第2話

「残念でしたー」


 たーの部分に笑いが含まれている。息も切らしていない健は、余裕の笑みで颯真を見下ろした。健は、頭一つ颯真よりも背が高い。


「おまえ、いいところに逃げ込んでくれたよ」

 後ろから樹の声がした。

 振り返らず、前へ進もうとして、健に遮られる。両手を広げた健から逃げられそうにない。じりじりと後ろへ押されて、ついにグイッと、腕を掴まれた。腕を掴んだのは、樹といちばん仲のいい、そして樹より凶暴な悠人ゆうとだった。


「は、離せ」

 無駄だとは知りつつ、颯真は呻いた。

「なんだよ、その目つき」

 妙に甲高い悠人の声が響く。

「おとなしくしてよ。今日は特別おもしろいことやろうと思ってんだからさあ」

 今日、樹が引き連れているのは五人だった。悠人と健、そして大雅。残りの二人は、中学になってから一度も口をきいたことのない、名前すら知らない生徒だった。おとなしくて目立たないタイプの二人。

 樹が顎をしゃくって、おとなしい二人に合図した。

 両側の二人は、もし、樹とつるんでいなければ、颯真だって負けないほど弱いタイプだ。それがわかっているのに、二人の嘲笑う目つきについ怯んでしまう。

 

 一人のほうが紙袋を持っていた。その中から、何やら取り出す。

「よし、体を抑えてろ」

 樹の掛け声とともに、一人に右手を掴まれ、もう一人に左手を掴まれた。思わず、すがるように大雅を見てしまう。だが、大雅の目の中には何も見つけられなかった。まるで、退屈な動画を眺めているかのよう。

 颯真は、自由な脚をばたつかせた。ただやられっぱなしは嫌だ。いや、そうじゃない。このあと何が起きるのか、恐怖でもがかずにはいられない。

 

 中二になった4月の始めからほぼ半年、颯真は樹たちに様々ないたぶられ方をしてきた。はじめはパシリをさせられた。そのあとは金を貢がされた。そのほかにも、靴の中に犬の糞を入れられたり、体育の授業のあと、着替えを全部盗まれたり、反対に、女子の下着を机の中に入れられ、変態の汚名を着せられたり。ツイッターを使って、なりすましの嫌がらせもされた。クラスのラインでは、別のグループラインで悪口を拡散された。

 どれも不愉快だったが、やっぱり、実際に体に感じる痛みを伴う場合のほうが、辛い。

 

 そして、この二週間ほど、樹にどんな心境の変化があったのか、颯真をいたぶるのは、放課後と決まった。

 何かのきっかけで、樹は手下たちに号令を出す。すると、手下の健を先頭に、颯真を追いかけてくるのだ。逃げても逃げても執拗に追いかけてきて――といっても、颯真はそれほど遠くまで逃げ切れるわけじゃないが――捕まる。

 

 そこからが地獄だった。ここは地方都市のありふれた小さな町だ。幹線道路にそれなりに車は多く、大型ショッピングモールもそれなりに賑わっている。そんな町で、あるときはリュックサックを道路の真ん中に投げられ拾わされたり、ショッピングモールのトイレで鍵を掛けられ閉じ込められたり。


 樹はただのワルじゃない。知恵が働き底意地が悪い。ありとあらゆるいたぶりを思いつき、手下を使って仕掛けてくる。

 

 目の前で紙袋から、縄が取り出された。白い、人差し指ほどの太さのロープだ。

「おお、結構長かったじゃん」

 ロープを見ながら、樹が満足げに言う。

「やるなあ。これ、校旗を上げるときのだろ?」

 嬉しくてたまらないといった表情で、悠人がおとなしい二人に顔を向ける。校旗からロープを切ってきたのだ。慌てて切ったのか、切り口がほつれて広がっている。


「先生に見つかりそうになって、逃げたんだけど」

 おとなしい二人組の一人が、辛そうに呟く。

「見つかったらおまえの責任だよ」

 おとなしい二人組の表情が凍りつく。

 そんなやり取りを、大雅は無表情で聞いていた。小学校のときは、いじめられっ子を率先して助けていた大雅なのに。


「やれよ」

 樹が言った。おとなしい二人組が弾かれたように動き出し、颯真にロープを巻きつけてきた。

「や、やめろ!」

 もがいたが、悠人と大雅に強く両手を掴まれているせいで身動きができない。


 一体何が始まるんだ。

 いつになく、樹の目が光っている。口元は半開きだ。

 まずい。樹がこの表情になったとき、いたぶりは度を超す。


「ぐわっ」


 抵抗したせいで、腰に巻かれたロープが、制服のシャツ越しに腹へ食い込んだ。

 冗談じゃない。ロープでぐるぐる巻きにする気か? そして土手からでも転がすつもりか? 


「大雅! やめさせろよ! 大雅!」

 颯真は怒鳴ったが、大雅はますます強く腕を掴む。

 と、ロープは颯真の腰を四周して止まった。息苦しいちょっと手前だ。ロープはまだ残りがある。

 樹がロープの先を掴み、放り投げた。

 三メートルほど先に、ロープの先端がストンと落ちる。


 悠人が、おとなしい二人組に、

「代われ!」

と怒鳴った。

 悠人の手の代わりに、二人組に片手を掴まれた。その瞬間、二人の手が、ぬるっと滑りそうになった。掌にびっしょり汗をかいているのだ。その濡れた掌が、鳥肌の立った颯真の腕を掴んでいる。

 悠人はしゃがみこみ、紙袋に手を入れ、何か細長いものを数本とテープを取り出した。そして、伸びたロープの先へ進む。


 あれは、何だ?

 悠人はしゃがみこんだまま、作業を始めた。ロープに細長い何かを、テープで先端から順番に付け始めたのだ。

 細長いものは、赤や緑のカラフルな棒だった。先が少しだけ太くなっている。

 

 花火だ。


 そう思ったとき、悠人が振り返った。手にはライターがある。

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