、佐藤煙草店などと、個人名の間に店の名前が見える。今のように住宅地というわけではなくて、住宅地の中に商店が混ざり合った場所だったのだろう。


 あのおじいさんがいたのは、この菱屋文具店なのだろうか。

 でも、この冊子は五十一年前のもの……。

 ミネラルウォーターを手に、恵奈が戻ってきた。


「なあ、この菱屋文具店のこと?」

 颯真が尋ねると、ペットボトルを口に運びながら、恵奈はうんうんと頷く。

「だけど、これ、五十一年も前の冊子じゃん。今もこの文具店があるの?」

「ないない」

「ないないって――」

 ってことは、見つからないってことじゃないか。何言ってんだ、こいつ。

 好きになった相手だと、瞬間忘れる。

「だったら、なんで絞れたかもしれないなんて言ったんだよ」

 翔太郎も苛立った声を上げる。

 すると恵奈は、音を立てて水を飲んでから、二人を睨んだ。

「昔はあったけど、今はないの」


「それって」

 恵奈が頷いた。

「ソウが行った文具店は、今はない文具店なんだよ」

「どういうことだよ」

 翔太郎が怯えた目になった。

「嘘みたいな話だけど、現実なんだよね。ソウは文具店に行って、消しゴムをもらった。その文具店は、今はないけど、昔はあった」

「じゃ、颯真が行った文具店は、あのときだけ存在したってことかよ」

 予感はあった。あの文具店に入ったとき、異界に足を踏み入れたのかもしれない、そこで、あのおじいさんに出会ったのかもしれないと。

「そうは言ってない」

 恵奈は真剣な表情になった。


「今は、文具店としてはやってないかもしれないけど、建物は残ってて、それで、おじいさんが一人暮らしてるのかもしれないじゃない」

「あ、そっか」

 翔太郎は明らかに安堵した表情になった。案外怖がりなのだ。

「それなら――」

 颯真は冊子に顔を戻した。

「この住所に行ってみるしかないな」


「行こうよ」

 恵奈に冊子をひったくられた。

「これから?」

 思わず返すと、翔太郎に腕を引っ張られた。

「善は急げだよ!」

 言葉の使い方が違っていると思ったが、颯真は素直に立ち上がった。翔太郎は嬉しそうだ。今日も恵奈と放課後を過ごせる。颯真も嬉しかった。

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