第16話

 翌日になっても、イツキさんは見つからなかった。地元の警察も動き出したようだが、新しい情報は伝わってこない。


「アメリカの警察じゃあ、なんだか頼りないわねえ」

 朝食を食べながら言う母親に、颯真は同意しかねた。ケーブルテレビでやっているアメリカの刑事ドラマを見る限り、日本の警察よりも解決が早い気がする。第一、断然かっこいい。


「いってきます」

 コーンフレークを食べていたスプーンを置いて、颯真はリュックサックを肩にかけた。

「やだ。残したの?」

「ごめん。あんまり食べたくないから」

「どうして? 気分でも悪いの?」

「だいじょうぶだから!」

 母親の声を振り切って、颯真はマンションの廊下に出た。

 樹がいなくなってから、悠人たちは颯真を相手にしなくなった。おかげで学校へ行く朝に、なるべく遠回りをする方法を考える必要はなくなったというのに、今朝は気持ちが沈む。今朝のコーンフレークは値段が高いメーカー品だったが、それでも完食はできなかった。


 もしかして、自分はとんでもないことをしてしまったんじゃないか?

 その考えが、どうしても消えない。


 イツキさんを消してしまったことで、亜由さんを悲しませ、智也さんを憔悴させ、挙句、母親の再婚を邪魔してしまったとしたら。

 数珠つなぎみたいに、不幸が続いてしまったら。

 

 学校では、都市伝説・消しゴムについての話題で持ち切りだった。一週間前、樹を心配して夜の学校へ来なかった者も、話題は都市伝説・消しゴムについてだった。

 樹が失踪したのは、消しゴムで消されたからとはっきりしているわけじゃないのに、誰もがそうだと確信しているように見えた。

 

 警察が、何も掴んでいないのが理由の一つにあった。それと、テレビのワイドショーが「都市伝説・消しゴム」と銘打って、連日特集を組んでいるせいだ。おかげで、生徒たちだけでなく、母親たちにも樹の失踪は都市伝説説が信じられ始めていた。

 さすがに授業中ははばかられたが、休み時間になると、動画やツイッターで「都市伝説・人消しゴム」に関する話題を探す。新しいニュースを競って探す。そんなみんなの様子が、ますます颯真を圧迫する。

 

 颯真の席は、教室の真ん中辺りだった。みんなの話し声に取り巻かれている気がする。

「おい、駅前のカラオケで、人消しゴムが使われたって出てるぞ」

「嘘。昨日、俺、あそこ、行ったよ」

 そんな会話が飛び交っている。

 耳をふさぎたかった。みんなはわかってない。都市伝説がほんとうだとしたら、自分が家に持っている人消しゴムは、人殺し消しゴムなのだ。


 そう、あれは殺消しゴム。血を一滴も流さずに、人をこの世から抹消できる消しゴム。


「だけどさあ、よかったよ、俺、龍樹たつきって名前で」

 斜め前の席の、滝沢高貴が言った。隣の席の男子生徒とスマホを見ている。

「だってさあ、樹と一字違いじゃん。もし、消しゴムを使ったやつがさ、間違えて龍って付けてたらさ、俺、今頃、消えてるかも」

 そう言ったのは、戸部龍樹だった。

「間違えないだろ、龍樹と樹は」

「怖いよな」

「マジ、怖いよ」

 樹と一字違い。

 その言葉が、すとんと胸に落ちてきた。

 

 もし、戸部が樹と同じ名前だったら消えていた――。だけど、そうなると、全国の樹という名の人物は消えていることになる。

 ところが、樹と亜由さんの婚約者の樹さんだけしか消えていない。もし、全国の樹さんが消えていたなら、日本中は大騒ぎになっているはずだ。だが、テレビでもネットのニュースでも、そんな事態は報告されていない。誰からも。


 ということは。

 知り合いだけなんだ。


 消しゴムを使った者の知り合いだけが、消えるのだ。


 かすかな安堵感を感じた。どこかの見知らぬ「樹さん」が、自分のたったあれだけの行為で消えてしまうと考えるとゾッとする。


 今のところは。

 颯真は考えに沈んだ。

 樹と亜由さんの婚約者のイツキさんを、この世界に連れ戻す方法だけを考えればいいんだ。

 それには、どうしたらいい?


「生還した人ってさあ」

 教室の壁側の席のほうから、そんな誰かの声が聞こえた。女子たちだった。一つの机の上に置かれた誰かのスマホに、数人が顔を寄せている。

「どうやって戻ってきたのかなあ」

「なんか、おまじないがあるんじゃないの?」

「ポマードって三回唱える?」

「それ、口裂け女を避けるとき唱えるやつでしょ」

「知ってる。おかあさんが子ども頃、聞いたことがあるって言ってた」

「人消しゴムの場合は、消した誰かが何かしたんだよね。そうじゃなきゃ、戻って来られるはずないもん」


「どうやって生還させたのかな」

「お祈り?」

「かも」

 祈るだけで戻せるなら、祈ろう。だけど、きっと、そんな簡単な方法じゃ無理だ。


 何もいい案が浮かばないまま、六時間目を迎えた。樹の失踪を受けて、放課後の部活動は禁止され、生徒たちは早々に学校から追い出された。

「まっすぐ帰るんだぞう!」

 教師たちの緊迫した表情に送られ、颯真も学校を出た。風が冷たかった。秋だった。歩道に、学校のプラタナスの茶色い葉が舞ってきている。

 家に着くと、母親がいた。ソファに腰掛けいる背中が見えた。


「あれ、どうしたの」

 まだ五時になったばかり。母親が帰宅する時間じゃない。

「やあね、今日は休みを取ったって言ったでしょ」

 すっかり忘れていた。

「亜由さんのところへ行こうと思って休んだんだけどね、智也さんがだいじょうぶだからって言ってくれて」

 ちょっとさびしそうに、言う。ほんとうは行きたかったのだろう。


「なんか、わかった?」

 ドスンと母親の横へ座る。

「まだ何にも」

「そう」

「樹くんのほうは?」

 颯真は首を振った。

「そっか」

 言いながら、母親はテーブルに広げてあった書類を片付け始めた。

「仕事?」

「ううん。おかあさんね、今年、この町内の役員をやらされてるの」

「町内会の役員?」

「そう。マンションの住人だからって免除されないのよ。近所のお祭りのための寄付を集めたり、市から送ってくるお知らせを配ったり」

「結構面倒だね」

「そうなの。いままで、仕事を理由に逃げてたんだけど、今年はそうもいかなくて」

 そして、束ねた書類をファイルにどさりと入れる。


「せっかく時間があるから、名簿作成をしていたの。毎年やらなきゃいけないのよ。ちゃんと住人を把握しとかないと、寄付が集められないでしょう? 大変なのよ。いまどき、手書き。名前を結構間違えちゃって、何度書き直したかわからないわ」

 ふうんと返事をして、颯真は立ち上がった。

「今日、ご飯、牛丼ね」

「ああ」

「なによ、もっと嬉しそうな声出しなさいよ」

 もし、亜由さんの婚約者のイツキさんが戻ってきたら、こんな会話の中に、智也さんが加わるんだろうか。


 自分の部屋に入ると、窓が開けられ、掃除がされていた。

 整ったベッドに横たわり、颯真は天井を見つめた。



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