第4話 恋愛感情

 その人は、

「高橋つかさ」

 という女の子だった。

 同学年の女の子であるが、彼女の方は、普通に一年生の頃に、

「新入生」

 ということで、入部していた。

 だから、部活では、

「先輩」

 というものだった。

 部活において、

「学年よりも、年齢」

 という考え方であったので、

「浪人していて、年齢は上だが、学年が下という人は、分かっていれば、部活においては、その人の方が立場的には上」

 だということだった。

 だが、相手も、

「向こうが学年が上」

 ということを意識してしまうと、いくら、部で慣習的に決まっているということであっても、簡単に意識できるものではなかった。

 つかさも、高杉も、現役合格だということなので、年齢的には同じだった。

 となると、やはり、先に入部していた、つかさの方が、立場的には、上だということだったのだろう。

 元々、つかさは、そういうことにこだわる女性ではなかった。

 彼女は、どちらかというと、

「一匹狼」

 のようなところがあった。

 誰かと群れるというようなこともなく、絶えず、一人でいて、それが似合っているような雰囲気だった。

 だから、まわりの人も敢えて近づくようなことはなく、

「気が付けば、いつも一人でいる」

 という感じだったのだ。

 だから、どうしても目立ってしまう。

 そういう女性だから、きっと、男性は、

「一度は意識してしまうだろう」

 と感じた。

 しかし、皆、注目はするが、絡んでいくようなことはない。

 からもうとしていても、彼女の方から、避ける素振りがある。それは、本能的なものに思うので、それを見て皆、

「ああ、彼女は、違うんだ」

 と、何が違うのかということも分からずに、無意識に離れていくのだろう。

 そう思うと、高杉も、

「俺も一緒だった」

 ということで、皆と同じで、近づくことができない。

 それは、彼女に、

「結界」

 というオーラが見えているからなのかも知れない。

 そのうちに、彼女が、

「人と一緒では嫌だ」

 という性格なのだということに気付くと、

「どうして、そんなに本能的に、まわりから自分を避けさせることができるのか」

 ということが分かった気がする。

「避ける」

 というよりも、

「一定以上の距離を保つ」

 ということで、考えられることなのだろう。

 そんなことを考えていると、

「俺は、つかさのことを好きなのかも知れないな」

 と、感じるようになっていた。

 それは、

「相手に避けられれば避けられるほどに、こっちが意識させられる」

 というものであろう。

 といえるのではないだろうか?

 それは、彼女が距離を置くことで、他の人は、

「近づかないようにしよう」

 という意識を持っているということが分かっているのに、高杉の場合は、

「近づかないようにしよう」

 と考えているわけではなく、

「ここから先は、覚悟がいる」

 と考えたからだ。

 その覚悟が何かというと、

「好きになった人しか、入れない領域があるんだ」

 ということを意識したからだった。

 今まで、女性を好きになったことはあったが、いつも一気に告白して、

「玉砕」

 していたのだ。

 それは、

「どうせダメならダメで、早く諦めて、次に行こう」

 という、少し恋愛に対して、冷めた考えを持っていたのだ。

 それは、まるでゲームでもあるかのように考えることで、

「俺にとって、恋愛って何なんだ?」

 ということを感じさせる相手が、今までにはいなかった。

 そもそも、思春期に入ったのも、たぶん、まわりから見れば遅かっただろうし、女性への、

「異性としての感情」

 というのが芽生えたのも、遅かっただろう。

 自分でハッキリと、

「異性への感覚」

 というものを感じたのは、中学三年生の頃だった。

「受験の時期なのに」

 ということで、自分の中で、憤りのようなものがあったのを思い出したからだった。

 受験というものが、いかに大変なものであるかということを感じたのは、

「異性への感情が芽生えた思春期」

 だったからではないだろうか。

 思春期というと、親に対しての反抗期でもあった。

「自分は、もう大人だと思っているところに、まだまだ、自分を子供としてしか見ていない親に苛立ちを覚える」

 というものだ。

 大人になった経験がないのだから、そう思うのも無理もないことで、

「大人になったら、今の気持ちを忘れない大人になるんだ」

 と考えた。

 それと同時に、

「親だって、子供の時代があって、今の自分と同じ立場のはずなのだから、今自分たちが言っていることが、必要以上に子供を追い詰めるということをどうして分からないのだろう?」

 と感じる。

「大人になると、忘れてしまうのだろうか?」

 と考えるが、それは、

「目が覚めるにしたがって、夢をどんどん忘れていく」

 ということで、理論的にいえば、

「大人になるということは、夢から覚めて行っているということになるのだろうか?」

 と考える。

 いやいや、

「子供の頃の夢を、大人になって自分が叶えるんじゃないか?」

 と思っている。

 ということは、

「大人になるということは、自分ではなくなってしまうということか?」

 と考えると、それも、理屈に合っているような気がする。

 大人と子供の間には、越えることのできない結界が明らかに存在していて、それは、他人としての、

「上司と部下」

 さらには、

「男女間」

 という、

「コンプライアンス違反にまともにぶつかってしまうということになるのではないだろうか?

 それを考えると、

「大人になると、子供の頃のことを忘れるというか、棚に上げるようになる」

 といってもいい。

 棚に上げるということは、分かっていて、大人になった自分を、

「子供の頃とは違うんだ」

 と思うことで、子供の頃のことを、忘れようとするのであれば、

「子供時代に育んできたはずのことが、どこに行ってしまったということになるのだろうか?」

 ということであった。

 大人になるのを、怖がっている子供もいた。

 しかし、そんな子供ほど、大人になって変わってしまっているのだ。

 ずっと一緒にいたのであれば、その変化も、意識するほどではないのだろうが、しばらく経ってから再会したりした友達などは、まったく昔と違っていることに驚かされたりする。

 時々やっている、小学校の頃の同窓会、中学の頃の同窓会では、まったく違った感覚があった。

 小学生の頃というのは、本当に子供だったので、あまり意識をしているわけではないのだが、中学生というと、その変化を、意識できるほどに、下手をすれば、日々成長していたことが分かる世代であった。

 だから、余計に中学の時の同窓会であれば、

「まわりの皆を見ていると、自分の昔を映し出しているかのようだ」

 と感じるのだった。

 中学時代の自分の写真などを見ると、

「これが俺なのか?」

 と思ったと同時に、まわりの変化についていけないほど、

「えっ? お前が中学時代のお前か?」

 というような、支離滅裂な表現をして、変わってしまったということに驚いているということを、一番に感じさせる言い回しであろう。

 そういう意味で、大学生というと、まだまだ子供の意識が強い。

 何といっても、仕事をする毎日と、勉強や部活に勤しむ毎日とでは、

「天と地」

 ほどの差があるということを思い知らされるのだった。

 中学時代、受験勉強の合間。好きになった女の子がいた。

 元々好きだったのかも知れないが、

「異性として見ていなかった」

 ということかも知れない。

 その女の子は、男性からモテるという感じではなかった。

 むしろ、全然目立たない女の子で、下手をすると、

「自分から気配を消しているのではないか?」

 と思えるほどだったのだ。

 気配を消していると、却って目立つという人もいる。

 その気配というのが、どのようなものなのか、皆分かっていることであろうか?

「気配がない」

 ということをいちいち意識して、さらに、その相手を見る人などいるとは思えない。

 それほど、気配を消している人を意識するということは、ほとんどの人をいちいち石井しているということで、

「十人のいうことを、瞬時に聞くことができた」

 という聖徳太子と言われる人の伝説のようではないか?

 聖徳太子というのは、

「実は存在しない」

 などと言われているし、この伝説も

「本当は、十人の話を同時に聞けた」

 ということではなく、

「十人の話を、別々に聞いて、それぞれに、的確なアドバイスができた」

 ということでの逸話ではないかと言われている。

 的確なアドバイスを与えられるだけでも、とても、すごいというのに、そんな、一度に話を聴けるなどということが普通ならできるわけがない。

 よほど、

「聖徳太子という人は偉い人で、このカリスマ性には、逆らうことができないものだ」

 ということを知らしめる必要があったということであろう、

 女王卑弥呼の君臨した、

「邪馬台国」

 というものからそうであるが、

「上に立つ人を神格化することで、国を統治する」

 という考えだったのだろう。

 それが、伝統として残っていたことで、

「大日本帝国」

 というものが、

「天皇」

 を、主君に祀り上げ、神格化することで、世の中を統治しようとしているのかも知れない。

 しかも、

「元寇来襲」

 という事態において、

「一度ならずも二度までも、神風が吹いて、相手を撃退してくれた」

 という話があることで、余計い、

「日本は神の国」

 という定説が生まれ、この神風という言葉を冠し、

「カミカゼ特攻隊」

 などというものが生まれたに違いない。

「戦闘機を操縦し、敵艦めがけて突入する」

 という行為は、他国から見れば分からないだろう。

 兵として志願したのは、

「祖国を守るため」

 というのは、どこの民族でも同じことであり、何も、

「犬死」

 と思えるような死に方をするものではないはずだ。

 それを思えば、

「日本という国は、どこまでが、精神論で、どこからが、正当性のある作戦によるものなのか分からないことで、相手をするアメリカとすれば、恐怖しかなかっただろう」

 と言える、

「ベトナム戦争」

 でも、その相手である、

「ゲリラ」

 というのは、似たようなもので、彼らは、

「殺すよりも負傷者を出させる方に移行した」

 と言われる。

 なぜならば。

「負傷兵を介護することで、数名以上の人が必要となるので、相手の人員を少なくできる」

 という作戦であった。

 それを考えると、確かに頭のいい考え方である。

 相手の兵が死んでしまうと、死んだ人にかまってはいられないということd、それこそ、

「屍を越えていく」

 というのが、当たり前なので、殺してしまうと、敵兵が減らない。負傷することで、その人の救済をすることで、一人の負傷で、数人が離脱することで、相手をする人数が減る。実にうまく考えられた戦法だといえるのではないだろうか?

 高杉は、好きになった人がいても、その人にあまり気づかれないようにしようと、心がけていた。

 直球で、

「恥ずかしい」

 というのが理由だが、実際には、

「仲良くなったとしても、会話がないのだ」

 ということである。

 どんな会話をするのかということになるのだろうが、まだ、高校生くらいであれば、精神的に、

「自分中心」

 ということで、女の子が何に興味があるのかなどということを知る由もなかった。

「だったら、勉強しておけばいいじゃないか」

 と言われるのだろうが、別に勉強したとしても、付き合ってくれる相手がいないのであれば、それも意味がないというものだ。

 ハッキリと、

「俺には彼女ができる」

 という保証もなく、どちらかというと、

「俺に彼女なんてできるわけがない」

 と思っている以上、前もって勉強する気にはなれないのだ。

 それこそ、

「最初から彼女ができる前提で、何やってるんだ」

 と言われるのが嫌だった。

 それは、他の人がいうわけではなく、いうのは、

「自分の中の自分」

 なのである、

 自分の中の自分というのは、

「自分なのだから、何でもお見通し」

 ということで、ごまかしが利くわけもないというものだ。

「お前は、しょせん、小心者で何をやったって、成果がでるわけがないんだ」

 と言われるであろう。

 自分から言われるということは、

「まわりからも言われている」

 というように、誇大妄想してしまい、まるで自分が四面楚歌になっている気がする。

 しかも、その状態を作り出したのは、自分なのである。

 そのことを分かっていることで、次第に、

「変に分かってしまうと、自分でも、どうしていいのか分からなくなってしまうだろう」

 と考える。

 特に高校生くらいの頃は、自分のことを人には言わないし、知られたくないという思いが強くなる。それが、

「自分がまだ子供なのだ」

 という証拠なのだろう。

 高校時代というと、本当に、

「まわりが、敵だらけ」

 という妄想を抱くほどで、一種の、

「カプグラ症候群ではないか?」

 と言われたこともあったくらいだ。

「カプグラ症候群」

 心理学では、よく言われていることだが、

「まわりが敵だらけ」

 とは、まさにこのことなのだろう。

 カプグラ症候群というのは、自分の近しい相手、恋人であったり、家族が、

「悪の秘密結社」

 のような集団に、拉致されるか殺されるかしていて、相手の一味が、その人の替え玉となっているという、いわゆる、

「悪の連中とどんどんと入れ替わっていく」

 という妄想に駆られてしまうことをいうのだ。

 そのことが言われ出してから、半世紀ほどであるが、それらの発想から考えられたSF小説であったり、マンガなどが、結構流行ったりしたものだ。

 そのことがテーマというだけではなく、脇道であっても、

「そのエピソードがあるから、話が盛り上がる」

 ということも結構あることで、多様化されているようにも感じられる。

 たとえば、テレビドラマで、主役であれば、そのクールは、そのドラマに集中することで、他のドラマに顔を出すのは難しいだろうが、わき役としてであれば、数本掛け持ちも可能だ。

 ただ、移動だけで疲れることのあるだろうから、下手をすれば、

「主役よりも、きつい」

 と言えるのではないだろうか?

 それを思うと、カプグラ症候群というのも、主役級の話よりも、いろいろなところに、フットワークが軽く出ることができるだろう。

 特に、本筋にしてしまうと、今度他で使う時、

「テーマの盗作だ」

 と言われでもしたら、本末転倒である。

 それを思うと、こういう心理学的なテーマというのは、

「脇役球の方が、話としては面白い」

 ということではないだろうか?

 と言われるのであった。

 得に、昭和40年代などの、

「第一次アニメブーム」

 であったり、

「特撮ブーム」

 などでは、よく使われたことだろう。

 特に、

「宇宙人による、侵略モノなどは、テーマに直接かかわる話としては、実に使いやすいものだ」

 といえるだろう。

 そんな時代において、

「家族が入れ代わっている」

 という話が特撮であれば、今度はアニメでは、

「主要国家の大統領や、首相クラスが入れ代わっていて、特に独裁者のような人と入れ替わっていれば、その男は何をやってもおかしくないということで、核ミサイルのボタンを押しかねないので、それを正義のヒーローが、阻止しにいく」

 というような内容のものもあった。

 さすがに、

「国家元首」

 が、

「敵にかどわかされる」

 ということになってしまうと、

「想像以上のパニックが起こるか」

 あるいは、

「静かに、水面下で進行していて、分かってしまうと、もうどうしようもないところまできていて、核戦争による、核戦争になりかねない」

 ということになるのだろう。

 昭和の頃は、

「そんな時代が来ないように、いかに阻止するか?」

 という内容のものが多かったが、平成からこっちは、逆に、

「核戦争が起こってしまい、生き残った人々が、廃墟になった地球で、状況としては、無法地帯というような無政府状態の中で、いかに生きていくか?」

 という、

「サバイバル的な世界を描いている」

 というのも多いであろう。

 そんなことを考えていた高校時代。それはきっと、

「受験戦争」

 という、違う形の戦争に、嫌でも駆り出されることで、逃げることもできず、次第に追い込まれることで、そんな感覚になっていくのだった。

 本当の戦争であれば、

「敵前逃亡、銃殺刑」

 などということになるのだろうが、別に受験に失敗したからといって、命を取られるわけではない。

 確かに、受験に失敗すると、浪人ということになり、大学生になればかったことに、大いなる他人に対しての劣等感を感じ、さらに、受験戦争というものに、負けたという屈辱感もあるだろう。

「劣等感」

 に、

「屈辱感」

 一つでもきついのに、二つが一緒にくれば、自分のプライドもズタズタいされて、病んでしまうということも少なくはない。

 昭和の世代からすれば、

「何を受験に失敗したくらいで」

 というに違いない。

 しかし、それだって、その人たちの、

「無言の圧」

 というものがのしかかってきているからではないか。

 圧を掛けている方は、

「そんな意識はない」

 というに違いない。

 しかし、冷静にその状況を判断すると、

「無言の圧」

 以外の何物でもない。

 それは、

「コンプライアンス違反」

 とは言わない。

「無言の圧」

 なのだから、言葉では、

「頑張れ」

 だったり。

「お前ならできる」

 などと言われたとすれば、これほどのプレッシャーはない。

 相手は、後で、

「お前があんなことを言ったから落ちたんだ」

 と言われても、

「いやいや、励ましただけじゃないか」

 ということで逃げることができるのだ。

「だったら、最初から何も言わなければいいじゃないか?」

 ということになるのだろうが、親であれば、

「子供が受験というのに、何も言わないなんて、こんなに冷たいことってあるのか?」

 と言われかねないのである。

 そうなると、何かを言わないわけにはいかない。

「ただ、励ましているだけだ」

 という、無難なことで、茶を濁すことで、

「後になって、自分が責められないように」

 ということで、何とか逃げようとしているのだろう、

 親としても、

「学費が掛かるのに、そんな大学なんか行かなくてもいい」

 と思っているかも知れない。

 確かに高校で卒業して、働いてくれた方が、学費は掛からないし、一緒に住んでいるのであれば、

「生活費」

 として、お金を貰うこともできるというものだ。

 昔のように、

「いい高校を出て、いい大学に入って、いい会社に入る」

 ということが、一番だと言われていた頃が、

「受験戦争」

 というものを生んだのだろう。

 最近では、受験戦争というだけではなく、スポーツの世界でも、

「スポーツ推薦」

 というものが、どこにでもあるので、そちらも、大会でいい成績を上げるということでの、

「一種の戦争だ」

 といってもいいだろう。

 似たようなものは、昔からあった。

「野球留学」

 などという言葉もあったりして、いわゆる、

「甲子園常連校」

 などになると、各地の地区にスカウトを送り込み、選手のウワサを聞けば、その実力を確認し、野球留学を進めてくるのだ。

 それは、まるで、

「ドラフト会議」

 という制度が始まる前の、

「スカウト合戦」

 というものではないか。

 そもそもドラフト制度ができたのも、この時のような、自由契約であれば、

「いい選手は、どんどん金のある球団に取られてしまって、球団の格差がどんどん膨らんで、プロ野球界が面白くなくなってくる」

 というのだった。

 そして、もう一つあるのが、

「選手への契約金」

 の問題だ。

 複数球団で、注目選手をスカウトするとなると、選手も、

「たくさんの金を提示してくれたところにいく」

 というのが当然の心理である。

 そうなると、各球団で、選手の

「セリ」

 をしていることになり、どんどん、契約金の額が上がっていくということになるのだ。

 いくら金のある球団であっても、限りがある。このまま、どんどん膨れ上がってしまうと、経営すら危うくなってしまう。

 ということになると、球団としても、

「何とかしないといけない」

 と思うようになる。

 そこで決まったのが、

「選手の選択指名制」

 という、

「ドラフト会議」

 だったのだ、

 本場アメリカでも、同じような状況になったことで、ドラフト会議というものが、出てきた。それに、日本球界も、

「乗っかった」

 ということである。

 ただ、アマチュアに関しては、そのようなことはない。何しろプロではないのだから、契約金というものはない。

 せめて、

「特待生扱い」

 ということでの、

「授業料免除」

 というところであろうか。

 ただ、この制度は、受ける生徒にとっては、

「諸刃の剣」

 である。

 なぜなら、あくまでも、

「そのスポーツができてこその契約なので、いかなる理由があっても、スポーツができなくなれば、特待生対偶は、即刻取りやめということになるだろう。

 ということは、

「けがをしてもダメなのだ」

 つまりは、たとえば、

「チームのために、監督命令などで、ケガをしているのに、勝利のためということで選手を酷使して、それで、ケガが再起不能になってしまった場合でも、特退を外される」

 ということになるだろう。

「くそっ、あの監督が出ろというから、命令には逆らえないということで出たのに、この仕打ちはひどい」

 ということである。

 もちろん、チームの統率という意味で、

「監督命令は絶対だ」

 というのが、団体競技の、

「鉄の掟」

 だといってもいいだろう。

 それを思うと、出場した、いや、無理矢理に出場させられた選手に非はないということではないか。

 だが、一番悪いのは、監督であり、この監督は監督としての、裁判のようなものがあるかも知れない。

「監督解任、理由としては、前途有望な選手を潰したから」

 ということでの退団ということになるだろう。

 しかし、だからといって、選手が、擁護されることはない。契約通り、

「野球ができなくなれば、特待生扱いはなし」

 ということには変わりはないのだ。

 選手が何を言おうとも、

「契約書に書いてあるじゃないか。それを分かっていて、お前は契約したんだ」

 と言われてしまえば終わりである。

 最初は、

「君なら、プロだって目指せる」

 などということを言われ、その気になった自分が情けない。

 ただ、実際に、チームに入って、中心選手になり、そのため、監督に無理矢理出場させられ、その結果招いた最悪の事態だったのだ。

 もし、これが監督の指示ではなく、自分が無理に出場するということを選んでいたとしても、

「チームのために」

 と言ったところで、

「無理をすることはないんだ」

 と言われるだろう、

 下手をすれば、

「チームとしても、学校としても、君が一時の感情で、これから生み出す無限の可能性を、自分で切ってしまったんだ」

 と言われてしまうと、どうにも言い訳ができそうにもない。

 確かに、チームにも学校にも迷惑を掛けたのは間違いのないことなのである。

 それを考えると、

「特待生扱いの破棄」

 というのも仕方がないことだ・

 ということになるだろう。

 ただ、思い知るのは、

「本当に血も涙もない」

 ということであった。

 特に、

「今まで、野球しかやってこなかったのだから、これから、自分がどうすればいいのか、まったく分からない」

 と言えるだろう。

 正直、

「野球のために、学業をおソロ化にしてもいい」

 というほどのことを言われていたのに、今度は、野球というものがなくなれば、

「成績が悪ければ、もう、成績だけで、お前は判断されるんだ」

 ということだ。

 今までは、赤点であっても、進級は約束されていた。しかし、これからは、成績だけが自分の評価となるので、下手をすれば、退学した道は残されていないという現実が待ち受けているだけではないだろうか。

 高橋つかさが探してくれたところは、湖はそんなに大きくないが、そのまわりを囲っている森しか、表からは見えないので、

「相当に大きなところではないか?」

 と思われていて、

「この中でなら、相当に大きなテーマパークでもできるんじゃないか?」

 と思えるほどだが、実際に入ってみると、

「湖をぐるっと散歩しても、30分もあれば、一周できる」

 というくらいの、そこまで広くないところであった。

 一度、ネットで、ここの航空写真を見たことがあったが、本当にキレイなところだった。

 何と言っても、湖面が、エメラルドグリーンに見えていて、その明るさは、まったくまだらさを感じさせない。

 つまりは、

「波がない」

 ということだ。

 それだけ、森が高いところで、表からの風を遮っているのだろう。

「ここまでキレイな湖面は見たことがない」

 と思っていたが、考えてみれば、

 今までに、湖面を意識して見たことなどないかも知れないな。

 ということであった。

 今までに、そんなに湖面を見たことがないはずなのに、いくらネットとはいえ、

「こんなにきれいな光景が、この角度で見えるとは、思ってもみなかった」

 ということであろう。

 それも、

「ドローンのおかげだろう」

 と感じた。

 ここ、数年くらいで、よく聞くようになったドローン。

「おもちゃだとすれば、これほどしっかりしていて、精巧にできているというものもないだろう」

 さらに、

「軍事兵器」

 ということであれば、

「これほど、お手軽であり。しかも、敵には、おもちゃにしか見えないものは、実に使い勝手がいい」

 と言えるだろう。

 もし、相手に見つかったとしても、映したのものは、伝送されることで、本部に送られ、ドローンの中には残っていない。

 もし、

「相手から攻撃を受けて、逃げられない」

 となると、

「相手から捕縛される前に、自爆する」

 という方法もあるだろう。

 ドローンを、

「無人偵察機」

 として使用するのであれば、目的が終わるか、途中で目的完遂よりも、相手に秘密が漏れるのがまずいと思うと、自爆してしまえばいいのだ。

 それを思うと、

「最近の兵器は、手軽に使えて、おもちゃのような小型化したものを、量産型で作る」

 というのが、主流になっているのかも知れない。

 昔であれば、戦闘機も

「高価なものを、開発し、実際の戦闘では、普通に考えても、戦術的に、ありえないような戦闘能力を有していても、宝のものくされというものである」

 といえるだろう。

 それよりも、軽量で安価な戦闘機を、量産型として製造する方が、コスト的にも戦略的にもいいというものだ。

 最近では、

「ステルス機能」

 さえあれば、かなりの成果が期待できる。そういう意味で、最近の兵器は、無駄がないといえるだろう。

 そんなドローンで見たような光景が二人とも秒で気に入って、すぐに、

「ここにしよう」

 ということになった。

 さすが、あまり気にされていないという場所なだけあって、宿泊客も、少ないようだった。

 金銭的にもリーズナブルで、

「これなら、部員から、変な文句が出ることもないだろうな」

 ということであった。

 期間は、5日間であった。

「長すぎるのではないか?」

 とも思えたが、

「作品を何か一つでも完成させるのが目的」

 ということなので、5日から、一週間という意見となったが、さすがに一週間というと、厄介であった。

 ということで、部員には、その趣旨を話しておいて、

「小説を書く人で、長めのものを考えている人は、まず、プロットを考えておくことをお勧めします」

 ということで、部員からも、5日異存はないようだった。

 幹事といっても、そんなに何か所も行くわけでない。結局、一か所にとどまって、

「一つ以上の作品を製作する」

 ということを目的にすると、幹事というのは、何もすることはないのだ。

 実際に、バスを手配していくことになったのだが、それも、大人数ということではないので、すぐに手配もできた。

 実際に、その日になって、何も慌てることもなく、時間はスムーズに過ぎた。

 さすがに最初の一日は、皆、慌ただしさからと、移動の疲れからか、その日は宴会でもあったが、結構早い時間に、宴会は終わった。

 中には、

「旅行というだけで、気持ちが高ぶっているので、その分、眠れなかったという人もいたくらいで、まるで、修学旅行のようですね」

 ということを、つかさから聞かされた。

 中には、

「喧嘩になったり、集団行動にはそぐわない人がいたら、どうしようか?」

 ということを考えてみたりしたが、

「損な人もいないようなので、よかった」

 ということであった。

 何といっても、たまに大学でサークル活動をするだけで、普段は、ほとんど話をしないような人の集まりだ。

 一種の、

「烏合の衆」

 といってもいいだろう、

 それを考えると、

「俺たちは、そんなに気にすることなかったんじゃないかな?」 

 というと、つかさも、ホッとした様子で、

「ええ、その通りだわ、私も、気に病みすぎていたのかも知れないわね」

 といって、ホッと胸をなでおろしているようだった。

「ねぇ、ところで、ここなんだけど、街に出るには、かなりきついのかしら?」

 と急に聞いてくる。

「どうして、そんなことを聞くんだい?」

 と高杉が聞くと、

「いえね。このあたりではm、何かあった時、街から来てくれるまでに時間が掛かったりするんでしょうね」

 という。

 どうやら、余計な心配をしているようだった。

「そんなこと心配しなくてもいいじゃない? ここの宿の人に心配なら、明日聞いてみればいい」

 と言った。

 どうやら、朝が早いのか、もう、10時前くらいには寝てしまっているようで、宴会も、「我々幹事で仕切ってください」

 ということだったのだ。

 ここに限らず、田舎のペンションなどでは、これが当たり前なのではないだろうか?

 その宴会も、別に幹事が終了宣言することなく終わってしまった。

 カオスになってしまったわけではなく、次第に皆疲れてきたのだろう。最初は普通に歓談していたのが、次第に声が小さくなってきていて、その声が聞こえにくくなってきていると思うと、中には眠ってしまった人もいた。

 その連中も、酒に酔ってというわけではなく、本当に疲れたようだ。

「皆、宴会に慣れていないんだ」

 と感じ、自分も、幹事という立場でなければ、きっと眠り込んでいたような気がしたのだ。

 さすがにペンションの人は慣れていて、

「とりあえず、このままにしておきますから、起きられたからは、お部屋に帰るでしょうね」

 といって、別に何かをするというわけではなく、ただ、

「毛布は、こちらにありますので、寝入ってしまった人に掛けてあげてください」

 といって、毛布の場所を教えてくれた。

「ありがとうございます」

 といって、つかさは、皆に毛布を掛けてあげた。

 そのまま皆が寝入ってしまったのを見ると、つかさは、

「これでいいかしら?」

 といって、数名に毛布を掛けてあげたが、それ以外の人は、寝入った人には目もくれず、そのまま各々の部屋に帰っていった。

 幹事の二人も部屋に戻っていったが、高杉が時間を見ると、まだ、10時半くらいだった。

「明日からのこともあるし、早めに寝ようかな?」

 と思い、部屋に帰り、就寝した。

 幹事ということもあり、朝は6時起床、普段は、まだまだ寝ている時間だ。10時半でも、少し遅いくらいだと思いながら、中途半端は否めなかったが、それでも、布団に入ると、いつの間にか寝ていたようだ。

 目が覚めてから、ゆっくりとロビーに出てみると、そこにいるはずの、つかさが来ていない。

「眠っているのかな?」

 ということで、少し待ってみたが、返事がなかった。

 6時というと、もうすでに明るくなっていて、ロビーに朝日が差し込んでくる。シーンとしたロビーで待っていると、そこに、一人の男性が駆け込んできた。

「ペンションの人は?」

 というので、

「まだ寝ているんじゃあ?」

 というと、

「いやいや、もうとっくに起きているはずだが」

 というのが早いか、奥からペンション管理の男性が出てきた。

「どうしたんですか? 源さん」

 源さんと呼ばれた男性に、ペンションの人間が声を掛けると、源さんは、

「ここのちょっと先にある森への入り江になっているところに、一人の女性が打ち上げられているんだ。急いで、救急車と警察に連絡をしたんだけど、身元が分からないので、ひょっとしてこちらの宿泊客かと思ってきてみたんだ」

 というではないか。

 どうやら源さんがいうには、その女性はこのあたりでは見かけない人だということだった。

 高杉は急いで、点呼を取る意味で、部屋で寝ている人たちを、半ばたたき起こすような形で、ロビーに集合させると、部員は、それぞれに、キチンといるようだ。

 実際にいなくなった人というと、そう、幹事としての仲間でもある、つかさだけだったのだ。

「高橋さんがいませんね」

 ということを誰かが言い出した。

 高杉は、分かっていたが、それを敢えて言おうとは思わなかった。

 そんな状態において、高杉が言わなかったのには、理由があった。

 つかさには、誰か好きな人がいて、今回の旅行で、その人に告白したいということを言っていたのを聞いていたからだった。

 高杉には、つかさに対して、女性としての興味があったわけではなかったので、

「相手が誰なのか?」

 などという、無粋なことを聞こうとも思わなかった。

 そんなことを聞いてしまうと、今度は、つかさとの間に、幹事としての関係がぎくしゃくしたくなかったからだったが、実際には、昨日の様子もどこか、そわそわしていたのを感じたので

「ひょっとして、今夜、何か行動に移すんじゃないかな?」

 と思っていた矢先、今朝の集合に、出てこなかったのを見ると、

「明らかに、おかしいな」

 と感じ、まさか、入り江に打ち上げられているとも知らず、自分が何を考えていたのか、恥ずかしくなった。

「恋愛感情がなくとも、こんな気持ちになるものなのか?」

 それとも、あくまでも、

「本当は恋愛感情を持っていたのか?」

 という、どちらかだとは思ったが、自分ではそのどっちも違うかのように思えるのは、不思議だったのだ。

 恋愛感情というものが、どのようなものなのか、自分でも正直分かっていない。思春期の時に好きだった人がいたのを思い出しても、あの時とは明らかに違っているということは分かるくせに、あの時の感情がどんなものだったのか覚えていない。それだけ、遠い過去だったということなのか、それとも、その間にまったく恋愛感情というものを抱いてこなかったという証拠なのか、そのどちらなのか、考えてしまうのだった。

「俺って、今まで誰かと付き合ったということあったんだろうか?」

 と、高杉は考えた。

 付き合ったということがどういうことなのかということが分からない。自分では付き合っていたと思っていても、相手がどう思っていたのか分からない。

 正直、肉体関係で結ばれた女性はいなかった。だからといって、童貞ではないのだが、その理由は、お察しください。

 それでも、よかった。何も、好きになあった相手と身体を重ねることだけがmセックスではないと思っていたからだ。

 それも、

「彼女ができない言い訳なんじゃないか」

 とも思ったが、本当にそうなのか、自分でもよくわかっていなかった。

 元々、風俗というものを毛嫌いしているわけではなく、毛嫌いしているような人を毛嫌いしていた。

「そっか、俺って、他の人と同じでは嫌だという性格だったんだ」

 と思うと、つかさに対して、

「俺と同じところがあるような気がする」

 と思っていたが、それが、彼女との共通点で、共通点があることで、結びついたと思っていたことを、どこか自分の中で打ち消そうと思っていたのは、

「恋愛感情だ」

 と感じることに、恥ずかしさのようなものがあったからではないだろうか?

 そんなことを考えていたとすれば、敢えて、つかさのことを考えないようにしようと思ったのは、それだけ、つかさを意識しすぎていたからなのかも知れない。

 と思っていたのだ。

 そんなことを考えながら、気が付けば、ペンションの人と一緒に、皆で打ち上げられたといっている場所までやってきた。

 先に、発見者は、

「警察や、救急車が来ていたらいけないから」

 ということで、戻っていたという意識はあったのだが、さすがに入り江に座り込んで倒れている女性を見守っている様子は痛々しく思えたのだ。

 部員の一人が覗き込んで、

「高橋さんです」

 と、悲痛な声を挙げた。

「どうして、こんなことに?」

 といって、つかさを覗き込んでいた部員が、彼女から目を逸らしたと思うと、一様にその視線が、今度は高杉に向けられる。

「一緒に幹事をしていたのだから、この状況で、一番、この状況に追い込んだ相手がいるとすれば、怪しいのは、この俺なんだ」

 ということを、いまさらながらに思い込まされた。

 しかし、あくまでも、

「自分たちは、ただの幹事というだけの間柄なんだ」

 と言いたかったが、この状況でそれを口にするのは、時期尚早だ。

 少なくとも、警察や救急車が到着し、事情が進展しなければ、先に進むことはないということになるだろう。

 それを思うと、高杉も考え込んでしまいそうになるが、

「考えたって、仕方が合い」

 とも思える。

 実際に、考えるだけ無駄だといっておいいだろう。

 救急車がやってくると、今まで、静まり返っていた湖畔が、急に慌ただしくなった。

 それもそのはず、それだけ一触即発に近かった雰囲気に。救急車のサイレンの音が、

「これ以上ない」

 というくらいの音を立てていたのだ。

 そもそも、聴きたくない音という意味では、ナンバーワンといってもいいこの音が、静寂を破って乾いた空気を突き進むように響くのだから、実際には、たまったものではない。

 とりあえず、救急車に乗せられ、病院に向かった。

 他の部員は数人が、ペンションのマイクロバスにて、ペンションの人の運転で、病院に向かった。

 幹事として、事情聴取を受けることになるであろう高杉は、第一発見者と一緒にその場に残ることになった。

「どうして、こんなことになったのだろう? 彼女が好きだといっていた相手に会ったから、こんなことになったのだろうか? だとすると、これは事故ではなく、何かが起こったと見るのが、正しいのかも知れない」

 と、勝手な想像をしていたが、問題はそこではなかった。

 これから警察から質問されることを考えてみたが、

「俺の立場って、微妙だよな」

 と高橋は考えた。

 同じ幹事というだけであれば、意識をしないでもいいのだが、彼女が言っていた、

「好きな相手に告白」

 ということまでいう必要があるかということである。

 これが、もし彼女が死ぬことになって、それが殺人事件ということであれば、黙っておくわけにはいかない。

 しかも、黙っておくということは、

「彼女に対しての尊厳の意味がある」

 ということであったが、死んでしまえば、しかも、それが殺人事件ということであれば、黙っておくわけにもいかない。

 下手をすると、黙っていたことで、何かの罪を形成することはないと思うが、警察の疑いの目は、こちらにも来るかも知れないということだ。

「黙っているということは、それだけ、相手の男性に嫉妬心を抱いているということで、警察から疑われるというのも、無理もないことではないだろうか?」

 ということであった。

 警察というところは、

「事件になるまでは何もしてくれないくせに、こと事件ということになると、人の立場や気持ちというよりも、これは殺人事件だからということを盾にして、その国家権力というようなものを、とたんにひけらかしてくるのだった」

 そんなことを考えていると、警察がやってきた。


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