第5話
こんなに長い話だったのに、彼女はただ黙って聞いていてくれた。頷きも、茶化したりも、声を挟んだりもしない。真剣な目で話をただ聞いていた。
「それは、辛いだろうね」
「ああ、辛いよ」
ただ、彼女はそう言った。気を抜けば自分の胸をナイフで抉ってしまうんだ。辛いなんてものじゃない。この苦しみは、そうなった人にしか分からないだろう。
「でもさ、それは本人に聞いたわけじゃないでしょ?」
「そりゃあ、そうだろ」
なんでこんなことを本人に聞かなくちゃいけないんだ。聞かれる方も困るし不快だろう。相手に迷惑がかかるようなこと、出来るわけが無い。
「ねぇ、お兄さんの見てる世界に人はいるの?」
「そんなの、当たり前だろ。今目の前にあんたがいるじゃないか」
「そういうことじゃないよ」
ピシャリと、人魚は俺を諭すように言った。その目は、俺を責めるようだ。その視線がいたたまれなくて、俺は少しだけ目を逸らした。すると、人魚は俺の顔をガシッと両手で挟み無理やり目を合わせる。何するんだと、文句の一つでも言いたかった。でも、言えなかった。
その顔が、美しかったんだ。そして、真剣だった。俺はそれから逃げるすべは持ち合わせていない。ただ、その顔を見つめることしか出来なかった。
「お兄さんはその人たちと向き合おうとした?私には、逃げ続けているようにしか見えない」
「……逃げてなんか」
「逃げてないなんて言うなら、どうして本人に聞かないの?どうしてその悩みを友達に打ち明けないの?」
何も言い返せなかった。ただ、怖かったんだ。迷惑とか、不快に思うだろうとか、そういうのもある。けれど、いちばん怖いのは拒絶されることだ。
もし、本当に俺の事を嫌っていたら。俺はどうなってしまうんだろうか。想像もできない。俺は、あの人達に依存していると言っても大差ないから。それを失えば、俺に残るものは何も無いから。
「お兄さんは自分の殻に、世界に閉じこもっているだけだよ。周りの声は無視して、聞こえないように閉ざして、一人で蹲ってるだけ。話を聞いていれば分かるよ。その人たちとはすごく仲が良いんだって。お兄さんは一人じゃない。頭を上げて、周りを見て。そこにはきっと、お兄さんの悩みと向き合ってくれる人がたくさんいる。お兄さんは孤独じゃないよ」
本当にそうだろうか。ふと脳裏に浮かんだのは遥。彼女は明るくて、ただ話しているだけで周りを笑顔にできるすごい人。そして、どんな話でも真面目に聞いてくれる人。彼女なら、もしかしたら……でも。
「まだ迷ってるの?」
「ああ、怖いんだよ。ほんとに、こんな悩みを聞いてくれるのかって」
「なら、ダメだったらまたここに逃げてきなよ。私が慰めてあげる。死にたかったら、今度は止めない。いい逃げ場でしょ?」
「……そうかも」
「今日会ったばかりだけどさ、私はお兄さんのこと友達だと思ってるよ」
「……!奇遇だね。俺もだ」
その言葉だけで、俺は救われた気がした。そうか、俺はずっと誰かにそう言われたかったんだ。孤独じゃない証が欲しかったんだ。またここに来れば、俺は孤独じゃない。友人がここにいるんだから。ここに来なければ会えなくても、それでいいんだ。
「うん、逃げる場所があると思ったら気分が楽になってきたな」
「でしょう?あと必要なのは顔を上げて一歩踏み出すだけだよ!さあ、当たって砕けろ!……あ、私は砕けないことを願ってるからね?」
「あはは、ありがとう」
「私は心配いらないと思うけどね。だって、いじめられてることだってお兄さんに話してくれたんでしょ?それってすごく勇気がいることで、信頼してる人にしか話さないよ」
そうだ。彼女も怖い思いをしただろう。それを話すのは勇気のいること。信頼……してくれてるといいな。
やっと、人魚は俺の顔から手を離してくれた。頬を伝わる暖かさだけがまだ残っていた。いや、これは涙のせいか。そいうえば、泣いたのなんていつぶりだろう。
死ぬ理由もなくなってしまった以上、もうここにいる理由は無い。帰ろうか。終電までに行けるとこまで行って、始発で帰れば、ぎりぎり学校に間に合うかな?そうと決まればお別れだ。
涙を指で拭う。この人と別れるときは笑顔がいい。何故だかそう思った。前を向くためのけじめだとでも思っておこう。
「本当に君と出会えて良かったよ」
「ふふ、私も」
じゃあね。また来るかもしれないけど、そうしたら今日みたいに話を聞いてほしいな。任せてよ。そんな会話をして、俺たちは別れた。砂浜から出て振り返ると、彼女は笑顔で大きく手を振っていた。俺も、笑顔で振り返す。顔が見えなくなるまで、彼女は笑顔で俺を見ていた。
電車に乗ると、現実に戻った気がした。なんて言うんだろう。虚無感とでも言うべきものが襲ってくるんだ。夢のような体験だったからだろう。頬をつねるけど、やっぱり痛みが伝わってくる。そんなバカなことをやっていると、カバンに入れたままのスマホから振動が伝わってきた。通知は遥からのメッセージ。
『SNSに上げてた写真さ!〇〇〇〇の場所だよね!今そこにいるの!?』
相変わらずの元気さが文面からも読み取れる。ついでに言うなら、これを喋っている姿までも簡単に想像できてしまう。相変わらず変わらないなと、思わず笑みがこぼれる。
『あれ?でも今日学校だよね?』
続いてきた通知もAのメッセージのもの。文面からするに彼女も今日は学校に行っていないのだろう。風邪でもひいたのかも。
『休んだ』
とりあえず、返信しておこう。すると、既読がすぐについた。さらには返信まで。
『そっかー』
そっかーて。まあ、べつに風邪ひいたとも言ってないし、そんなもんか。
────どうしてその悩みを友達に打ち明けないの?
今が、頭を上げる時なのかもしれない。このタイミングを逃したら、もう言い出せない気がする。そう思って、文字を打つ。やけに鼓動がうるさい。遥斗が告白した時もこんな気分だったんだろうか。ある意味、告白ではあるか。文はできた。でも、送信が押せない。指が重い。
『もし、拒絶されたらどうするの?』
『彼女は俺のことが嫌いなんじゃない?』
『こんなこと打ち明けても迷惑だろ?』
誰かが、頭を上から押さえてくる。そして、頭を上げない理由を囁く。ああ、その通りかもしれない。彼女は俺のことが嫌いで友達だなんて思ってないかもしれない。
『全部、お前が察してないだけなんだよ』
『友達だと思うなら、察してやれよ』
『なあ、やめとけよ?』
そうだな。拒絶されたら立ち直れなかっただろうな。そしたら、次こそ死ぬかもしれない。止める暇もないくらいにさっさと。
……だけど
────なら、ダメだったらまたここに逃げてきなよ。私が慰めてあげる。死にたかったら、今度は止めない。いい逃げ場でしょ?
────私はお兄さんのこと友達だと思ってるよ
それは昨日までの話だ。今は俺の逃げ道を作って待っていてくれる友達がいるんだ。だから、俺は自分の周りをちゃんと見ようと思う。
人に嫌われていたっていい。馬が合わない人ぐらい居るだろう。拒絶されたって構わない。仕方のないことだろう。それに、友達はいるんだ。新幹線と電車に乗って、八時間も掛けないと会えないような場所にいるけど。それでも、彼女とは友達だ。ただ、彼らと毎日のように遊んでいるだけ。今、一番仲がいいだけ。でも、だからこそ、彼らと向き合いたい。
「だから、止めないでくれ」
不思議と、躊躇いは無くなっていた。心臓の鼓動も聞こえなくなり、指は重くない。すんなりと送信のボタンを押す。
『実は、悩みがあるんだ』
今日、俺は顔を上げて、一歩を踏み出した。
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