第2話:反喩世界

「これじゃあ作品になっても研究にはならないよ」比喩を具象化しその心理的効用を確かめるという論文の中間報告に対して、教授の批評は一見すると的を射ているが、それもデカルトのような普遍の真理とは相異なる気がして落ちない腑を部室に持ち込む。科学的厳密性と文学的奔放性からピザのように伸ばした脳髄は視界を眩ませて足取りを不安にする。その足元を救ったのは紛れも無い私自身だった。

「お疲れ様ですこんにちはハロー」天気予報とは裏腹に降り出した雨から逃げるように部室棟へ駆け込むと、昨日と同じ四人が菓子を摘まみながら作家気取りの台詞を交わしていた。早朝から全員集合する程暇と友愛に塗れた一角、私も暇人として席に着くと「そう言えば入部申込書への署名がまだだったね」月梨が棚下に隠れたファイルを引き抜き、「囲い込むようで申し訳無いけど入部にあたって役職を持って欲しい。掃除とか」渡される紙に添えられた菓子屑から仕事を増やすなと吐きたい台詞は押さえ込む。ふと本棚の左側に違和感を覚え、息の詰まるような心地で筆記用具を探すと地曳が吉凶と占いの書かれたペンを手にしていた。

「その御神籤みたいなシャーペン貸してくれますか」手を伸ばしたその一瞬、瞬きの隙間を縫うように長方形の一片が差し込まれた。錯覚だろうと思い過ごした掌は黒鉛の感触を忘れており、目的を失った二人が机上を見下ろす。

「オ、こんな正月気分誰が持って来たんだ?」簡素な造りの大凶を拾う地曳に対し、「わたくしは違います。誰とも知らない差出人の指示書を読む気は無いので」華美が意外かつ聞かれてもいない信仰心の弱さを告白すれば、また何も無いはずの空間から一枚の書類が現れた。風に運ばれたようには見えないそれを裏返せば文脈を裁断する字が並び、「……………………」室内に少しの奇怪が流れる。

「…………グラファイトならそこにある……」話の濁流を考えない都成が初心を返す先は棚奥に移る文房具入れ、しかし期待とは裏腹に立て掛けられるのは加工を諦めた黒鉛その物だ。「工芸部でも無しに何故こんな材料が」訝しみつつ薄々勘付き始めた部員を代表して、月梨が部長らしく宣言する。

「この紙切れがまるでSF小説のように映る」その選言に合わせて机の上の御神籤が一匹の生から太陽系全体を占う物語へと生まれ変わる。否定しようのない事実を突きつけられた私達は眼を合わせ、どうやら比喩が比喩でなくなる現象界に取り巻かれたことを知る。この現象を便宜上「反喩」と名付ければ反喩は部員全員の音声を対象とし、外の世界に騒ぎを伝えようと手を掛けた扉は機能を放棄しており、私達修会は魔法の檻に閉じ込められた仮想読者の見世物となった。

「わたし達の修辞趣味が言葉遊びを超えて、現実に力を及ぼすようになった?」日頃の活動成果が漸く形になると素直に喜ぶ者は無く、六畳一間の部員は微笑を隠せない者と戸惑う者に分かれる。どうしても納得いかない面々が直喩を連呼し構成主義を確かめながら、その喧噪の中でさえ我関せずの都成がぽつんと浮かぶ。

「繭さんは得体の知れないブラックボックスだから」滅多に口を利かない華美が気を利かせた途端、斜め前の少女が消えた。消えた後になって「は、しまった」己の発言に暗喩が含まれたことに気付く。暗箱と化した都成は生前と変わらない静寂を放つが「繭何処行ったァ?」月梨の出動命令が放たれると「……あたし、目の前にいるけど……視えていない?……」恐らく突伏状態と同じ目線、同じ抑揚で声帯だけを変えた台詞が確かに届く。何と反喩化した者は調音器官を失いながら匿名性を高めた声で応答出来るらしい。

「良かった、言葉のナイフも心臓までは刺せないと。ということは」安堵する部長の右手に前言撤回を促す武器が現れる。「コップのような包容力でわたしの気持ちを受け止めて」思い付きを投げられた直方体は赤面でも暗黒面でもない表情を演じた。即ち都成は透明なグラスへと生まれ変わり「別に……部長のことそこまで好きじゃないけど……」愛の告白は光と同じ屈折率で受け流された。

「仕方ないな。じゃあ花瓶のように美しいそこの嬢さんは?」本命から願ってもない誘いを受けた華美は「え」歓喜の舞を躍る間も無く陶器製の曲線美を描いた。プロポーズとしては華に喩える方が望ましいように思うが、王道から外れるのもまた華道の醍醐味だろうと素人評論家は評する。

「物質化しても意識は明瞭ですわね。あ、そんなに視ないでおくれまし」中身を覗かれ痴態を晒す遊女に構わず、部長は強気な仕草で濡れた蜜壺を掻き乱す。一方の舞台装置と化した都成は無機質な生を嫌がる素振り無く、私達も面白半分で放置することにした。以上のことから反喩化は死に至るまで自在に行え、複数名行われた場合は声だけの判別が不可能であることが分かった。

「全く茶の女は身内に容赦が無えな」恐らく髪色から強引に結ばれた形態素は油断した月梨をティーパックに変え、都成と似合うその姿から嫉妬に割れ目を入れかねない乙女な花瓶を配慮した。「おい、わたしを茶化すんじゃない」実際に湯を注ぎ飲み干せば動物時代に戻るかどうか、茶柱の立たない憶測についてはお茶を濁して茶の間に戻る。まともに着席する唯一の動物はケラケラと笑い転げて茶番劇を楽しむ。

「……二人は水と油…………今までよく一緒に居られたね……」ガラスに反射したような音は茶袋の芳香を抹消し、寂びを失くした詫びとして自身の中に二人を招いた。どちらが炭素を含むか恣意的に思えたが「何か重くて窮屈だけど最近太った?」「オイ、やりやがったな繭お前。フラフラして落ち着かねぇ」この順で慣用句が成り立つことが分かった。

「歩夢さんみたいなしつこさですね」第三者が覗けば無機物相手に独り言つ危うさを打破すべく、相手の上に立たないと気の済まない性格を尊重して言う。予想通り地曳は五秒前までの骨格に戻り「元のオレにも戻れるのか」胸部の膨らみの喪失という一点を除いて健全だった。生来のマチズムもあって本人は無自覚だが、この世界では男性限定の一人称と設定される「俺」が身体を男性化したのだろう。

「桜さん、銅像みたいにぼうっと立ってないの」月梨と思われる文体は虚しい反喩応酬の矛先を華美に変え、矛と盾を突き合せたような指令は勇壮な造形へと不動を続けた。「わたくしこんな姿は御免ですわ」大衆誌とは相克する美の概念に不平を言うと「…………じゃあクーラーボックスみたいにクールになろう……」考える頭の無い透明容器が適当な事を言う。「ペットボトルのように軽々しい言葉ね」水面に揺れる月梨が水を差すと都成の硬い表情が柔らかくなり、内容物と共に新たな商品へ生まれ変わった。

「お前ら何やっているんだ。無い足を引っ張り合って」地曳が他人事のように眺めると「わたくし一口だけ晃さんを飲んでみたいです」経口の余地無い造形が大胆に罪を告白し、「折角なら華美の中で冷やしてみたら。それもある意味で飲んだことになるだろうし」意味の分からない提案が投げられると「わたしは別に良いけど」悪い気はしないらしい月梨と都成が審判を待つ。何故か私が手を下せという視線を感じて恐る恐る二人を冷気に落とす。

「月梨さん居心地は如何ですか?」五分寝かせた後に問い掛けると返事が聞こえなくなった。本当に寝たのか遮音のせいか「おぅい部長?何とか言ってくれますか」暫く経とうと音沙汰無く、そこで私は月梨が「冷たくなって」しまったことに気付く。

「あれ、どうしてこんなことに」クーラーボックスから溢れる冷えた後悔に私も同調する。どうやら反喩は言表のみならず行為まで反映されるらしく、死を暗示する言動は私達を黄泉に導くことが分かった。「晃先輩のことがずっと好きだったのにあんまりだ」涙のように結露を流す華美の中のボトルは「……氷になったら…………もう部長とは呼べないのかな……」同様に冷たくなったはずが健康的な声を聞かせる。何故だと思い見回すと箱の外にもう一本のボトルが転がっており、近寄れば「…………じろじろ見ないで……」という反応から、一般名詞の反喩は部室内の全てに適用されるらしく都成が二つの身体を共有することが判明した。さてどうしよう、言葉遊びの末に部長が死んだ。


「月梨さんのように綺麗な水ですね」下手に反喩化を試みようと部長は現れず、一度死んだ者が甦る程の自由は無さそうだ。しかし温度の如何が死の原因とすれば暫く放置しあの頃の熱を思い出すことで息を吹き返すのではないかと思い、回復してきた天気に合わせて蓋を開けつつ陽の下に置く。

「わたくしが蒔いた種ですわ。歩夢さんという名の種を」責任まで撒播したような口振りは肉食獣を踏めば潰せるサイズに圧縮した。種も仕掛けもない現象の被害者は「オイ桜今度はお前か。花として儚く散ってしまえ」言うと念願叶って花卉に化ける彼女はその華麗な姿を魅せる相手も無く、ただ萎れた茎で未来の種を睨んだ。「ホラお前も丸まってないで、この団子女」弄られたはずの都成は「……歩夢がそこまで言うなら……」ぶつぶつ呟きながら串団子となり態度の甘さを際立たせる。花より団子が好きな私は「華美さん意外と肉付き良いですよね」生身を前提に追加注文すると花弁は砕け生肉が残り風情の一切を失った。最も死の相応しい様相を浮かべるが「乾いた魚のような眼を向けないでくれる?」元気そうな文体で怒りが団子に飛び火する。特に相手をしない都成に「そのまま骨になってしまえ」勢いから口にした禁句は現実化し身包み剥がされた魚体の骨が浮かび上がる。これぞ骨肉の争い、と洒落込む場合ではなく「また死んじゃったんじゃない?」焦って呼ぶがどんな応答も無い。室内に他の魚類が泳ぐはずもなく新たに帰らぬ仲間が生まれた。

「簡単に殺すなよ、ただでさえ部員不足なんだから」弔意を伴わない狂気の地で「流石副部長、小規模サークルの雑草魂ですね」水遣りした種から青々しい肢体が生える。部長はそろそろ甦ったかと墓を掘り起こす際、人格を排したペットボトルが倒れ中身の死体が溢れてきた。丁度周りの障害物に挟まれて川にも映える構造から何か発想した植物の「オレに任せろ。まず橋を架けてオレと都成を台車に乗せろ」雑草の割に偉そうな態度に従って橋梁のミニチュアを組み立てる。道草をしている場合か知らないけど。

「サァこの三途の川を渡ろうではないか」準備を整えて初めて、三途の川を渡ることで生死を逆転させるという野草の狙いが理解された。反喩に反喩で対抗する謂わば反々喩、死者への直接対処は効かないがこれは如何だろう。「あ、オレはこの位置で頼む」舞台に拘りのあるらしい草の根役者は遺骨となった都成の背後を求め、これで御隠れになるとか何とか、高慢と狡猾はそのままに脱力する。

「では出航」シュレディンガーの草を対岸に運んだ直後、私は己の迂闊さを自覚する。「………………ん、少し寝ていたかな…………」確かに水を得た魚は此岸に舞い戻ったが、代わりに生気を失った名無し草の枯死体が倒れていた。蘇生のことばかり考えていて順方向の川渡りが思考から飛んでいた。繰り返し呼び掛ける吐息にも葉脈を揺らすだけで息の根は確かめられない。

「念の為確認。今いる人は誰?」不慮の事故で他に死者がいないか問えば「……あたし」「わたくし」表面的には計算通りの一人称だが、目的は脇に置くとして匿名的な声から偽装される可能性もあり、生前から隙を突いて反喩人間化した線まで考えれば愈々混乱するが、今は二人を信じるしかない。運命の曲がり角が近付いてきた。


「……これからどうするの…………あたし達も殺して修会を乗っ取る?……」状況を察する魚心は人間の脳味噌には及ばず、「私に殺人趣味は無いから。兎に角鍵を握るのは死のメタファーか」犯人不在からして探偵気分さえ味わえない無情を語りながら、ふと触感が訪れた右手には金属片が収まり、「語彙の引き出しを可視化出来たら」自然と口に出した家具は見事鍵穴付きとなり、中を覗けば危なっかしい表現がずらずらと並んでいた。

「何も語らなければいいわ。空白こそ至上の美よ」芸術を勘違いした花畑並列分散処理には「石頭な考え方は止めましょう。斜め上に文脈を紡いで今際の二人を驚かせたい」自覚的な反喩は華を引き立てる側の小物となり、「銅の次は石。もっと柔らかい物が良いですわ」それなら自己言及的な反喩を唱えれば良いのにと不思議を覚える。「……別に普通に生き返らせれば…………」魚は他山の石より海洋由来の生命性へ興味を示した。

「折角なら歩夢さんを埋めてあげたいですわ」それよりと前置きして二転三転する話題は倒れた雑草に向かう。唯物論が常態化した世の中では必然と物への憐れが高まり、喋らない遺体はゆっくり安眠させたいと思った。

「すると培養土が必要だけど」観葉植物に理解の無い部室において土砂の類は見当たらない。「ねぇ華美、土になってくれない……………………?」ローリングストーンの行先は粒度を落とした地の向こう、魚の懇願で土色に染められた少女は文句を言わなかった。それどころか他の文言も吐かない、まさかと思い土を攪拌するがハラスメントも訴えない。おいおい「土になる」も死の暗喩として解釈されるのか。

「都成さん殺らかしましたね」仕方無いけれど責任を問えば「………………ん?」まだ気付かない様子なので「あなたが華美さんを殺したんです」事実を告げるとそれでも理解不能な顔で呆けた。

「加湿器みたいに湿っぽい空気になってしまった」不自然な形容は全てメトニミーのせいにして、三人死んだ地獄窯で都成との時間が訪れる。せめて遺言は果たそうと培養土に地曳の根を植えると、感傷的な場面を演出するように雑草から芳しい成分が漂った。「アロマオイルのような優しい香り」人間を除けば死体の反喩化は幾らでも出来るようで、先刻植えた原材料はロフトで売っていそうな瓶詰に昇華した。折角なら最大限の哀悼を示そうと死臭を周囲に充満させる。名も無き雑草は空気として消えていく、届かない独り言はこの世の真理を表すに違いなかった。


「………………二人きりは初めてだね……」生命ある者が他に消えた今、魚が意外な語り口から仕掛ける。白けた時間が続くかと思えば予想の付かない自分語りが幕を開けた。

「…………あたし……実は歩夢のことが好きなの……」無感情な魚眼が告げるとリアリティに欠けてしまうが薄らとその気配は感じていた。

「……高校時代、あたしは歩夢の為に働き蟻のように尽くしてあげた…………」私を基準とすれば相当に長い年月を地曳との生活に捧げたらしい。だが過去の追想は別の意味で死を想わせるから止めて欲しい。

「……………………だけどあたしは井の中の蛙だった……歩夢には既に晃がいた……」独占したと思っていた先輩に隠された自分以上の相手、その発覚に対する虫の居所の悪さは容易に想像出来た。

「…………あたしは風船みたいに飛んでいきたくなった…………」大気圏を見上げ想いを伝える少女。

「…………あたしの不満は辞書のように重く積み重なった…………」大気圧に潰され想いを嘔吐する少女。

「…………あたしの描いたキャンディのような甘い夢は脆く砕けた…………」自己反喩を繰り返すのは躁鬱の症候だろうかと身構える。正直都成のケアより私の身の安全が第一だ。

「…………燃えるような衝動と狂気が止まらない……あたしは晃の代わりになれない……」嫉妬の火炎が点火した今、彼女が希死念慮の頂点にいるのは火を視るより明らかだった。

「………………この胸に揺れる命の灯火……消して」彼女は本命の願いを告白した後、連れ立った酸素と挨拶を交わす。私は人類が初めて炎を見つけた時のように暫く眺めてから、彼女のスイッチをオフにした。レトリックの魔性を取り払えば彼女の自殺を幇助した。

 果たしてこれで良かったのか。反喩に人間的な死の苦しみは訪れないだろうが、各々の物語が救済されるとは限らない。勿論今からこの寸劇を再上演する方法もあるが、私はこれ以上言葉の用法用量を間違えたくない。全てが望み通りになる世界はこれ程まであっけなく終焉する。

 ただ一つ不可解な点が残り、それは都成が華美を殺したことに自覚が無い件だ。煽りはしたが割合頭が良いはずの都成が土葬に理解を示さないのは、別の誰かが都成を演じたからではないだろうか。もしや遂に月梨が常温に戻ったか、そう思い環境ゴミベースの河川に立ち返るがそこに水は流れていなかった。私が推測するにこれはあくまで自然蒸発、とうとう彼女は蘇生を果たさず天まで昇り詰めてしまった。そうすると誰が犯人か、信用に足る語り手は推理に行き詰まる。

「……そんなことはどうでもいいとして」二日目にしてこのサークルとは縁を切ろうと思い入部申請書を破り捨てる。言葉の刃物はポケットに仕舞い、万が一に備えて素振りの練習をした。

「私はこの世界最後の鑑賞者」何処までも漂う死臭の中で、いつその時が来るのかと深呼吸した。

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レトリックサークル 沈黙静寂 @cookingmama

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