第8話
帰りのバスの中で、颯真は寝てしまった。樹たちの脅威がなければ、こんなに平穏に時間が過ぎていくのだ。
目が覚めたのは、バスが幹線道路から学校へ続く道に入り、桜の木の向こうに校庭が見え始めたときだった。
「なんだよ? あれ」
運転手に近い窓際に座っていた生徒の一人が言い出して、バスが学校に近づくにつれて、そういう声は数が増えていった。
「なんで? なんで机があんの?」
「おもしれー。あれこそオブジェじゃね?」
「ゲイジュツ作品!」
「意味わかんない」
「誰の机だよ」
「誰がやったんだよ」
そんな声がうるさくて、颯真も窓に目を向けた。
校庭と道路の境に植えられた桜の葉が途切れた隙間から、はっきりと校庭が見え始めた。
乾いた白っぽいグラウンドの真ん中に、机と椅子が置いてあった。スチール製の、生徒が使っている机と椅子だ。
机の表面が日に照らされて光っていた。たしかに、それは何かのオブジェのようだった。
机には、横にフックがある。鞄をかけるためのフックだ。フックには、ギンガムチェックの靴袋が下げられていた。それが、ときおり吹く風に揺れている。その理由を、颯真は知っている。靴袋に中身はないから、揺れるのだ。
カッと頭に血が上った。
あの机は、自分の机だ。間違いない。あの靴袋は、自分の物だ。
バスが学校の中に入った。正面玄関から、駐車場へと進む。
「誰の机だよ」
依然、バスの中は、机の話題で持ちきりだ。
「なんで、校庭に置いてるの?」
「出てけって意味じゃねえの」
「マジ」
「きっつい」
「あたしのじゃない」
「俺のでもない」
「あの靴袋って、誰?」
「わかんない」
順番に生徒たちがバスを降り始めた。
「おい、どけよ!」
颯真は横に座る蒔田に、怒鳴った。グズグズと荷物を準備する蒔田に苛立つ。
「イテ!」
蒔田を跨いだとき、蒔田の足先を踏んだが、それどころじゃなかった。早く机を元に戻さなくては。
「なんだよ」
「何、急いでんだよ」
降り口へ並ぶ生徒たちに文句を言われながら、颯真はバスを降りた。
校門へ向かう生徒たちとは反対に、校庭へ続く渡り廊下を走る。校舎に沿って造られている花壇が途切れたところで、頭上から声が上がった。
「颯真くーん、おかえり~」
見上げると、三階の窓に何人かの生徒が体を乗り出して下を覗いていた。二組の教室だ。
声を上げたのは、悠人だ。
「今日から颯真くんの教室は、校庭の真ん中と決まりましたー!」
ドッと笑い声が弾けた。女子たちが、きゃあきゃあ騒ぎ立てる声も聞こえてくる。
「もう、教室に、颯真くんの場所はありませーん」
無視して、颯真は走った。
乾いた校庭の砂を巻き上げて机にたどり着いた。掃除のときにそうするように、机に椅子を上下逆さまに載せて、両手で抱えた。
重くはないが、抱えたまま走ることはできない。のろのろと、校舎に向かって戻る。
「なんで戻すんだよー。おまえの席は、今日からそこだぞー」
樹の声だった。
「戻ってくんなー」
「座れー」
誰の声だかわからない。
机の脚が膝に当たって痛かった。逆さまにした椅子の脚も、足を進めるたび、当たる。
「こらー! 何やってんだー!」
教師の怒鳴り声が響いてきた。窓に集まった生徒たちの後ろに、担任の禿げた頭が見える。
「さっさと戻れー!」
担任の秦野が、颯真に向けて怒鳴っている。
違うだろ。
怒鳴るなら、こっちじゃないだろ。
なんで、怒鳴られなきゃならない。
校庭に机を置いた犯人探しをしてくれよ。大人なら、そいつをちゃんと叱ってくれよ。
担任が出てきたせいで、イベントはお終いになったのか、窓に集まっていた生徒が一人二人といなくなった。
ようやく花壇のところまで戻った。まだここから階段を上らなきゃならない。
「ゴクローサン」
樹だった。窓の桟に両肘をついて笑っている。
「――消えろ」
颯真は呟いていた。
「何? 聞こえないよ」
笑いを含んだ声で樹が返したとき、担任がふたたび窓際へやって来た。
「窓を閉めろ!」
颯真を一瞥し、樹が窓を閉めた。
「消えろ!」
もう一度呟いた颯真の声は、静かな校庭に紛れていった。
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