第12話
薄暗い校舎は、いつもの学校とは違って見えた。
校門の脇にある大きな木が、黒い陰を作って不気味に見える。
煌々と明かりが灯されているのは職員室だけで、あとは建物の入口に電灯が点いているだけだった。
みんなはどこにいるんだろう。
校庭へ出る渡り廊下のほうから、人の話し声が聞こえてきた。そっちへ進む。
ガヤガヤと、話し声が大きくなった。
渡り廊下の靴箱の前に、十数人の生徒が集まっていた。ほとんどが二組の生徒だが、ほかのクラスの者もいる。男子が多いが、ちらほらと女子の姿も見える。
女子たちの向こうに、悠人と健。そして大雅の顔もあった。男子の集団から離れて立っている。
彼らを避けて別の男子の集団に近づいていくと、振り返った者たちが意外そうな顔になった。誰もが、樹と颯真の関係を知っているのだ。見て見ぬフリをしていただけで、颯真が樹にどんな目に遭わされているか、わかっている。
その颯真が現れたのが、意外だったのだろう。
声をかけてくる者はなかった。
「おまえ、いい気味だと思ってんだろ」
なんて言ってくる者はいない。颯真が樹から逃げ回っているとき、さりげなく視線を逸らすのと同じように、振り向いた者たちは、今もさりげなく視線を外す。
連絡網を回してきた長尾の顔があった。とりあえず、近寄る。
「なんか、進展あった?」
「ないみたい」
誰もが勝手な憶測を話すばかりで、新しい情報はないようだった。誰の顔にも緊迫感はなかった。昨日の今日だ。何事もなく樹はきっと現れるだろう。誰もがそう思っている。
誰かが、退屈まぎれに、靴箱の横にある傘立てを蹴飛ばしているのか、キコキコと変な音がしている。
遠くで、サイレンが鳴って、近づいたと思ったら遠のいていった。
音楽が聞こえてきた。誰かが、スマホでゲームをやり出した。リズミカルな音楽が、暗い渡り廊下に響く。
そのとき、廊下の隅のほうで、叫び声が上がった。
「あんなやつ、このままいなくなればいいんだよ!」
一斉に、声がしたほうへ顔が向けられた。
廊下の壁の前にしゃがみこみ、そう言ったのは、三島翔太郎だった。五月にあった体育祭のちょっと前に転校して生徒だ。
転校生だからなのか、翔太郎も樹たちのターゲットにされていた。ただ、ちょっと、樹が普段選ぶターゲットとは雰囲気が違う。
樹はおとなしいやつしか、ターゲットに選ばない。翔太郎はうるさいタイプだった。理不尽なことがあると黙っていられない性格のようで、気に入らないことがあると、人目を憚らず文句を言う。そんな空気を読めないところが、樹のカンに触っているのかもしれないが。
翔太郎の叫びで、瞬間的に空気が硬直した。
誰も翔太郎に言い返さない。
「罰が下ったんだ。みんなもそう思ってるんだろ!」
翔太郎が立ち上がった。
「あんなやつ、戻って来なきゃいいんだよ。二度と学校へ来なきゃいいんだ」
「おい!」
悠人が女子を押しのけて、翔太郎の前に立ち、翔太郎の胸ぐらを掴んだ。
「ふざけたこと言ってんじゃねえよ」
「なんだよ。ほんとのこと言って何が悪い。これはきっと」
翔太郎が悠人を睨んだ。
「――
瞬間、悠人の目が怯えたのがわかった。まわりのみんなも息を呑む。
「俺が前にいた中学ではな、いじめをするやつには神罰がくだされるって、そういう都市伝説があったんだ」
「やだ、怖い」
「なんだよ、それ」
まわりからささやきが広がる。
翔太郎は更に言い募った。
「だから、おまえも気をつけたほうがいいぞ」
「なんだとぉ!」
誰も悠人を止めなかった。といって、賛同する者もいない。
「樹を恨んでるやつは大勢いるんだ!」
翔太郎は叫ぶ。
一斉に、みんなの目が、颯真に注がれた。悠人も翔太郎の胸ぐらを掴んだまま颯真を振り返る。
颯真はただ、立ち尽くしていた。翔太郎に賛同できない自分がもどかしい。この期に及んで、まだ、何事もなかったかのように取り繕っている。
「おまえ、なんか、知ってるのか?」
翔太郎を離して、悠人が颯真に向き直った。颯真は即座に首を振る。
「ほんとか? おまえ、恨みを晴らそうとして新光のやつらに樹を売ったんじゃないだろうな」
「新光?」
男子の誰かが反応し、ざわつき始める。
新光は市内にある柄が悪いと評判の高校で、以前、そこの生徒たちと共に樹は補導されたことがある。市内のどこかのマンションで、違法ドラッグをやっていたという噂だ。
樹は新光の誰かに恨まれているのかもしれない。樹たちが補導されたあと、新光の生徒たち数人が逮捕された。
「知らないよ」
自分でも情けないほど、小さな声になってしまった。
「神罰だって言ってるだろ!」
翔太郎が叫ぶ。
「何、言ってんだ?」
「ガキみたいなこと言うなよ」
そんな声がぼぞぼぞと上がったが、やがて、誰もが押し黙った。スマホも財布も家に置いたままいなくなったという樹。翔太郎の想像を否定できない不気味さが、樹の失踪にはたしかにある。
「やだ、人消しゴム?」
女子の誰かが言った。
小さな声だったのに、薄暗い廊下に呟きは染み渡った。
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