第14話
颯真の深刻さをよそに、翔太郎はのんきなものだった。
「友達の家に寄るから」
と、明るい声で家に電話し、
「こんな遅くにお邪魔してすみません」
と、颯真の母親に行儀よく挨拶もした。
「いなくなった樹について話し合うんだ。部屋には来ないで」
テレビを見ていた母親にそう告げ、自分の部屋へ翔太郎を連れて行くと、颯真はしっかりドアを閉めた。
机の上には、樹の名前を書き、消したクロッキー帳があった。その横に、ポロリと消しゴムが転がっている。
「これだよ」
消しゴムをつまみ、颯真は翔太郎の目の前に突き出した。それなのに、翔太郎は消しゴムを一瞥しただけで部屋の中を見渡し始めた。
「けっこう片付いてんだな」
そして、ベッドの脇に転がしたままのゲーム機を手に取ろうとする。
「おまえ、真剣に聞けよ!」
苛立った颯真は、翔太郎の腕を掴む。
「なんだよ、もう」
「だから、これが人消しゴムだって言ってるだろ! これで俺は樹を消しちゃったんだよ!」
仕方なくといった目つきで、翔太郎は颯真の指先にある人消しゴムを見た。その顔に笑いが広がる。
「気持ちはわかるけどさあ、おまえ、樹のターゲットにされてたから」
翔太郎が人消しゴムを受け取った。
「だけどさ、女子じゃあるまいし、都市伝説なんか、ほんとのわけないじゃん。これ? このチンケな消しゴムで、樹を消せたっていうの? 有り得ないよ」
「だ、だけど」
颯真は机の上のクロッキー帳を広げた。
「ほら、見ろよ。書いた跡があるだろ? 書いて消したんだ。そしたら――そしたら、ほんとに樹が行方不明になった……」
「なあ、これ、どこまで進んでる?」
翔太郎はゲーム機を取り上げて、顔を埋める。
翔太郎の肩ごしに、ゲームの画面を見つめた颯真は、ふっと肩の力が抜けていく感じがした。
翔太郎の言う通りなんだ。
有り得ないよ、そんなこと。
それから、翔太郎は一時間あまり、颯真の部屋でゲームを楽しんで帰っていった。
いつものように朝はやって来たが、依然、樹の行方はわからなかった。
警察は本気で捜索をしているらしいが、何も手がかりは見つけられなかった。
様々な噂が聞こえてきた。悠人が言っていたように、新光高校の生徒にも話を聞いたらしいが、警察は何も聞き出せなかったとか。樹が失踪した夜、国道でひき逃げ事件があり、樹はその被害者だったため、口封じのためにどこかへ連れ去られたのではないかだとか。
どれも根拠のある話ではなかった。映画か小説の中のエピソードをくっつけて、誰かが作り出した話だと思えた。
様々な憶測をしたのは、生徒たちだけではなかった。テレビのワイドショーは連日、「消えた中学生」として特集を組んでいたし、SNS上でも噂が飛び交った。
SNS上で囁かれる噂は、無責任でいい加減なものが多かった。ゲーセンで樹が音ゲーに夢中になって汗を流していたとか、渋谷を歩いている樹を見たとか。
そんな中に、「人消しゴム」についての噂もあった。翔太郎が言ったように名指しはしていなかったが、誰か、樹を恨んでいた者が人消しゴムで樹を消したというのだ。
馬鹿馬鹿しい。
いくらそう思っても、不安は拭えなかった。実際に、消したのだ。おじいさんから貰った消しゴムで樹の名を。
都市伝説としての人消しゴムの噂は、様々なバリエーションがあった。人消しゴムで消された者は、この世界から永遠に追放されて二度と戻って来られないだとか、どこか、まったく別の場所で、別の人間になって生きているとか。
まったく、中学生の考えそうな話だ。
颯真はそう思った。大体、都市伝説なんてものは、子どもが頭の中で考え出した空想話だ。暗闇の向こうに見える木の影を、人影と間違えるようなもの。空想を膨らませて作られた話にすぎない。
そう思えば、いくらか心は落ち着いた。樹を憎んでいた。目の前から、この世界から消えてしまえばいいと思っていた。だからといって、ほんとうに樹が行方不明になってしまえばいいかといえば、それはまた別の話だ。
ただ。
樹がいなくなり、平穏な日々が戻ったのは間違いない。
朝、学校へ行くために通学用のスニーカーを履き足を踏み出したとき、体全体に湧き上がる喜び。今日、何をしよう。空の太陽に眩しさを感じながら走り、教室に飛び込んで、乱暴に自分の椅子に座る。ただそれだけのことが、無性に愉快に感じられる日々。それが戻ってきた。
日に日に、颯真の中にあった罪悪感は消えていった。綱引きみたいに、おまえのせいだ、いや違う。樹の失踪に、おまえは関係ない。その二つの気持ちがせめぎ合っていたが、日に日に、おまえには関係ない。その気持ちがパーセンテージを増やしていった。
だから、樹が失踪して二週間と三日目の二時間目の理科の授業中、先生に、すぐ職員室に行きなさいと言われたとき、颯真は「人消しゴム」と自分の関わりについて何も考えなかった。
「おかあさんから電話だ」
はいと、ぼんやりと返事をして、颯真は職員室へ向かった。母親が学校に電話をしてくることはまずない。念のため、教室を出てから職員室に着くまでに、自分のスマホを見てみた。母親からラインが入っていた。
――亜由さんの婚約者が行方不明になったの。それで、おかあさんは仕事が終わり次第、東京の亜由さんのマンションへ行きます。智也さんとはそこで合流します。今夜帰れるかわかりません。またラインします。
亜由さんというのは、母親が付き合っている智也さんの娘だ。彼女の婚約者がいなくなったという。
婚約者の顔が、うっすらと蘇った。正月か何かのとき、智也さんと共に亜由さんに会った。そのとき、亜由さんが、颯真と母親に、スマホの中の写真を見せてくれたのだ。名前は思い出せないが、優しい感じの人だった気がする。
職員室に入ると、担任の秦野先生が、受話器を手に待っていた。頭を下げ、受話器を受け取る。耳に当てた途端に、母親の憔悴した声が聞こえてきた。
「ライン見た?」
「見たけど」
「わざわざ学校に電話したのは、早退して欲しいからなの。亜由さんが取り乱してて、連絡が取れなくなってて、うちの家電に連絡してくるかもしれないから、颯真に帰ってもらいたくて。亜由さん、おかあさんの携帯番号を知らないから」
「うん」
「早退するには、母親から学校に連絡したほうがいいと思って」
何かよほど、混乱しているようだ。
「出張で外国に行ってるときだったらしいんだけど、お客さんと食事をしててね、お手洗いに立ったんだって。それでそのまま行方不明になったらしくて。今頃になって騒ぎになったのは、お客さんが怒って会社に連絡をくれなかったせいらしいの。会社は会社で、出張のあと、休暇を取ってると思ったようなのよ。それが、どこにもいないって今日わかって。二週間も経ってわかって。亜由さん、ショックを受けててね。何をするかわからないのよ」
亜由さんは、ちょっと繊細そうな神経の持ち主だ。だから母親の心配もわかる。
だが、颯真には、母親たちの困惑が胸に迫ってこなかった。行方不明になったのは、義理の父親になるかもしれない人の、その娘の婚約者だ。ちょっと、遠い。
それでも、母親の言うとおり、早退して、家で電話番をするのは構わなかった。今日の残りの授業を思い浮かべる。数学と英語。サボれるなら、有難い。
じゃ、頼むわよと言ってから、母親が続けた。
「亜由さんたら、イツキさんがいなくちゃ生きていけないなんて言ってて」
えっと、颯真は顔を上げた。
「イツキっていう名前なの?」
電話を切ろうとしていた母親は、ぞんざいにそうよと続けた。
「イワイイツキ」
そして電話は切れた。
「終わったか?」
秦野の先生に声をかけられて、颯真は呆然としたまま受話器を渡した。
「親戚に不幸があったらしいな」
はいと返事をしたつもりだが、声にならなかった。訝しげな表情で、秦野先生に見つめられる。
「早退します」
ようやく口にして、颯真は職員室を出た。
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