第18話 純然たる悪意 5-3


 不破奈市西側。


「さて、枢摩たちを巻き込まないように範囲を絞んなきゃな」


 そこそこ難しいことを言ってる自覚があるのか、刀耶は苦笑いを浮かべた。

 刀耶の隔絶境界は、強力である反面、自制の利かない殺戮衝動を抱え込むことになる。

 自分の世界に無理矢理巻き込んだ挙句、自分自身の手で味方を殺しては本末転倒だ。

 だから例え難しいことであっても、やらなければいけない。

 出会ってまだ日は浅いが、刀耶は燈のことを気に入ってるのだ。

 そして途中でこっそりくすねてきたアカ=マナフの腕を持ち上げて、その血を飲み干す。


「――歌を聞け、私に残された幸せを。どうか帰ってきてほしい私の愛する人よ。貴方は私の光であり、私の太陽。骸となった恋人の歌。汝は誰か、私はその歌を知っている」


 さすがは神の血か、たった一滴。一滴を飲んだだけで、瞬時に全身に力が漲って溢れ出す。


 ――歓喜していた。刀耶の魂と混ざり合った、二人の吸血鬼が。


 激しい殺意と共に、全能感が刀耶を包む。


「戻ってきておくれ、私の恋人よ、死が私たちを別つことはなく、私は信じている。貴方はいつか蘇る――『いと貴き君主の死都Blue blood ALUCARD』」


 暴虐なる血の夜が帳を下す。



 時同じくして、不破奈市の東側。

 唱えられる聖句のりとが、神威の顕現を示そうとしていた。


布瑠部ふるべ由良由良止布瑠部ゆらゆらとふるべ布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみの高くたか御神徳みうつくしびりて、蛇之麁正おろちのあらまさもて荒ぶる神等をば神問かむとはしに、磐根樹根草いはねきねたちくさ片葉かたは語止ことやめて、宿業一切はらひたもう」


 神まつる神刀の大祓おおはらえ

 荒ぶる御霊を抑え、厄災の一切を鎮める霊験なる神威。

 天華は戦旗の中でも屈指の実力者である。それがゆえに、今まで聖遺物に頼った戦い方をすることは稀だった。

 だからこそ天華の聖遺物との親和性は十五パーセントと、戦旗の中でも最低だった。

 親和性の低い聖遺物は、制御が難しい。

 現に今も天華は完全にものにすることができないでいる。

 しかし今、この魔界と化した場所では十分であろう。


「――『天之羽布都斯魂剣あまのはふつしみたまのつるぎ』」


 顕現するは戦神の一振り、一切両断の理をもって邪祓じゃふつ成す素戔嗚の武威。

 剣聖は無差別に幻想の獣を鏖殺する。



 魔界化した不破奈市の中心で、燈はアカ=マナフと相対する。

 獣の唸り声が聞こえた。虫の蠢動が見えた。街を覆い根を伸ばす黒樹の脈動を感じた。

 魔に属するあらゆる存在を従えて、隻腕となった悪しき思考アカ=マナフは燈を見据えている。


「アカ=マナフ」

『結局こうなるか。いいね、悪くない。これが物語なら一大の山場だ』


 局面を迎えても、アカ=マナフが相貌を崩すことはない。

 なぜなら彼にとっては全てがどうでもよくて、どう転んでもいいからだ。


「お前は一体何なんだ。何の目的があって、こんなことをする!」

『お、聞いちゃう? いいよ、別に隠すことでもないし』


 あっけらかんとした様子で、まるで友人のような気安さを感じさせる。

 アカ=マナフは問われて、天を仰ぎ手を広げた。


『《人類に与えられる試練群ヴェンディダード》――悪神ダエーワたちの復活さ』

「――っ!」


 人類に与えられる試練群。はるか最古、人類が生まれて間もない時代に絶対悪によって産み落とされた、十六の災厄と六人の魔王ダエーワ

 災厄は人類という種にとって致命となりかねず、六人の魔王たる悪神どもは、一柱であっても容易に星を滅ぼしかねない超弩級の存在。

 神格が弱まり実質的な封印状態にあるアカ=マナフでさえ、こうして街一つを戯れで滅ぼす力を持っているのだ。

 もしアカ=マナフが完全なる悪神として降臨していたのなら、こんな面倒な手順を踏まずとも、そこにいるだけで半径数十キロの人間は善悪を狂わせられ、暴徒とかしていただろう。

 権能なんて使われてしまえば、対抗するすべなど神秘の衰退した現代にはあるはずもない。

 聖遺物を介して脳内に流れ込む知識が、アカ=マナフの発言の重大さを警告する。


『なんの因果か、僕だけがこの現世に降りてきちゃってね。ほら、ずっと一人なのも寂しいだろ?』

「そんな理由で!」

『そんな理由だからさ。寂しさを埋めるのは、大切な仲間や同胞、恋人の存在だろ、人間?』


 どこまで人馬鹿にすれば気が済むのだろうか。

 欠片もそんなことは思っていないくせに、いかにもそれが人間の真理であるという風に騙る。

 事実、アカ=マナフが言っていることは間違っていない。

 人の心を癒すのもまた、同じ人である場合がほとんどだ。犬や猫などの動物で隙間を埋める人物もいるが、家族や大切な存在という意味では同じだろう。

 けれど、それをアカ=マナフがさも当然のようにして口にするのは間違っている。

 なぜならアカ=マナフの言葉は空っぽだからだ。なんにもない人を馬鹿にするためだけに、それっぽいことを言っているに過ぎない。

 燈は許さない。春陽を弄び、愚弄し、嘲笑して、使い捨てたことを。

 春陽はアカ=マナフの被造物かもしれないが、彼女は確かに心を持っていた。

 自身の犯した所業に自責の念を抱いて、それでもと罪悪感とささやかな願いのジレンマに陥って揺れ動く、人としての心が。

 これ以上の話し合いは、不要だった。


「――開闢せよ、新世界フラシェギルド。我が名は“火を識る者ツァラトゥストラ”」


 火の理を示す聖句をそらんじて、戦いの幕は切って落とされた。

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