第17話

 翌日、学校が休みの土曜日、颯真は出かけた。

 家にいて悶々と考えて過ごすのに疲れたからだ。

 

 行き先に当てはあった。

 町はずれのモールまで行き、その近くに建つ、量販店が入っているビルに行ってみるつもりだった。

 

 人消しゴムで消され、それから生還した者が、その場所で動画を撮りアップしていた。樹が行方不明になった翌日、心配して学校へ集まった夜、女子の一人が見つけたあれだ。

 その動画を、颯真は何度も再生してみた。女子の言ったとおり、動画が撮られたのは、目的のビルのようだった。

 ビルに行ってみたところで、何もわからないかもしれない。といって、現段階で、ほかに動きようはないのだ。

 

 モールまでは、駅前からバスが出ている。

 駅までの道を、颯真はとぼとぼと歩いた。普段、学校へ行くときと同じように、コンビニの前では歩道の道路側を歩き、不動産屋の前では、歩道に出されている植木鉢を避けて歩く。

 不動産屋を過ぎると、交差点があって、そこからはごちゃごちゃと店が続く。頭上がアーケードになっている。

 今日は休みなのか、シャッターが下りている花屋、いつものおばさんと違って、今日は大学生くらいの女の人が店先を掃いている弁当屋に、誰が着るのかと思うような奇妙なデザインのTシャツやパンツが並べてある服屋のアロワナ。


「よ。元気か」

 アロワナの前を通り過ぎようとしたとき、そう声が聞こえた気がして、颯真は顔を上げた。

 ところが、声は空耳で、アロワナの前に「おっさん」はいなかった。おっさんは、アロワナのオーナーで、前を通ると、必ず声をかけてくる。多分、六十代。智也さんと同じぐらいなんじゃないかと思う。

 挨拶をちゃんと返さないと叱られるので、いつも颯真は礼儀正しく挨拶を返す。面倒臭いと、母親に話したら、

「そうやって近所の子どもを気遣ってくれるなんて有難いわよ」

と返された。おっさんは、同じ町内でこの界隈の野球チームの顧問もしているらしい。子ども好きな、優しい人なのだ。見た目は丸坊主でガタイもいいから、とてもそんなふうには見えないけれど。

 

 ところが、今日は、おっさんの姿がない。

 めずらしいな。

 おっさんが、病気じゃなきゃいいけど。

 

 みんな同じ町内だ。特に言葉を交わす相手ではなくとも、いつもの顔ぶれを見かけないと、なんとなく寂しい。

 反対に、ショッピングモールがある辺りは、もともと畑ばかりだったところで、地域住民とは縁もゆかりもない場所だ。その場所が、いまでは駅前よりずっと人で溢れている。

 

 ショッピングモール行きのバスに乗り、一つ手前の停留所で降りて、颯真は量販店が入ったビルに行ってみた。モールへは食事をするところもあるから、友人や家族と何度も足を運んだ憶えがある。だが、このビルにはあまり馴染みがなかった。

 動画が撮影されたであろう場所は、正面玄関脇の飲み物専用の自動販売機の前だった。店の中から押し出されたように並べられた商品の横に、忘れられたように置かれている自動販売機。

 

 やっぱり何もわからなかった。なぜ、ここを、あの生還者は選んだのか。

 それでも、しばらく店のまわりをうろうろして、それからバス停へ戻った。乗降客が多いから、バスは頻繁にやって来る。

 バスの中ではウトウトしてしまった。勢いこんで出かけた気持ちの張りが緩んでしまったのだ。

 

 駅に着いた途端、空腹を覚えた。駅前のマックで何か買おう。普段から、学校の休みの日、食事の前に、結構たっぷりと何か口に入れる。去年あたりから、空腹を感じるときが多くなった。今年になって、身長が三センチ伸びた。それが関係しているのかもしれない。

 マックに入ろうと体をそちらへ向けたとき、駅前から伸びる商店街の先に、母親の姿を見つけた。弁当屋の隣にあるクリーニング店のおばさんと話し込んでいる。

 二人の表情は険しかった。マックに寄るのを止めて、颯真は母親のほうへ進んでいった。

 

 近づいていくと、母親がちらりと一瞥を寄越した。そしてそのまま、クリーニング店のおばさんに顔を戻す。颯真が隣に立っても、二人は話をやめようとはしない。

「誰が気づいたの?」

 母親がおばさんに訊く。

「あの人、去年ご主人を亡くして一人暮らしなのよぉ。だから、朝、店に来たアルバイトの主婦が家まで行ってみてわかったみたい」

「店の裏に住んでるのよねえ、お花屋さんは」

「だからよかったのよ。そうじゃなかったら、いなくなったって気づくのがもっと遅くなってたと思うわ」

 

 いなくなった?

 颯真は目を見開く。


「いつからいないのかしら」

「多分、昨日の夕方以降だろうって。だって、夕刊は郵便受けから取り出されてテレビの横に置いてあったらしいから」

「誰がいなくなったの?」

 颯真は口を開こうとした母親を遮った。

 二人の驚いた表情がこちらへ向けられる。なんであんたが話に入ってくるの?と言いたげだ。

「ねえ、誰?」

「お花屋の奥さんよ」

 早口でそう言うと、母親はふたたびクリーニング店のおばさんに顔を戻し、訊く。

「家の鍵は?」

「それが、閉まってたのよ。警察が来てね、簡単に調べたらしいんだけど、特に荒らされた様子はないみたいだって」


「お弁当屋さんのまっちゃんは?」

「はっきりしたことはわからないけど、店の子が言うには、おじさんがショックで倒れそうだって。だって二人で大手の弁当チェーンに負けないように頑張ってたんだから」

「わかるわ。仲が良かったもの、あの二人」

「お弁当屋さんのおばさんもいなくなっちゃったの?」

 颯真が叫んだ。

「そうよ。突然、消えたみたいにいなくなっちゃったのよ。夕食の支度をしてる最中に、突然いなくなっちゃって。肉じゃがを作ってる最中だったんだって。火はそのまま。おじさんが気づかなかったら、火事になってたところよ」

「危ないわぁ」

 クリーニング店のおばさんが、続ける。


「その二人だけじゃないの。アロワナの店主もよ」

「おっさんも?」

「そう。店で接客してるときよ。お客さんが、お金を払おうとしてレジに行ったら、姿が見えなくなってたらしいわ。それまでレジに座ってたのに」

「ちょっと!」

 叫び声がして、三人で振り返った。小柄でごま塩頭のおじさんが、こちらへ駆けてくる。


「大変だぞ」

 近づいてきたおじさんは、喘ぎながら、言った。

「うちの隣の児玉さんも、斜め向かいの白木さんの御夫婦も、それから」

おじさんの表情は尋常じゃなかった。恐ろしいものを見たみたいに、目玉が飛び出そうに見開かれている。

「コンビニの藤原さんも、税理事務所の蒔田さんもいなくなった」


「へ?」


 鳥が首を絞められたときのような、奇妙な叫び声を、クリーニング店のおばさんが漏らした。

「いなくなったって?」

 母親が訊いた。

「いなくなったってのは、いなくなったってことだよ。消えちまったんだ」

「まさか」

「大騒ぎだよ。商店街でも、いなくなった者がいるらしいじゃないか」

「そうよ。お花屋さんやお弁当屋さん」

 言いながら、母親の表情が歪む。

「ただ事じゃないぞ」

 そしておじさんは、指を折って数え始めた。両手でも足りなかった。


「どういうこと?」

 クリーニング店のおばさんが、口に両手を当てながら、言う。

「なんだかおかしいわよ。どうしてこの界隈でそんなに人が」

「そうなんだよ。警察も来てるんだが、まだなんにもわからない」

 颯真の膝が震え始めた。


 人消しゴムだ。

 きっとそうだ。誰かが名前を書いたあと、人消しゴムで消したんだ。


「偶然にしては不思議すぎると、警察も首を傾げるだけみたいだ」

 ようやく息を整えたおじさんが続ける。

「誘拐ってわけでもないだろうし」

「まさか。あの人たちを誘拐してどんな得があるわけ?」

 母親が目を剥く。

「俺だってそう思うが、じゃ、誘拐じゃなかったらなんだ? 突然いなくなったんだぞ、神隠しみてえだ?」

「やだ。昭和じゃあるまいし」


 そんなんじゃない!

 人消しゴムのせいなんだ!


「困ったわ」

 母親がうわ言みたいに呟いた。

「町内の名簿を新しく作ったばかりなのよ。寄付を集めるときのためのチェック表。三人のところ、書き直さなきゃだめかしら」

 町内会の名簿のことなんて、どうだっていいじゃないか。

 クリーニング店のおばさん同様、颯真も母親のデリカシーのなさに呆れた。いや、デリカシーがないんじゃない。衝撃が大きすぎて、思考が追いついていないのだ。だから、町内会の名簿書き直しなんて些細なことを口にして……。

 と、颯真は愕然とした。

 

 もしや。


「おかあさん、ちょっと!」

 ぐいと母親の腕を掴んだ。

「痛いじゃないの、なによ」

「いいから。うちに帰ろう」

「だめよ。これから町内会長さんのところに行こうと」

「いいから!」

 はっきりさせなくては。

 颯真は母親の腕を強く掴み、歩き出した。

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