第3話 文芸サークル
高杉は、大学2年生の春、キャンパス内で、サークルの出店の中を歩きながら、それまでは、
「いまさらどこかのサークルといってもな」
と思っていたのだが、やはり、どこかに所属したいと思うようになっていた。
二年生でありながら、サークルの出店の間を歩いていると、自分が新入生だった時のことを思い出し、あの時は、
「ゆっくりサークルを探せばいい」
という程度で時間に余裕を感じていたのだが、そのうちにダラダラになってしまい、結局、サークルを決めかねてしまったのだ。
そうこうしているうちに、次第に、出店も少なくなり、キャンパス内は静かになっていく、すると、高杉の中でも、サークル熱が、まったくといって言うほどに、消えていくのだった。
サークルへの思いが、
「アルバイトをして、金を稼がないと」
という思いに変わり、
アルバイトが、まるで、サークル活動であるかのように思えたのだ。
何しろ、
「お金が絡んでいるのだ」
と思うと、
「サークル活動したって、お金が入ってくるわけではない。それだったら、アルバイトをして、金を稼いだ方がいい」
と思うようになり、一年生の間は、アルバイトに明け暮れたのだ。
しかし、アルバイトをしてみれば、
「自分が好きなようにできない」
ということに、いまさらながら気づかされた。
これは、
「プロになったら、好きなように書けない」
と言っていた、おじさんの言葉を彷彿させるものだった。
確かに、アルバイトとは厳しいもので、社会の現実を教えてくれる。そして、その代償がお金だということは、当たり前すぎるくらいに分かっていることだった。
だが、実際にやってみると、最初は、
「お金を稼ぐ」
ということで、その代償が嬉しかったのだが、それはあくまでも、
「代償がなければ、やってられないよな」
ということであり、よくよく考えてみると、
「こんなことは、社会人になれば、嫌という程やらないといけない」
ということなのだ。
だったら、何を貴重な大学4年間を、これから山ほどある時間として過ごさなければいけないことを、好き好んで今しなければいけないのか?
ということなのであった。
実際に、就職するということを、2年生の今から考える必要はないのだが、よく考えてみると、すでに一年を棒に振っていた。
無為に過ごしたわけではないので、
「棒に振った」
というのは言い過ぎだろうが、実際に、そうではない。
だが、2年生ともなると、少し焦りを感じた。
「気持ちを一年生に戻さなければいけない」
というところに、大学は新入生を迎える体制が整っていたのだ。
それを考えると、
「俺も、新入生の気持ちになって。サークルを探せばいいんだ」
ということを考えながら、過ごすには、
「サークルの出店が建ち並んでいるキャンパス内は、実に気持ち的には十分なものだ」
といえるだろう。
やっぱり、気になったのが、
「文芸サークル」
だった。
これだけの、サークルがあれば、その中に文芸サークルというのも結構あるというもので、中には、
「機関誌」
のようなものを発行しているところもいくつかあり、過去の機関誌をもらってきて、それを参考に文芸サークルを前提に、
「どこかのサークルに入ろう」
と思うのだった。
まず、基本的に、
「機関紙を発行していないようなところは、最初から、論外だ」
ということであった。
貰ってきたのは、三つの機関誌、その三つを見比べてみることにした。
一つのサークルは、ポエムが中心で、小説というよりも、メルヘン的な、そして、女性的な雰囲気が多く、後で聞いてみると、
「やはり、女性が多い」
という話であった。
それはそれで、大学生としては大いに魅力でもあったが、やはり、小説を書くということでは、
「そこまで興味があるわけではなかった」
と言えるだろう。
もう一つは、
「ノンフィクションや批評のようなもの」
が多いようだった。
ここも、少しかんがえさせられたのだ。
そして、もう一つは、こちらは、完全に同人誌、いわゆる、
「二次創作」
というものであり、元々、誰か有名作家であったり、昔から伝わっている童話の、
「続編」
というものを書いている感じだった。
それを見ると、
「ここは、最初から、論外だな」
と思った。
そもそも、
「二次創作など小説ではない」
と思っていたからだ。
そういう意味で、ノンフィクションも論外である。
「あれは、小説では九、随筆だったり、作文ではないか」
ということになるのだ。
そうなると、サークル選びは、難航した。
何といっても、機関誌を発行していないようなところは、そもそも論外である。
今から機関誌発行を
ということを言っても、実際に発行できるようになるまで、労力が必要だ。
労力を使うのが嫌というわけではなく、
「そんな時間と労力があるのであれば、それをサークル活動としての、執筆活動に全力を投入したい」
と考えているとするならば、今の時点で、機関誌を発行していないサークルなど、興味もないということであろう。
となると、選択肢は、少し富本にであるが、最初にもらった、
「ポエムが多いサークル」
ということになったのだ。
話を聴いてみると、向こうも、
「男性の部員は大歓迎なんですよ。今はポエムが多いというだけで、皆、小説に憧れは持っているんですよ。だから、小説をお書きになる人は尊敬できるし、ぜひ入部していただきたい」
といってきたので、
「そこまでいうのであれば」
ということで、入部することにしたのだ。
入部してみると、
「なるほど、女性が多いな」
と思った。
新入生の新入部員も、女性が多かった。
男性はというと、2年になって入部してきた自分と、先輩に2人いるだけだった。
部員は全体で、30人ほどいるということであったが、ここでも、
「サークルあるある」
ということで、
「約10人近くが、幽霊部員なんですよ」
と、部長は悲しんでいた。
「でも、男性の部員は、真面目にサークル活動に当たっていて、皆一様に言っていることは、自分の活動に集中したいので、部の役員はご遠慮したいということだったんだけど、高杉さんはどうなの?」
と言われ、
「先輩方の言われている気持ち分かる気がするんです。だから、僕もできれば、部の役員はご遠慮願いたい」
というと、
「そうですか、分かりました」
と、少し残念そうに、部長がいうのだった。
「すみません」
と恐縮すると、
「大丈夫ですよ。気にしないでくださいね」
といってすぐに笑顔になった。
そんな部長を見て。
「この部長の下でなら、楽しい、部活生活ができそうだ」
と感じたのだった。
ここのサークルの一つのルールとして、
「サークルメンバーは皆、決まった無料投稿サイトに個人で登録し、そこで、部活の半分は行う」
ということであった。
大学の文芸サークルくらいになると、
「必要以上に、部活にのめりこむことはせず、集まりも、曜日は決めておいても、参加は自由。ただ、一月に一度は全員集合」
ということだった。
その時は、ほとんど顔見世程度となるので、
「サークル活動の成果については、サイト内の活動で十分に足りる」
ということなのだ。
「サイトで、小説を書いて、そして、そのレビューや感想を書き合う。もちろん、一番は次作オリジナル作品を書くことなのだが、ポエムはOKだが、ノンフィクションであったり、二次創作は不可」
ということであった。
それは、高杉にとっては、願ったり叶ったりであり、
「これはありがたい」
と思っていた。
実はこのルールも結構、最初の頃に役員が、協議して決めたのだが、決定までには、大いに紆余曲折があったということだった。
そんな状況だからこそ、サークルといっても、結構しっかりしていた。
特に、ここ数年は、少し前から流行り出した、
「世界的なパンデミック」
というものがあったおかげで、
「大学への登校は自粛という時代があった」
ということも聞いている。
高校も、リモート授業などということもあり、
「学校には、少ししかいかなかったな」
ということで、
「暗黒の高校時代」
とまわりは言っていたようだが、本人はいたって、気にしている様子ではなかった。
というのは、
「そんなに高校生活がいいものではなかった」
ということであるが、
「高校時代もやりたい部活がなかった」
ということで、
「学校にいく意味あるのか?」
と思っていたところでの、パンデミック。
実際に、行かないでいいとなると、一抹の寂しさもあったが、それだけではなかった。
とはいえ、
「病気が蔓延するから仕方がない」
と言われてしまえばそれまでだった。
「運動会も、文化祭も、修学旅行すらなかった」
ということであるが、高杉がなくて、悲しいと思ったのは、
「修学旅行ではなく、文化祭」
だったのだ。
文化祭を、寂しいと思ってことで、
「俺がやりたいと思ったのは、スポーツよりも、文化サークルなんだな」
ということで、一番身近は、文芸サークルだった。
それが、大学に入ってからも変わっていないということであり、
「高校時代においては、できなかったことを、大学でやろう」
と思っていたはずなのに、
「なぜ、バイトに走ったのか?」
ということは、きっと、そもそも入学した時に感じた、
「必要以上の開放感」
があったからだろう、
それだけ、
「世界的なパンデミック」
というものが嫌だったということだろう。
引きこもり一歩手前だったという中途半端な気持ちが、一番、大きな反動を呼ぶのではないか?
と考えさせられたということになる。
だから、サークルに入って、楽しみなのは、
「機関誌が出たところの感動を感じることだ」
というのは間違いないが、それ以上の感動は、高校でいけなかった修学旅行というのもあることから、
「夏合宿」
というものが楽しみだったのだ。
昨年の夏合宿は、海だったという。
ただ、先輩に聞いてみると。
「どうも去年の海というのは、少し不評だったようなのよ」
というではないか?
「どうしてなんですか?」
と聞くと、
「だって、私たちは女性が多いでしょう? 日焼けを気にするのよ。特にこういうサークルだとインドア派ばかりなので、どちらかというと海に興味がないの。男の人の目を気にする人もいるし、ちょっとハードルが高かったみたいね」
というので、
「でも、男性目当ての人もいるんじゃないんですか?」
と聞くと、
「そりゃあ、いるでしょうけど、そういう人は、一人で行動するか、数名の友達となんでしょうね。これだけの大所帯の中で男性の目を引こうなんてすると、他の女性から、変な目で見られるでしょう? 特に男性から意識されたりすると、女って、嫉妬深いんだからね」
という。
「なるほど」
と答えたが、確かにその通りである。
「それに、そんなアバンチュールを求めるなら、一人で来るでしょうね。仲良くなっても、それ以上のことは、団体行動なので、なかなかうまく行かないわよ」
というのだ。
「でも、連絡先を聞いて、後から連絡し合うとかは?」
と高杉がいうと、
「それはないんじゃないかしら?」
というではないか?
「どうして?」
と聞くと、
「だって、こういうところで男をひっかけようなんて女は、たぶんだけど、決まった彼氏はいるのよ。だけど、アバンチュールを楽しみたいと思ったら、旅先でしょう? 旅の恥は掻き捨てっていうじゃない。それと一緒で旅行先で、一夜限りのアバンチュールを楽しむのよ。その方が刺激があるし、後腐れもないでしょう?」
というのだ。
「でも、集団行動だとなかなかそうもいかない?」
というと、
「そうね。だから、こういう合宿で、アバンチュールを連想させるようなことは嫌がるのよ。まるで、針のむしろに座らされているようでしょう?」
というのだった。
それを聞いて、高杉はまたしても、
「なるほど」
といって頷いた。
「じゃあ、今年はどうするんです?」
と聞くと、
「今、考えているところなんです。何かいいアイデアがあれば、出してくださいね」
というのだった。
「じゃあ、僕の勝手な意見だけど、森に囲まれた、湖畔とかいうのもいいんじゃないかな?」
と言った。
「キャンプ場ということ?」
というので、
「何もキャンプにこだわることはないと思うんですよ。ペンションのようなものでもいいと思うし、そういう空気においしいところなどで、静かに執筆活動をしてみるというのも、そもそも文芸サークルとしての、本懐に近いんじゃないかって思うんですけどね」
と高杉はいうのだった。
それを聞いて、
「それ、素敵ですね。私も、そういうところで合宿のようなことをしてみたいって思っていたんですよ」
という。
「ただ、別に、執筆だけにこだわることはないと思うんですよ。せっかくの夏休みなんだから、好きなことをすればいいと思うので、絵を描くというものいいだろうし、一人でいくつものこともできるでしょうし、複数で一つの作品を製作するというのも、ありだと思うんですよ」
というと、
「うんうん」
と頷いてくれた。
この会話が、役員会議のようなもので計られたようで、この考えに対して、
「秒で即決した」
ということであった。
「皆、似たようなことは考えていたようなんだけど、ただ、口に出す人がいなかっただけみたいなの」
というではないか。
「うん、じゃあ、ほぼ決定ということですね?」
というと、
「ええ、そうなの。だから、今度の幹事というか、実行委員みたいなものに、言い出しっぺということで、あなたも加えたいんだけど、どうかしら? 大丈夫?」
と聞いてきた。
「僕でよかったら」
と、高杉は答えた。
確かに、あまり、幹事のようなことは好きではないが、皆が一緒であれば、それはそれで楽しいかも知れない。
と感じるのだった。
二つ返事で答えると、彼女も喜んでくれて、
「早速、今度実行委員会の会合を開きましょう」
という。
彼女というのは、実行委員会の実質的な長である、
「丸岡美津子」
という女性であった。
美津子は、結構まわりから、
「慕われている」
という意識を持っていたようだが、傍から見ていると、
「体のいい使い走り」
としてしか映らなかった。
そんな彼女を見て、まわりは、
「可愛そうだ」
とは思うかも知れないが、
「それも、彼女の性格だから、しょうがない」
と冷めたものだった。
その冷めた性格が彼女の性格なのだから、これも当たり前というものだった。
ただ、最初の人当たりは素晴らしい。面倒見がいいように見えるので、たいていの人が、
「この人は頼ってもいいかも知れない」
と感じるのだった。
だが、人間には、
「表裏」
というのは、大なり小なりあるものだ、
そのことを今まであまり感じたことがなかった高杉は、
「自分は、お花畑にいたんだな」
というようなことを、大学に入って感じていた。
大学というところは、
「レジャーランドだ」
と言われるほどに自由なところで、社会人から見れば、大学生が羨ましく思え、懐かしさというものがこみあげてくる人も多いことだろう。
しかし、よくよく考えると、
「精神的な大人」
というのが、育まれるのは、そんな大学時代なのではないか?
ということであった。
大学時代というと、
「今までに、こんなに知り合いができたことなかった」
というくらいに、友達が増えることに大満足だった。
これは、
「友達を作る」
ということではなく、
「増やす」
というだけでしかないということに、なかなか気づかなかった。
これは、今でいうところの、SNSのようなもので。
「フォロワー数が増えることだけを目的としている」
という、まわりの流れに乗っかっているだけのことではないのだろうか?
たとえば、ツイッターなどでは、
「フォロワー数が1000になれば、一人前と認めてもらえる」
などということが言われたり、
「万垢を目指す」
ということで、
「10,000を目指す」
という人もいたりする。
増やしたとしても、底で何か、
「ツイッター上での、営業活動」
ということで、集客目的などであれば、れっきとした目的があるのだから、問題はないと思うのだが、
「ただ、アカウントを強くする」
などという、漠然とした目的で増やしている人は、
「それ以上の目的がないのなら、何がしたいのか分からない」
と言われるに違いない。
そもそも、ツイッターなどというのは、
「ツイートして、それを見てもらうことが目的で、何も、フォロワー数を増やすことが目的ではない」
と言えるだろう。
さらに、見てもらうということを目的にする必要もない。
「興味をそそるようなことであれば、勝手にフォロワー数も、いいねも増えてくるものである」
と言えるのではないだろうか?
ツイッターをやっていることで、何かを目標にするのであれば、
「ツイート数を目標にすればいいのではないか?」
といっているような人もいたが、まさにその通りではないだろうか?
人によっては、
「毎日の継続を、日記のような感覚で毎回ツイートしているという人もいるが、それが、そもそものツイッターではないだろうか?」
と感じるのであった。
フォロワー数が、1000人になれば、一人前のようなことを言われているが、果たして、その1000人というのを、皆把握しているのだろうか?
まさかそんな人はいないだろう。
友達だって、自分で理解できている人とすれば、20人くらいが限度ではないだろうか?
クラスメイトというのであれば、名前くらいは、50人くらいは憶えることができるだろうが、
「友達として」
ということであれば、20人がいいところだろう。
もっといえば、
「その20人という中に、自分が友達だとは思っていても、相手が本当に自分のことを友達だ」
ということで理解してくれているのは、何人だろうか?
「ああ、あいつが勝手に友達だと思っているだけで、こっちは何とも、思っちゃいないさ」
ということであろう。
「友達なんて、しょせん、そんなもの」
この結論に達したのは、大学3年生くらいになってからだろうか?
そ-の頃になると、大学でも忙しくなってくる。
専門授業やゼミなどが忙しくなり、それが終わると、就活に入る。
大学入学時代の、
「友達と言っていた連中も、それぞれに必死になる。自分だって同じではないか?」
ということである。
大学で最初に作った友達、何人くらいだっただろう。
2年生になってみると、
「あの時どうやって友達を増やしたんだっけ?」
と考えてしまう。
たぶん、自分一人だけでは、できるわけもない。
「友達の友達は、みな友達だ」
というようなテレビ番組が昔あったらしいが、まさにその通り、
「友達の友達を友達にして、まるで、鼠算のように増やしていく。この増やし方は、鼠算というよりも、ねずみ講と言った方がいいかも知れない」
というのであった。
何せ、
「友達の友達」
なんだから、憶えれるわけもない。せめて、朝の通学で会った時、毎朝の挨拶として、
「おはよう」
という言葉を交わすだけでも、それでも友達だといってしまえば、友達なのだ。
それを思うと、
「友達の定義って何なのだろう?」
と考える。
大学2年生の時というと、まだ、SNSなどというものに、嵌っていたわけではないので、意識はないが、それから数年経って、ツイッターなどというものをするようになってから、
「フォロワー数を気にする」
という人の気が知れない。
と考えるようになってはいたが、実際には、気にしないわけでもなかった。
ただ、
「ツイート数の方が気になる」
という感覚でしかなかったのだ。
一年生の時に増えた友達も、二年生になってくると、
「挨拶すらしない」
という人も増えてきた。
その頃になって。
「友達って何なのだろう?」
と思うようになると、
「真の友達って何なのだろう?」
と感じた。
そこで思ったのが、
「趣味や考え方を共有できる人がいないんだ」
ということに気付くと、その理由は、すぐに分かった気がした。
一つのことが分かってくると、氷塊してくるのが早いようで、
「なるほど、大学のキャンパスに根を下ろして、サークル活動などというものをしていないからではないか?」
と感じたのだ。
確かにそうだ。
「大学のサークルで、興味のあることを共にしていて、何かを目指すということがあれば、最高ではないか?」
ということであった。
体育会系であれば、
「大会に出場し、優勝する」
という明確な目標を持つことができるだろう。
しかし、高杉は、スポーツ音痴で、スポーツに興味を持つこともなかった。
高杉が興味のあることといえば、
「何かを作る」
ということであった。
「絵や、工作は、小学校の頃から苦手で、音楽などは、音符が出てきた時点で、挫折したものだ」
と思っていた。
そうなると、本というものが好きで、時々やっていた読書が好きだったことを思い出した。
思い出そうとしなければ思い出せないというのは、
「読書が好き」
というよりも、
「読書をしている時の、贅沢な気持ちが好きだったのだ」
というものだった。
安楽椅子のようなものだったり、できれば、ハンモックのようなところで、読書ができれば素晴らしい。
と考えていたのだ。
だから、読書ということよりも、
「読書をする環境が整っていることが好きだった」
といってもいい。
だから、前から、
「こんな本を作る人になれればいいな」
と思っていた。
それも、製本というわけではなく、読者を物語に引き込むような話をつくる、
「小説家」
という職業である。
だが、それも、おじさんの話を聴いた時点で、正直、
「紙媒体では、望むだけ無駄なんだ」
と考えるようになった。
「自費出版社系の詐欺」
というだけではなく、
「紙での出版自体が、すでに時代遅れである」
という、もっと切実な問題が降りかかってくるのだった。
そういう意味でいけば、
「紙媒体での出版」
という時代の、
「世紀末」
ということで、あの、
「自費出版社系の詐欺」
という出来事があったと思うと、この社会問題も、
「一つの時代の終結」
ということで、
「時代を反映している」
といっても、いいことであろう。
そんな時代の流れの中で、
「小説を書く趣味なんて、もういいや」
と思って、書くのを辞めていく人も多いだろう。
しょせん、バブルが弾けた時、
「何でもいいから、趣味を持ちたい」
という安易な理由から、この世界に入った人は、さっさと他の趣味に走ったことだろう。
他の趣味でも、この時のような、
「自費出版社系の詐欺事件」
というものがなかったといえるだろうが。
当時あれだけ、サブカルチャーに走った人がいて、むしろ、
「小説を書く」
などという趣味は、明らかに少数派だったはずだ。
確かに、一人が本を出そうとすると、その単価は大きいだろう。しかし、だからといってそれがすべて儲けにつながるわけではない。
その時には思ってもみなかった、
「作っても、売れずに残ったり、万が一、本屋に出たとしても結局、秒で返品されるだけで、どうすることもできない」
というのが、その傾向だったりするのではないだろうか?
それを考えると、
「他の趣味でも、詐欺的なことがあって、騙されたりした人も多いのではないだろうか?」
と感じる。
「興味のないことには、あまり関心がない」
というのは、それはそれで仕方がないことである。
それに対して、
「興味をもて」
というのは、無理強いであり、昔の大人が言っていたような、
「新聞や、ニュースを見ろ」
といっても、実はおかしなことである。
なぜなら。
「新聞やニュースの方が、よほど、政治体制のどれかに寄っていて、正論とはほど遠い」
と言えるのではないだろうか?
今の時代に強要するということは、
「会社の上司、親などの立場的に強い人であれば、それは、パワハラという、コンプライアンス違反になるのだ」
ということである。
そんな中において、会社だけではなく、家庭でも、
「ややこしい人もいる」
という話を聴いたことがある。
というのは、
「老年期の、引きこもり」
というのである。
「50歳以上の健康な男性が、仕事もせずに、家で引きこもっている」
ということである。
これは、
「80歳くらいの親が、息子を食わせる」
ということになるのであり、当然働けないので、
「年金に頼る」
ということになるか、それくらいの年齢であれば、当時の定年の年齢である55歳というと、まだ、バブル時期、ギリギリだったのではないだろうか?
もし、バブル崩壊の後であっても、どうせ間抜けな政府に、そこまで素早く、
「年金を減らせる対応」
などできるはずもない。
いわゆる、
「お役所仕事」
というのは、昔から今に掛けて、ずっと同じことだったと言えるだろう。
そのせい、いや、おかげという皮肉を言ってもいいのか、その頃に年金が確定している人は、
「今まだ、年金を貰っていない人」
に比べれば、どれほど、多く貰っているということであろう。
何しろ、
「事業を拡大すればするほど、儲かる」
あるいは、銀行などでも、今では絶対にやってはいけない、
「過剰融資」
というものを、
「儲かるから」
という理由で、誰もそのことがいかなる不幸をもたらすかということを分かっていなかった時代なのである。
今であれば、
「そんなこと、お偉い先生が集まって、誰も気付かないのか?」
というような、小学生的な発想に近いことであるはずだ。
「銀行は絶対に潰れない」
と言われ、なぜかと聞くと、
「国が助けてくれるから?」
ということになるのだが、これだって、おかしな話で、ある意味、当時から、
「国の借金も結構あったはず」
の時代ではないのか?
だから、昭和の終わりに慌てて、果てしないと言われたほどの借金のあった、
「国鉄」
などの、いわゆる、
「三公社」
を慌てて、民営化し、国と切り離すことで、リスクヘッジしたくらいの時代ではないか?
そんな時代を思い起こせば、あの頃は、給料、ボーナスが、どんどん上がっている時代だったのあった。
バブルというのが、どういう時代だったのかということであるが、それ以降というと、急激に時代も変わっていった。
「男女雇用均等法」
「個人情報保護汪」
「ストーカー規制法」
「コンプライアンスの問題」
などと、昭和の頃のことを今の人間が、昭和の人間からすれば、今の人間が、
「まず信じられない」
ということになるであろう。
そんな時代では、
「女性に年齢を聞くことはもちろん」、
「結婚しないの?」
さらには、
「今日もきれいだね」
というようね、世間話でも、セクハラになったりする。
だから、会社では、上司が部下に命令する場合も、恫喝すると、それは、
「パワハラ」
ということになる。
要するに、
「明らかに優勢な立場にある相手に対し、その立場を利用して、命令するというのは、仕事の範疇を離れるようなことであれば、すべて、パワハラになる」
ということである。
これは、家族関係においてもそうではないだろうか?
子供を教育する立場の教師でさえ、廊下に立たせるだけで、
「体罰」
と言われるのだ。
だから、親が子供に対して、
「親という立場を使って、命令したりすることは、パワハラになる」
ということであろう。
何しろ、
「しつけ」
という都合のいい言葉を使えば、
「体罰も許される」
ということになるのだ。
それは、本当にありなのだろうか?
要するに、その境目がどこにあるか?
ということである。
例えば、痴漢犯罪でも、女の子が、痴漢されているように見える場面で、横から男が出てきて。女の子の近くにいる男を、
「あんた、ちょっと次の駅で降りろ」
などと言われて、言われた男がビビッて降りると、
「お前、痴漢していただろう?」
と言われる。
男としても、していないとしても、その証拠がないだけに、
「していません」
といっても、その言葉に力はない。
そして、さらに、それを聞いた男は、
「お前舐めとんか。俺のオンナに何しやがる」
といってくると、男はビビッてしまって、もう何も言えなくなる。
そう、いわゆる、
「美人局」
というものだ。
女が、
「痴漢されました」
といって警察にいけば、いくら黙秘していても、最終的には、やってもいないことをやったということにされてしまう。
「そうなるよりも、男のいうことを聞いておこう」
ということになると、男は完全に言いなりである。
一度金を渡すと、ずっと食らいついてくるから厄介だ。
そういう意味で、男女平等といっても、今度は女性が強くなることで、治安が一気に悪くなってしまうことだって結構あるのだ。
それを思うと、
「過ぎたるは、及ばざるがごとし」
ということになるのだ。
要するに、男というものは、女に対して、完全に立場が逆転してしまう。
これは男女間においてもそうだが、
「コンプライアンス」
という問題からも、
「上司と部下」
「親と子」
という。それぞれに優劣のハッキリとしている立場の場合にも言えることだ。
上司が、
「会社で、女子社員や、部下との会話もまともにできなくなる」
というもので、昔を知っている人にとっては、これほど大変なことはなく、劣等的な立場にいる人にとっては、気が楽になるというものではないだろうか?
「せめえ大学では、そんなことがないようにしたいものだ」
と、部員の上の人は思っていた。
そういう意味で、今回の合宿は、
「気楽にできる」
ということをモットーに考えた。
「最低ラインの上下関係だけはあっても、それ以上のことはない。男女関係においても、優劣においても、基本はないものだ」
ということであった。
今回の参加メンバーは、約15人くらいと、少なくはない。もちろん、強制したわけではない。
「これる人だけくればいい」
という話にしていたのに、
「やっぱり、差別的なものや、強制がなければ、自然と人は集まってくるものなのかも知れないな」
と、幹部は考えた。
ただ、この参加人数が多いのは、部員の中で、横のつながりがあったからだ。
「あの人がいくのなら、私もいく」
ということになったのだろう。
しかし、その中に、
「無言の圧」
のようなものがあったのかどうかということは、あくまでも本人たちにしか、分からない。
実際には、本当に、差別がなかったのかどうか、
「圧力の存在はどうだったのか?」
ということに関しては、誰にも分かるものではない。
そういう意味では、
「本人たちにも分かっていないのかも知れない」
と思うと、それだけ、年功除雪のような、上下関係は、無意識になるほどに、受け継がれてきたものなのだろう。
育ってくる環境で、
「コンプライアンス」
ということは言われ続けてきたのだろうが、遺伝子の中などに、脈々と受け継がれてきたものが、どこかで、無意識に出ているということはないともいえない。
それは、当たり前のごとく、出てくるのだとすると、本人たちに意識がないだけに、いくら言葉で、
「コンプライアンス」
ということを唱えても、どうしようもない。
特に学生は、社会人のように、会社に、
「総務部」
があって、会社の中での規律を正常に至らしめる部署がある場合は、社員一人一人が意識せざるを得ないのだが、学生のように、
「生徒一人一人の自主性」
ということになると、なかなかそうもいかないだろう。
もちろん、中には、ハラスメントをまともに意識してしまって、どうしていいのか分からないという人もいるだろう。
しかし、そうでなければ、どうしていいのか分からない状態であれば、どのように対応すればいいのか、疑問でしかないのだろう。
遺伝子によるものであったとすれば、
ひょっとすると、その人には、
「先祖代々、自分が優越感に浸れるような相手がいて、逆にその相手の先祖も、同じように、その人の祖先を天敵として、ずっと崇める形になっていたのかも知れない」
ということは、
「永遠にその人から逃れられない」
という過去を持っているのだとすれば、それはまるで、
「動物の天敵」
というものを、それぞれの種で教えられてきたわけではないのに、知っているというような、
「遺伝子の中に、組み込まれている感覚だ」
といってもいいだろう。
同じような感覚が人間の中にあるとすれば、それは、どこまでが本能で、どこからが遺伝子によるものなのだろうか? そもそもが同じもので、勝手に人間が別の言葉を用いて、分けているだけではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「人間というものは、どうしても、自分を特別と感じたい人種なのだろう」
部活の中には、それを感じさせる人がいないわけではなかった。
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