第19話 純然たる悪意 5-4
ビルの屋上。
眼下で、いよいよ始まった戦いを見下ろしながら隔絶たる黄金――アーサー・ペンドラゴンは口元を緩めた。
「は、気張れよ燈。その男は厄介だぞ。なんせ、この俺から《鞘》をくすねた悪戯者だからな」
自身が海を渡ってこの島国に来ることになった理由を呟き、目を細める。
三年前、約千年にも近しい永い眠りから目覚めたアーサーは、必死に……というほどでもないが、それなりに苦労して取り戻した聖剣の《鞘》が盗まれていることに気付いた。
その犯人があの悪戯小僧――アカ=マナフだと知ったのが二年前。
襲撃を仕掛けてみるも逃げられ、姿を晦ませらてしまったのだ。まあその際に、意趣返しに神格に対して致命的なダメージを与えたが。
ようやく逃げたアカ=マナフの居場所を突き止めたのが、二ヶ月以上前のことだった。
海を渡って上陸してみれば、自身と敵対している組織の諸侯であるヴァルゼナードとかいう小僧に絡まれてしまったが……まあ、あれはあれで退屈凌ぎにはなった。
そうしてなんとか戦旗の眼を掻い潜りながら、日本を楽しみつつアカ=マナフ探しをしていると、枢摩燈という興味をそそる少年と出会った。
剣王たるアーサーは、蛮勇と勇気を好む。
初めは燈の持つ因果に興味をそそられただけだったが、記憶を覗いてみれば、女のために命を擲てる阿呆だと分かり、好みドンピシャだった。かつ欲しい情報も持っているのだから、気に入らない訳がない。
「お前は余が気に入った男だ。つまらぬ戦いは許さぬぞ」
当人からすれば傍迷惑以外の何物でもない期待感を抱きながら、幻獣ごと黒樹を薙ぎ払う燈に、アーサーは不敵な笑みを向ける。
「来ると思っていたぞ」
不意に、アーサーはその視線を後ろに向けた。
魔界と化したビルの屋上に、黄金と対を成す白銀が立っている。
「アカリを餌として俺とアカ=マナフの両方を釣り出し、一度で面倒な存在を叩く。上手くいけばアカリはアカ=マナフを、そしてお前が余を。仮にアカリが無様に殺されても、弱体化した神格程度なら片手間でも事足りる……と、この辺りか」
いつの間にそこに立っていたのか、いつぞやのように真意を感じさせない瞳を湛えて、ヴァルゼナードはアーサーを見つめていた。
「部下使いの荒い男だな、お前は」
「使えぬ駒は不要だ。アレに餌以上の価値があるか否か、この場を持って俺が見定める」
どこまでも抑揚を感じさせない冷めた声。
燈の奮闘ぶりに喜悦を滲ませるアーサーとは、とことんまで対極だった。
「は、では、あの日の続きと行こうか。喜べ、今の余は機嫌がいい。多少は本気で遊んでやろう!」
魔界と化した不破奈市で、もう一つの超越者同士の戦いが幕を開けようとしていた。
*
襲い来る幻獣ごと、黒樹を受けから叩き潰す。
捻りを加えて放たれた一撃は、跡形もなく地面を抉り飛ばし、周囲にいた幻獣を爆散させる。
発生した衝撃波は、周囲の建物のガラス全てを壊し尽くした。
片腕を失いながらも、アカ=マナフは黒樹を上手く使って燈と渡り合う。
『そら』
左手から生やした黒樹を鞭のように撓らせ、燈の生み出した衝撃によって吹き飛んだ幻獣を真っ二つ切り裂く。
苦衷に飛散する血飛沫は眼くらましとなり、燈の死角を広げる。
アカ=マナフは続けて、視覚を利用して黒樹で包囲攻撃を繰り出した。
三百六十度、全方位からの一斉攻撃。横軸からだけでなく、地中と上空からの縦の攻撃もある。
血煙のせいで一瞬だけ反応が遅れてしまった燈は、回避を切り捨てた。
「――
刹那、破壊の炎が万象を焼いた。
燈を起点として発生したその炎は地面を融解させ、血煙諸共黒樹の攻撃全てを灰に帰す。
聖遺物の第二段階である『起動』によって、新しく使えるようになった
この炎は燈の両腕と同じように、破壊の概念を宿し全てを焼く力を持っている。
触れただけで異能ごと刹那の内に呑まれ、灰も残らず焼失してしまう。
それだけでなく、炎自体の温度も優に三千度は超える。
太陽の表面温度が六千度であるということを考えると、破壊力という点では申し分ないだろう。
『
放たれる火焔の息吹を避けながら、アカ=マナフは異能の素性を見破る。
『キヒ、確かにアイツはその聖遺物と深い縁があったな。まったく、聖遺物と適合しただけでも
初めてアカ=マナフから焦りの色が見えた。
火の神アータル――イラン・ペルシャ神話における善神であり、最高神の息子たる英雄神。
アータルは神でありながら戦士と火の精としての性質も持ち、守護と悪滅の属性を持つ悪神たちの天敵だ。
彼の持つ力は強大で、その火焔はあらゆる魔に属する存在に対しての特攻を持っている。
この火焔は、アカ=マナフのような存在にとっての毒でもあった。
『いけ、お前ら!』
距離を縮められるのは不味いと思ったのか、アカ=マナフは火焔に忌避感を抱く幻獣たちを無理矢理突撃させてくる。
羽音や唸り声を上げて迫りくる幻獣の群れは、さながら暴威の波。
しかしそんな程度のものでは今の燈を仕留めることなど、できるはずもない。
火焔の持つ摂氏三千度という熱は、瞬間的に生命以外の全てをも灰燼に帰す。
融解した周囲の地面は、急速に冷やされてガラス化していた。
「逃がさない」
『くっそ、来るんじゃねえよ』
今まで余裕綽々といったアカ=マナフが、悪態をつく。
燈が悪神の命に手をかけている証拠であった。
武術における歩法の極みは縮地である。両者の間に存在する空間を技術によって、無理矢理縮めて自身を短距離空間跳躍させるのが、縮地という技術だ。
武術において最難関ともいえるこの技術を体得できる者は、魔人を含めた全人類を見ても少ない。
無論、そんな至高の技とも呼べるものを燈が扱える訳がない。
だからこそ、その空間跳躍ともいえるような驚異的な俊敏性は、彼の純粋な身体性能が引き起こした単なる高速移動だった。
『なにっ! くそ!』
足止めする黒樹全てを焼き尽くして、縮地と勘違いしそうになるほどの速さで、燈はアカ=マナフの正面に回り込む。
音の壁を越えても魔人の肉体に影響らしい影響はない。これがただの人間なら、即座にバラバラに砕けていただろう。
綾乃という気にするべきものがない今、これが燈本来の性能だった。
『くっ』
急停止するアカ=マナフは、自身の血を吸わせ強化した黒樹を無数に放ち、先手を仕掛ける。
――
業を焼き尽くす破壊の大紅蓮は、地上の魔界に蔓延る植物を呑みこむ。
異能を砕く両腕と、火神の火焔。
逃げようとするアカ=マナフの首を、燈は捕まえた。
『ぐ、くそ』
岩石をも豆腐のように砕く握力は、捕まえた悪神を決して逃すことはない。
「終わりだ」
『終わり? キヒ、違うな。まだ終わらない。これは始まりさ』
逃げられないと悟ったのだろう。
じたばたと足掻いていたアカ=マナフは、抗うのをやめて燈を見下す。
『今回は予想外なことばかり起こる。中でもお前だ、枢摩燈。お前が一番のイレギュラーだった。初めはただの愚かな子供だと思っていたのに、まさか光輪と適合するとは思わなかった!』
饒舌に語るアカ=マナフからだんだんと焦りが薄れ、嘲笑が戻っていく。
『だが、目標は達した。十分だ。惜しむらくはあの
言葉が続くことはなかった。
灰燼の火焔が、悪意を包む。
手を離すとドサッと、子供の姿をした神は倒れ込んだ。
深く息を吐く。
張りつめていた緊張と怒りが出ていく気がした。
周囲を見渡す。
人、幻獣、黒樹、動いていたあらゆるものの残骸が死屍累々と転がっていた。
崩壊した街並みは、終末後の世界のようだった。
このままここにいたら、心までが荒みそうだ。
だから、急いで刀耶たちのところへ行こうと動いたとき、
『コングラチュレーション。褒美だ、絶望をくれてやる』
後ろから声が聞こえて振り向く。
灰と化す中で、悪意が微笑んだ。
刹那――
《掛けまくも
――神代の神秘が招来した。
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