第9話 発情濡れ濡れウサギ


 由羽愛ゆうあのスマートウォッチが最後の信号を残した地点まで、あと数十メートルまで来た。

 ダンジョンの最深層は広く、徒歩で踏破するだけでも数日はかかる。それを、モンスターと闘いながら進むのだ。

 光希こうきたちがたどり着いた地点と、由羽愛ゆうあがいると思われる場所とが存外近かったのはラッキーだった。

 ダンジョンの通路を注意深く進む。


 おそらく、あそこの角を曲がれば――。


 光希は、角の壁に背中をつけて貼り付いた。

 不用意に角を曲がればどんなモンスターにどんな攻撃を受けるかわからないからだ。

 壁に背中をつけたまま、パッと一瞬だけ顔だけを出して角の向こう側を見る。

 実際の特殊部隊でも採用されている索敵方法だ。


 ――いたっ!


 たしかに、いた。

 そこには女子小学生の、小さな身体が横たわっていた。

 一瞬だからわからなかったが、腐敗などはしていないようだった。

 まだ生きている可能性がある。

 だけど――。


「どうした、マスター、どうだった?」

「……やけに、ふかふかの毛皮でできたようなベッドに寝ていたぞ……? それも、身ぎれいにしていた……」


 予想外のことすぎて、少し混乱する。

 どういうことだ?

 由羽愛ゆうあ自身がここに拠点を築いた――ということはほぼ考えられない、ここはダンジョンの最深層、地下十五階で由羽愛ゆうあはまだ十歳の女の子なのだ。

 いったい……。

 確認しなければ。


 もう一度、同じように角に背中をつけて、パッと顔を出すと。

 すぐ目の前、数十センチのところに、満面の笑みを浮かべた十代半ばくらいの少女の顔があった。


「やあ」


 凄みのある笑顔で挨拶する少女、


「………………!」


 光希こうきはさすがに驚いて、飛びさがる。


「マスター、どうした?」

「おそらく、敵だ。戦闘準備!」


 それを聞いて、ミシェルは細身の西洋剣、レイピアを両手に構えた。


「あっれぇ? うーん、挨拶に剣で返すのは、マナー違反だよ?」


 光希たちの目の前に現れたのは、魔法使いの少女だった。

 魔法使い、そうとしかいえない。

 伝統的な伝説にのっとったような三角帽子に複雑な模様の豪華な装飾を施された黒を基調としたワンピース。

 黒いハイヒールをはいてはいるが、その足は地面に届いていない。

 ほんの数センチ、地面から浮いているのだ。

 浮遊術を使える魔法使いなど、高難易度モンスターでしかありえない。

 しかし、その見た目は、どこからどう見ても人間の少女にしか見えない。

 モンスター?


「…………人間では、ないよな?」


 人の形をしたモンスターなど、いくらでもいる。

 ミシェルだってそのウサギのような耳と尻尾さえなければ人間と違うところなんてほとんどないのだ。

 魔法使いの少女は、屈託のない笑みで言う。


「人間だったことも、あるよ? もう何百年も前のことだけどね……」

「人間から、モンスターになり果てたのか……」

「違う違う。人間から進化したんだよ、……魔女にね」


:きジムナー〈魔女?〉

:リャンペコちゃん〈魔女って、あの伝説の魔女か?〉

:見習い回復術師〈魔法を極めた人間が次なる進化を遂げた存在だぞ?〉

:みかか〈人類史上で数えるほどしかいないはずだけど……〉

:エージ〈本当に魔女だったら討伐難易度Lv40くらいあるぞ、個体差あるけど〉


 その魔女は、明るい笑顔で言う。


「自己紹介しておこうか? 私の名前はササノ・ツバキ。元は日本人だったこともある、魔法を極めし最強の魔女さ」


 とりあえず、人間ではないことはわかった。

 こいつと、コミュニケーションはとれるのだろうか?

 コミュニケーションをとったところで、戦闘は回避できるのか?

 光希はしばらく逡巡する。

 なにしろ、本当に伝説の魔女だというのならば、この会話自体にもなにか罠がしかけられているのかもしれない。


「おや? 君、疑っているねえ? さすがだよ。私くらいになると、見ただけでその人間の才能と可能性を判別することができる。君は、いいね。ふふふ、本当にいい。数千万人に一人。そのレベルのポテンシャルを秘めている」


 魔女。


 あらゆる魔法を極めたという、究極の魔法使い。

 それが太古の魔法を使って自らをモンスター化し、さらに強大な魔力を手に入れた存在。

 ササノ・ツバキという名前には聞き覚えがないが、知られていない魔女もいるのだろう。


 だが。


 魔女にしては、強烈な違和感をこの目の前の少女は発していた。

 古代の禁忌の魔法によって、自らの肉体を若いまま保つ。

 それが魔女と呼ばれるための条件の一つだ。

 しかし、光希の鋭い観察力はその違和感を見抜いた。

 光希は柄だけの剣を構え、言った。


「……お前、その肉体は、本物じゃないじゃないか。霊体だ」


 ツバキは一瞬目を見開き、そして嬉しそうに笑った。


「あははははっ! さすが! 君は本当に目がいい。物事を判断する力があるよ! その通り! 私は現実の肉体をすでに失っている。死んだといってもいいだろう。だが、私はまだここにいる。霊体としてね。こんなに完璧に具現化した身体に騙されず、それを見破るなんて、君は本当に素晴らしい探索者だよ」


:ポッポッポー〈……霊体? ってことは……こいつ、魔女のレイスってことか?〉

:時計〈魔女が死んで、レイスとなって蘇ってる?〉

:光の戦士〈輪魂の法か!〉

:小南江〈レイスって……つまり幽霊ってことすよね?〉


 コメント欄がざわつく。

 光希自身、ゴーストやそれに類するモンスターとは数えきれないほど戦闘を行ってきたから、それ自体は珍しくない。

 しかし……。


「魔女ってだけでも珍しいのに、その魔女のレイスとは……」

「ふふふ、君は実に興味深い。私は名乗った。君も名乗るべきではないかな?」

「……梨本光希だ」

「コーキ、ね。君からすばらしい能力を感じるよ。そしてそっちの発情濡れ濡れウサギは?」

「……ミシェルだ。だが今は濡れていないぞ、戦闘中は干からびウサギだ」


:♰momotaro♰〈草〉

:パックス〈まあこいついつも発情期だからな〉

:積乱雲〈待て、濡れてる時もあるのか〉

:音速の閃光〈ほんと、ミシェルはいつも光希にベタベタベタベタしてるからなあ。濡れてたとしたらちょっとキモ〉


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