第18話 純然たる悪意 5-3
不破奈市西側。
「さて、枢摩たちを巻き込まないように範囲を絞んなきゃな」
そこそこ難しいことを言ってる自覚があるのか、刀耶は苦笑いを浮かべた。
刀耶の隔絶境界は、強力である反面、自制の利かない殺戮衝動を抱え込むことになる。
自分の世界に無理矢理巻き込んだ挙句、自分自身の手で味方を殺しては本末転倒だ。
だから例え難しいことであっても、やらなければいけない。
出会ってまだ日は浅いが、刀耶は燈のことを気に入ってるのだ。
そして途中でこっそりくすねてきたアカ=マナフの腕を持ち上げて、その血を飲み干す。
「――歌を聞け、私に残された幸せを。どうか帰ってきてほしい私の愛する人よ。貴方は私の光であり、私の太陽。骸となった恋人の歌。汝は誰か、私はその歌を知っている」
さすがは神の血か、たった一滴。一滴を飲んだだけで、瞬時に全身に力が漲って溢れ出す。
――歓喜していた。刀耶の魂と混ざり合った、二人の吸血鬼が。
激しい殺意と共に、全能感が刀耶を包む。
「戻ってきておくれ、私の恋人よ、死が私たちを別つことはなく、私は信じている。貴方はいつか蘇る――『
暴虐なる血の夜が帳を下す。
*
時同じくして、不破奈市の東側。
唱えられる
「
神
荒ぶる御霊を抑え、厄災の一切を鎮める霊験なる神威。
天華は戦旗の中でも屈指の実力者である。それがゆえに、今まで聖遺物に頼った戦い方をすることは稀だった。
だからこそ天華の聖遺物との親和性は十五パーセントと、戦旗の中でも最低だった。
親和性の低い聖遺物は、制御が難しい。
現に今も天華は完全にものにすることができないでいる。
しかし今、この魔界と化した場所では十分であろう。
「――『
顕現するは戦神の一振り、一切両断の理をもって
剣聖は無差別に幻想の獣を鏖殺する。
*
魔界化した不破奈市の中心で、燈はアカ=マナフと相対する。
獣の唸り声が聞こえた。虫の蠢動が見えた。街を覆い根を伸ばす黒樹の脈動を感じた。
魔に属するあらゆる存在を従えて、隻腕となった
「アカ=マナフ」
『結局こうなるか。いいね、悪くない。これが物語なら一大の山場だ』
局面を迎えても、アカ=マナフが相貌を崩すことはない。
なぜなら彼にとっては全てがどうでもよくて、どう転んでもいいからだ。
「お前は一体何なんだ。何の目的があって、こんなことをする!」
『お、聞いちゃう? いいよ、別に隠すことでもないし』
あっけらかんとした様子で、まるで友人のような気安さを感じさせる。
アカ=マナフは問われて、天を仰ぎ手を広げた。
『《
「――っ!」
人類に与えられる試練群。はるか最古、人類が生まれて間もない時代に絶対悪によって産み落とされた、十六の災厄と六人の
災厄は人類という種にとって致命となりかねず、六人の魔王たる悪神どもは、一柱であっても容易に星を滅ぼしかねない超弩級の存在。
神格が弱まり実質的な封印状態にあるアカ=マナフでさえ、こうして街一つを戯れで滅ぼす力を持っているのだ。
もしアカ=マナフが完全なる悪神として降臨していたのなら、こんな面倒な手順を踏まずとも、そこにいるだけで半径数十キロの人間は善悪を狂わせられ、暴徒とかしていただろう。
権能なんて使われてしまえば、対抗するすべなど神秘の衰退した現代にはあるはずもない。
聖遺物を介して脳内に流れ込む知識が、アカ=マナフの発言の重大さを警告する。
『なんの因果か、僕だけがこの現世に降りてきちゃってね。ほら、ずっと一人なのも寂しいだろ?』
「そんな理由で!」
『そんな理由だからさ。寂しさを埋めるのは、大切な仲間や同胞、恋人の存在だろ、人間?』
どこまで人馬鹿にすれば気が済むのだろうか。
欠片もそんなことは思っていないくせに、いかにもそれが人間の真理であるという風に騙る。
事実、アカ=マナフが言っていることは間違っていない。
人の心を癒すのもまた、同じ人である場合がほとんどだ。犬や猫などの動物で隙間を埋める人物もいるが、家族や大切な存在という意味では同じだろう。
けれど、それをアカ=マナフがさも当然のようにして口にするのは間違っている。
なぜならアカ=マナフの言葉は空っぽだからだ。なんにもない人を馬鹿にするためだけに、それっぽいことを言っているに過ぎない。
燈は許さない。春陽を弄び、愚弄し、嘲笑して、使い捨てたことを。
春陽はアカ=マナフの被造物かもしれないが、彼女は確かに心を持っていた。
自身の犯した所業に自責の念を抱いて、それでもと罪悪感とささやかな願いのジレンマに陥って揺れ動く、人としての心が。
これ以上の話し合いは、不要だった。
「――開闢せよ、
火の理を示す聖句を
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