第2話

 電車が当分来ないことはさっきの駅の時刻表で把握している。だから、まずはこの場所を味わうことにした。手始めに映像と似たような画角で撮ってみる。


「画質悪……知ってたけど」


 生憎、スマホは少し……いや、だいぶ古い型なのでカメラも低性能だ。まあ、ここがどこか分かればいいか。なんとなくこの写真をSNSにアップする。もう、癖みたいにほとんどの若者に浸透している行為だろう。行った場所、見たもの、買ったものの写真をアップしてみんなに共有する。それ自体は良いことだと思う。そういえば、まず目で見て記憶に焼き付けなさいって言う人がいたな。俺には関係ないか。どうせ死ぬし。生きていても自殺しに来た時の記憶なんて忘れるわけが無い。


 なんとなく、踏切を眺めていた。あの曲の作者、もしくはイラストを描いた人は何を思ってこの場所を選んだんだろう。踏切を眺めている間、ずっとそんなことを考えていた。しかし、答えが出るわけもなく、踏切の音に、思考に沈み切った体を引き戻された。いつの間にか、結構な時間がたっていたみたいだ。


「そろそろ行くか」


 何か買うかもと思って大金を持ってきたけど、結局何も買わなかったな。いや、そういえば駅弁だけ買った。記念にという意味と単純にお腹がすいたから。これから死ぬんだろ?と笑われるかもしれないが、そもそも俺は生きたいとも死にたいとも思っているんだ。どっちにも転べるようにしておきたいし、逃げ道をなくして後悔したくはない。だけど、きっとどっちを選んだって後悔する。


 踏切を通り過ぎると、すぐそこが海だ。ただ、防波堤などが邪魔して深い場所まで行くのは少し難しそうだ。というか、被覆ブロックが人が侵入するのを拒むように置いてある。ただ、もう少し右に行けば、深い場所まで行けそうだ。


 砂に足を取られながら、サンダルを持ってくればよかったと後悔しながら歩く。砂漠もこんな感じなんだろうか。それとも、もっと砂が深いのか。きっと深いんだろうなと、行きもしない場所への妄想をする。もし生きて帰ったら、いつか行ってみようかな。うん、きっとそれもありだ。


 そして、被覆ブロックのない場所までたどり着いた。ああ、やっと死ねる。ああ、やっぱり生きたい。そんな想いが混ざり合いながらも、俺は歩を進める。段々と体が水へと近づいていく。その度に足は重くなる。けれど止まらない。きっとこのまま死ぬんだろうなあ。


「ねぇ、お兄さん」


 足が止まった。自分の生きたいという思いでは全く止まらなかった足が、少女の声が聞こえただけで止まった。少女に人が死ぬところなんて見せる訳にはいかないもんな。なんて言い訳をして、自分の足を見ていた視線を上げた。だが、砂浜には相変わらず俺一人だ。


「こっちこっち」


 声がしたのは、左下。波打ち際に座り込んでいる、15才くらいの少女がいた。いつからそこにいたのか。なんて疑問は彼女の容姿の前ではどうでもいいことだった。フリルの付いた可愛らしい水着。整った目鼻立ちと無垢な表情が彼女の少女らしさをより醸し出してる。海水で濡れているミディアムヘアはキラキラと太陽の光を反射していて美しい。そして、何よりも目を引いたのが彼女の足……いや、下半身だった。それは人間のものではなく、鱗があって、鈍い青色がキラキラと輝いている。有り体に言ってしまえば魚の尾ヒレ。それが彼女の下半身だった。つまるところ、人魚。


「あ、びっくりさせちゃった?」


 びっくりした。どころの話では無い。自分の中で驚天動地が起こっている。人魚なんて空想上の生き物。存在しないものだと思っていた。しかしまさか、現実にいるなんて。いや、もしかしたら俺が幻覚を見ているのかもしれない。もしくは夢か。


 頬をつねってみる。すごく痛い。夢じゃない。となると、幻覚だ。しかし参った。となると、幻聴も起こっていることになる。まさかそこまで俺の心が追い込まれていたとは。


「夢じゃないし、幻覚でもないよ?」

「あはは、まさか」

「そのまさかだよ。私は本物の人魚だって。ほら、触ってみ?」


 そう言って、人魚は自分の足?をこちらに向けてきた。え、これ触るの?さすがに女子の足を触るのはセクハラだろ。そう思いつつも好奇心には勝てなかった。そっと、失礼にならないようにゆっくり手を伸ばす。水を反射する銀色だか鈍い青色だかのそれに触れると、ざらついた感覚が指先に伝わる。魚の鱗みたいだ。魚を触ったことは片手で数える程しかないけれど、なんとなくそれと似たような感じだった。違いがあるとすれば、ぬめりが無いことぐらい。


「どう?夢じゃないでしょ?」

「うん」

「魚よりも綺麗なこの鱗が自慢なんだよね」

「ぬめりが無いのは意外だったよ」

「失礼な!ちゃんと毎日淡水で洗ってますぅ!」


 確かに失礼だった。今のは全面的に俺が悪い。ただ、言い訳をさせて貰えるならば、俺の常識を逸した存在が目の前にいるんだ。混乱もしようと言うものだろう?まあ、失礼だったのに変わりは無いけど。


「そういえばさー」


 打って変わって人魚は穏やかな表情でこちらに流し目を送る。その顔は今まで見てきた何者よりも美しくてドキッとした。


「お兄さんは何のためにここに来たの?」


 その言葉に、今度は別の意味でドキッとした。俺がここに来た理由は人に褒められるようなものじゃない。むしろ、誰かに知られていたら止められたんじゃないかな。でも、それはきっと俺を心配してじゃない。人を死なせてはいけないというこの日本に染み付いた倫理観からだ。俺はそれが大っ嫌いだ。


 SNSなんかでもよく見る光景だ。自殺したいっていう人を大勢の人がむやみやたらに「死んではダメだ」と諌める。誰がそんなことを決めたんだ?じゃあ、お前たちに何が出来る?出来ないだろう?顔も知らないような他人に何か出来るほど人間ができているのか?


 他にも、アカウントの主が死亡したことを知らせると大勢の人がそれに対して「ご冥福をお祈りします」などのメッセージを送る。例えばそれが知っている人物であれば問題ない。けれど、フォロワーの人数よりも明らかに多い人物がメッセージを送っている時がある。それに対してモヤモヤする時があるんだ。俺がひねくれているだけかもしれない。いや、そうなんだろう。


 だが、仕方ないじゃないか。なぜ、今知った人にメッセージを送る?その人はもう居ないのに。赤の他人に送られたって本人は困惑するだろう。俺はそう思ってしまうのだ。

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