第19話

 マンションを飛び出したときは、うっすら空に残っていた夕日も、学校に着いたときにはすっかり姿を消して、学校は夜の中に沈んでいるように見えた。

 

 だが、近づいていくにしたがって、異様な事態が起きているのがわかった。

 職員室からは煌々と明かりが漏れ、人が何人も出たり入ったりを繰り返している。  

 保護者たちだろう。スマホを耳に当て、声高に話している。

 

 見覚えのある保護者の顔を避けて、颯真は教室に向かった。翔太郎との電話では、まわりが静かだった。職員室にいるのではなく、教室にいるんじゃないか。

 

 薄暗い階段を駆け上り、しんとした廊下を進んでいくと、二組の教室が見えてきた。

 そこだけ、明かりが点いている。

 

 教室に入ると、やはり、翔太郎はいた。がらんとした教室の中で、いつもの自分の席にぽつんと座っている。

 こちらに向けた顔には、なんの表情もなかった。

「よ、颯真、ゴクローサン」

「ゴクローサンじゃねえよ」

 颯真はうろたえながら、叫んだ。

「おまえ、自分が何をしたのかわかってるのか?」

 すると、翔太郎は、ふんと鼻を鳴らして、颯真から顔をそらし、前を向いた。


「さあね。よくわかんないよ」

「よくわかんないって、みんなが消えちゃったんだぞ!」

「それは、わかってる」

 そして、翔太郎は首を回して、ぐるりと教室の中を見渡した。

「なんかさ、清々するよ、この教室。みんながいなくなって、風通しがいい」

「なんだと!」

 ガタガタを机にぶつかりながら、颯真は翔太郎に駆け寄った。思わず、胸ぐらを掴む。

 翔太郎がのけぞりながら、颯真を見つめた。


「おまえ、俺に怒る資格あんの? 最初に人消しゴムで樹を消したの、おまえなんだよ?」

「そ、それは……」

「おまえと俺は同罪。おまえは樹一人だったけど、俺は多人数を消した。ただ、それだけ」

「ただそれだけって……。どうしてみんなを。みんなは、樹みたいな嫌なやつじゃなかったじゃないか」

 翔太郎が目を剥いた。


「嫌なやつじゃない?」


「だってそうだろ? おまえが俺と同様、樹たちのターゲットにされてたのは知っているよ。だけど、悪いのは樹たちで」


「おんなじだよ!」


 翔太郎が怒鳴った。

「樹たちにいたぶられてるとき、クラスのみんなが助けてくれたか? 見て見ぬふりをするか、便乗して、おもしろがって笑うだけ」

 ふいに、校庭に机と椅子を捨てられたときの光景が蘇った。あのとき、窓からクラスのみんなが見ていた。笑っている者が大半だった。といって、眉をひそめる者がいたとしても、机と椅子を運ぶのを手伝ってくれたわけじゃない。


 同罪。

 樹とみんなは同罪。そのとおりだと思う。だけど、だからって――。

 

 翔太郎から手を離し、颯真は教室を見回した。

 みんな、いなくなった。

 教室には、翔太郎と自分だけ。

 

 みんなの机を見渡す。

 もう、あいつらが、ここに戻ってくることはないのか?

 クラスメイトがいない教室は、ただの箱のように思える。黒板も壁にぶら下がっている音楽の授業で使うそれぞれの生徒の笛が入った袋も、掃除当番のお知らせの紙も、なんの意味もなくなる。 


「みんなも同罪、だから、消してやったんだ!」


 歪んだ翔太郎の顔は、いままで見た翔太郎のどんな顔よりも、醜く見えた。

 自分も同じ顔をしていたと思う。樹の名前を書いて消したとき、目の前の翔太郎と同じ表情になっていたはずだ。


「なんだよ、文句あるかよ」

 翔太郎の目が光る。

「スマホの写真のアプリで、映って欲しくない人物を消す機能があるだろ。あれみたいなもんだよ」

「それとは――」

「違わないよ」

「違う!」

 颯真は翔太郎の肩を揺さぶった。


「リアルなんだぞ、現実なんだぞ! どうすんだよ!」

「知らないよ!」

「返せ!」

 颯真は翔太郎に迫った。その拍子に、翔太郎が大きくのけぞり、後ろに倒れた。椅子が音を立てて床に転がる。

 そのまま、揉み合った。翔太郎も負けてはいない。肩を押され、颯真は床に転んだ。

 すぐさま、反撃にかかり、返せと叫びながら、翔太郎の上着やズボンのポケットをまさぐる。


「返せ、翔太郎。返せよ」

 泣き声になってしまった。限界だ。こんなの、耐えられない。

「無理だって! もう、ないんだ。使っちゃったんだよ!」

「え」

「カスも残ってないよ。何人の名前を書いて消したと思ってんだよ!」

「そんな……」

 翔太郎の首筋を掴んだまま、颯真は固まってしまった。


 だから、そのとき、教室に入ってきた人影に気付かなかった。

 ようやく気づいたのは、人影が叫んだからだ。

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