第4章3話 あの女 あの部屋 あの土地

 そしてグラシアの街を出て数日。ついに馬車の窓からはアスカリの街が見え始めた。俺はなぜかアカンサと同じ馬車に乗っている。まあ、こいつの指示だが。アカンサは窓を開き、身を乗り出して風を受ける。


「もうすぐ到着ですわね」


 俺はアカンサの言葉に返事をすると外を眺める。そこに広がっているのは広大な平野であり、大きな山がそびえ立っているのが見えた。アスカリの街…………4年ぶりか。俺たちはアスカリの街に到着した。街の門を抜けると、そこに広がっていたのは活気に溢れた風景だ。あちこちで商売の声が上がり、人々は忙しそうに動き回っている。馬車を降りた俺たちはその中を歩いて行く。


「宿泊先は我が家の御屋敷となっておりますのでごゆっくりおくつろぎください」


 アカンサはそう言い残して去っていく。あいつも仕事があるらしい。まあ、俺たちは伯爵家の屋敷でゆっくりさせてもらうとしよう。アカンサの言葉に甘えて俺たちは伯爵家の屋敷に到着した。


「すごい大きい」


 セレナは目を丸くして驚いているようだ。確かに大きなお屋敷だな。屋敷の前には門があり、その前には門番らしき人物もいる。俺たちに気づいたのか近づいてきた。そしてアカンサの馬車を確認して敬礼だけしている。

 あらかじめ連絡を入れていたのだろう。アカンサがいることで門も顔パスだ。門を抜け屋敷の中に入って行く。


「お帰りなさいませお嬢様。それから…………アクイラ」


 次に出迎えてくれたのは若いメイドだった。長い黒い髪、そして優雅な紫色の瞳が特徴的だった。


 彼女はメイド服を身に纏っており、黒色のシルク素材で作られたブラウスだ。袖口や衿元には黒いレースが施されていた。そのブラウスが彼女の体にぴったりと沿い、彼女の美しさを引き立てていた。


 下は黒のタイトなスカートで、シンプルなデザインながら、しなやかなラインが美しい。そのスカートは彼女の足元から流れるような美しさを放ち、彼女の仕草に品格を与えていた。


 彼女の足元には黒のパンプスがそっと添えられていた。シンプルながらエレガントで、長時間の立ち仕事でも快適に過ごせるデザインだった。そのパンプスが彼女の足元を彩り、彼女の美しさを一層際立たせていた。


 俺は出迎えてくれたその女を無視した。そして彼女に声をかけたのはアカンサだった。


「…………」

「戻りましたわセリカ。こちらはあたくしのお客様だからまずは客室に案内してあげてくださいな。それから、アクイラは…………わかっていますよね? それからは本日は移動疲れもあるでしょうしお屋敷でゆっくりしてください。食事やお風呂も近くの使用人などに声をかけてご利用くださいね」


 アカンサが言っている俺の宿泊先に、俺は心当たりがある。


「…………まだあるのか?」

「あの時のまま、綺麗にしています」


 俺の言葉に、あの女が答えやがる。俺は「そうか」と返事をして言われたまま…………俺の部屋に向かって歩いていく。


「それでは皆様はこの私、セリカがご案内いたします」


 ルーナ達は普段の俺と違うの様子に戸惑っている。本当に悪いと思っているが、俺の問題には関わらないでほしい。それほどまでにここには来たくなかった。それでも、ルーナの親の敵がいるかもしれないなら…………俺は来るしかなかった。


 俺は伯爵家のお屋敷にある使用人部屋の一角に向かう。


 ドアのネームプレートに記載された名前は昔のままだ。俺はドアノブを握ると、ドアは簡単に開いた。部屋に荷物を投げ入れると、俺はドアを強く閉めた。


 その後はしばらく何も声が出なかった。…………俺はもう一度ドアを開ける。出て行った時と変わらないその部屋は…………まぎれもなく俺の部屋だった。


 俺の部屋はホコリひとつなく綺麗に掃除されていた。机やベッドのシーツも洗濯され、皺一つない綺麗な状態だ。そして、俺の服は全てクローゼットにしまわれている。本当に何も変わっていなかった。俺はベッドの上に座り込むと頭を抱えた。


 ……ここは俺が全てを捨て去った場所だ。ここに二度と来ることはないと思っていた。そんな場所だったはずなのに……。


「アクイラ」


 部屋の外から声がかけられる。あの女の声だ。俺は返事をせずにただ黙って座っていた。すると、ドアが開きあの女が部屋に入ってきた。彼女は俺を見ると何かを決心したようで口を開く。


「その…………おかえりなさい」


 俺はその不安げなお帰りの言葉に…………それを聞かなかったことにしたいかのように、彼女に背を向けるようにベッドに横になる。

 

「……………………………………………………さっき聞いたよ」

「そうね、ごめんなさい」


 彼女はそう言って何も言わない。足音が聞こえる。近づいてきている。彼女は俺の顔を覗き込んでいた。とても不安げにとても寂しそうにとても…………嬉しそうに。


「アクイラ」

「……なんだよ?」


 俺が返事をすると、彼女は俺に向けて笑顔を向ける。その笑顔が妙に懐かしくて胸が苦しくなる。彼女の目はまっすぐ俺に向けられていた。


 俺はそんな彼女を見たくなくて、もう一度顔を背けるように横になる。彼女は何も言わずに部屋から出ていった。俺はそのまま目をつぶって……何も考えたくないように眠りについた。


 目が覚めると、俺の腰回りに何かが引っ付いている。慣れた感触に気付いた俺は身体を起こし、見ると部屋にはルーナがいた。俺はルーナの顔を見て嫌な気持ちは少しだけ晴れた。


 ルーナは俺のベッドに入り込んですやすやと眠っている。その寝顔を見ると俺もまた幸せな気分に浸ることができた。俺が頭を撫でてやるとルーナの耳がぴくぴくと動いて、ゆっくり瞼が開く。


「アクイラ」

「おはよう、ルーナ」

「おはよぅ」


 まだ寝ぼけているようで舌っ足らずな声で返事をするルーナに俺は思わず笑ってしまう。そんな俺の顔を見た彼女は頬を膨らませて不満げだった。


「なんで笑うの?」

「かわいいなと思ってさ」


 そんな俺の言葉にも納得できない様子だが、それでも可愛いと言われて嬉しかったのか顔をスリスリと擦り付ける。嫌な思い出ばかりのこの土地で、一つ悪くない思い出が手に入った気がする。


「アクイラ」

「どうした?」

「お腹減った」


 俺が起きるのをずっと待っていたらしい。俺は彼女の頭を撫でながら起き上がると、ルーナも俺にくっついてくる。食堂に向かうことにした。

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