第20話


「やめて!」


 我に返って、颯真は翔太郎を掴んだ手を緩めた。


「――近藤」


 教室の入口に立っていたのは、近藤恵奈だった。半泣きの表情で、こちらを睨んでいる。


「おまえ、消えてなかったのか」

 言いながら、そういえば、担任からいなくなっていない生徒の名前の中に、近藤恵奈の名があったと颯真は思い出した。担任から翔太郎の名前を聞いた途端、頭に血が上ったせいで、すっかり忘れていた。


「そう、消えてない。どうしてだかわかんないけど」

 そして恵奈は、こちらに近づいてきた。まっすぐ翔太郎に歩み寄る。

「翔太郎、ひどい。こんなことして」

「俺が何したっていうんだよ」

 翔太郎がとぼけてみせた。

「みんながいなくなったの、翔太郎のせい。あたし、今、ソウとあんたの話、聞いてたんだから」


「聞いてた?」

 颯真と翔太郎は同時に叫んでしまった。


「そう、聞いてた。あたし、人消しゴムなんて、ただの都市伝説だと思ってて、本心では全然信じてなかったんだけど」

 そして、恵奈は片手で目を拭う。

「みんなが突然いなくなっちゃって――茉莉花も春菜もメールしても返信がなくって」

 茉莉花も春菜も、同じクラスだ。恵奈と親しくしていたのだろう。


「こんなのおかしい。みんな一斉にいなくなっちゃうなんておかしいって思って、怖くて。家におとなしくいることなんかできなかった。それで学校に来てみたら、職員室が大騒ぎになってて。茉莉花のママとかから、質問されまくって、逃げ出して、ここに」

 過呼吸になるんじゃないかと心配になるぐらい、恵奈は苦しそうに言う。


「それで、僕らの話が聞こえたと」

 恵奈は頷いた。

「ほんとなんでしょ、人消しゴムのこと」

 颯真は翔太郎を小突いた。

「消えたみんなの名前を書いて、翔太郎が僕が持ってた人消しゴムで消したことは事実なんだ」

「俺だけ悪者にするな、おまえも樹を消しただろ!」

 翔太郎に小突き返された。


「樹? 樹もなの?」

 仕方なく頷く。

 そして颯真は、樹たちにいたぶられたあと、どこで人消しゴムなるものを手に入れたかを話した。それから、樹の名前を書いて、消したこと。


 颯真が話を終えると、職員室のほうからのざわめきが聞こえてきた。普段、教室にいても、職員室の物音など聞こえないのに。

 夜なのだ。

 その静寂が、クラスのみんなが消えてしまった証拠のようで、とてつもないさびしさが募ってくる。

 

 クラスのみんなだけじゃないんだ。

 颯真は唇を噛んだ。

 亜由さんの婚約者も、商店街の人たちも、消えてしまった。いなくなってしまったのだ。

 新たにパトカーが学校にやって来たのか、サイレンの音が聞こえ始めた。


「残っているのは、あたしと颯真だけ」

 恵奈が翔太郎に顔を向けた。

「颯真は樹にいじめられてたから消さなかったんだよね? だけど、あたしは? あたしはどうして?」

 たしかに、不思議だった。なぜ、翔太郎は、恵奈だけ消さなかったのだろう。


「――それは」

 翔太郎は口ごもった。うっすら、首筋が赤く染まる。


 もしかして。


「偶然なんでしょ。たまたま書き忘れた。だから、消さなかった」

 すると、翔太郎は、

「そうだよ!」

と、怒鳴り返した。その怒鳴り声に、恵奈が怯えたのか、両手で顔を覆う。


「消してくれればよかったのに。茉莉花や春菜と同じように……」

 恵奈の口から、嗚咽が漏れてきた。

「どうすればいいの?」

 涙声で、続ける。

「どうすれば、みんなが戻ってくるの?」

「わからない。だけど」

 颯真は掌を開いた。人消しゴムの欠片がある。

「あの文具店に行って、おじいさんに訊くしかないと思うんだ。こんなに小さくなっちゃったけど、これを返して、消えた人たちを戻す方法を訊くしか……」


「もう一度行けるの?」

「行けると思う」

 あんまり自信はなかったが、見つけ出さなくてはならない。

「行こうよ」

 恵奈が呟いた。

 驚いた。

「いっしょに行ってくれるの?」

 はっきりと恵奈は頷く。

 すると、顔を背けていた翔太郎が、ぼそりと言った。

「俺も行くよ」

 翔太郎には、さっきまでの毒々しさはなかった。

 颯真は確信した。恵奈を見つめる翔太郎の視線に気づいた。

 

 なぜ、恵奈は翔太郎に消されなかったのか、その答がわかった気がした。

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