第13話

「樹くん、人消しゴムで消されたんじゃないの?」


「やめて、怖い」

「だって、そうとしか考えられない」

「やだ、ありえないわよ」

 女子たちの囁きは止まらない。


「そんなの都市伝説だろ?」

 男子の誰かが言った。

「そうだよ。子どもっぽいよ。そういう発想」

「だけど、もし、そうだったら」

「だったら、誰が樹の名前を消したんだよ」

 颯真は思わず俯いて、暗い足元を見た。

 人を消せる消しゴムを自分が持っていると知ったら、みんなは何と言うだろう。その消しゴムで樹の名前を消したと言ったら信じるだろうか。

 

 いや、ありえない。

 あんなのただの、使い古しのごく普通の消しゴムだ。あんなもので樹が、人が一人消えてしまうなんてありえない。


「ね、これ見て」

 女子の一人が、スマホの画面を差し出した。

「人消しゴムのこと、ツイッターにも、結構投稿してる人がいるのよ」

 美術館のベンチで、恵奈たちに見せられたツイッターと同じだろう。女子たちの間では話題になっているのだ。

 がやがやと、スマホを差し出した女子のまわりにみんなは集まり、それぞれが自分のスマホで検索を始めた。

「ほんとだ」

とか、

「マジ?」

とか、声が上がる。


「動画が出てるぞ」

 そう言ったのは、長尾だった。

「おお!」

 長尾の周りがざわつく。

 颯真も駆け寄って、長尾のスマホを覗き込んだ。

 薄暗い画面だった。どこかの学校の教室のようだ。その中の机の上に、何か白いものがぽつんと置かれている。消しゴムだった。色は白、形は楕円形。

 目にした瞬間、自分のものとは別物であると確信した。おじいさんからもらった消しゴムは、あれほど丸くなっていなかった。それに、元の大きさも微妙に違う。多分、誰かが使いかけの消しゴムを、冗談で載せたのだろう。

 

 これは偽物だ。

 そう言いたかったが、口にはできない。それに、これが偽物なら、自分の持っている消しゴムは本物なのか。そのほうが恐ろしい。


「すげえ、これが人消しゴムかあ」

「なんか、フツー」

「普通だから、余計、ほんとっぽいじゃん」

 みんな騙されてる。それは嘘。フェイクなんだ。そう叫びたいが口にするわけにはいかない。

「え、うそぉ、何これ」

 はじめにスマホの画面を見せた女子の隣にいた女子が、呟いた。


「ね、知ってた?」

と、スマホを隣の女子にかざす。

「なんだよ」

 男子の一人が近寄っていく。

「生還した人がいるみたい」

 女子の呟きに、みんなが顔を向けた。そして、一斉に、その女子のもとへ集まる。

 颯真も駆け寄った。

 

 生還した? 

 ほんとに?

 

 画面には、顔だけモザイクになった、少年の姿があった。背景は、故意にぼかされているせいかはっきりしないが、どこか賑やかな街の中のようだ。車のクラクションやサイレンの音。人のざわめきも聞こえる。

 

 その投稿者は、まずはじめに、自分は人消しゴムで消されたとされていたと報告していた。消されていた期間は、ほぼ二日。消されたのは、塾の帰り道の歩道で。誰に消されたかは――。

 そこでふいに動画は終わっている。


「マジかよ」

「ほんとっぽいよね」

「これ、ドンキが入っているビルじゃない?」

 弾んだ調子で、誰かが言う。町はずれのショッピングモールの近くにあるビルだ。

「やっぱ、嘘だよ、これ」

「こいつが着てる上着、制服じゃね?」

「うっそ。制服で動画撮る?」

 錯綜する情報の中で、祈っている自分がいた。消されても、生還できるのなら、少し、気持ちが楽になる。


「ちょっと! あなたたち!」

 廊下の先に人影が現れた。養護の甲斐先生だった。年の割りにいつも元気な初老の先生だが、今夜はひどく疲れて見えた。

「さあ、みんな帰りなさい」

「でも」

と、男子の一人が前へ出た。

「僕ら、樹くんが心配なんです」

 心配かどうかは置いといても、誰もが樹の行方を気にかけてここに集まっている。

「先生、何か進展はないんですか」

 別の男子が続ける。

「何かあったら、連絡網で回します。だから、みんなは家に帰りなさい。ここにいても、何もわからないでしょう」

 そうだよなと、数人から同意の声が上がった。その声を潮に、みんなが動き出した。ぞろぞろと校門のほうへ向かう。


 甲斐先生が職員室へ戻ってしまうと、また、誰かが「人消しゴム」の話を蒸し返した。颯真は耳をそばだてたが、美術館で恵奈たちに聞いた話以上の情報を持っている者はいないようだ。

 颯真は職員室のほうを振り返った。窓には煌々と明かりが点いているのに、いつもと違い何か不穏な気配を感じる。校門の近くに停まっているパトカーの赤色灯が回転しながら光を投げかけているせいかもしれない。


「おい、颯真」

 腕を掴まれて、颯真はびくりと立ち止まった。振り向くと、翔太郎がいた。

「おまえも喜んでるんだろ」

 翔太郎の目が光る。

「都市伝説でもなんでもいいよな、樹が消えたんなら」

 そして翔太郎は、颯真を覗き込むように見た。


「おまえが人消しゴムで消したんじゃないの?」


「え」


 顔色を変えた颯真に、翔太郎が虚をつかれたような表情になった。が、すぐに翔太郎は意地の悪い笑みを浮かべた。

「まさか、おまえが持ってたりしてな」

 颯真は返事ができなかった。

「それで、樹を消してたりしてな」

 不安が胸に溢れて飛び出しそうだった。

 

 樹が消えたのは、自分のせいなのか?


 もう、我慢できない。こんな大きな秘密を一人でなんか抱えていられない。

「なあ、翔太郎」

 颯真はうつむいたまま、言った。

「俺、持ってるんだ」

 なんで翔太郎なんかに、人消しゴムのことを打ち明けたくなったのか。翔太郎なら、樹を消したくなる気持ちをわかってくれるかもしれないと思ったからかもしれない。翔太郎になら責められないと思ったからかもしれない。


「へ?」

 翔太郎は間抜けな声を上げた。

「持ってるって、何を?」

「だから、人消しゴムだよ」

「何、言ってんの、おまえ」

 翔太郎は信じなかった。当然だと思う。


 颯真は翔太郎の腕を掴んで、歩き出した。

「見せてやるよ」


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