第15話 日常の残り香 4-3
非常に整った顔立ちは美人と言って余りあるほどで、道端ですれ違えば間違いなく誰もが振り向くだろう。
氷の令嬢。どこか覚めた雰囲気と相まって、そんな言葉が似あう。
東條は前に須藤が盗撮をするように言っていた相手であり、彼ら風にいうならば燈のご主人様だった。
「え、なに、じゃあ須藤ぶっ飛ばしたのってアンタ?」
「うん」
ついさっきの喧嘩、逃げていく須藤たちと綾乃はすれ違ったようで、いったい何があったのか説明を求められた燈は、魔人の力はぼかしながら答えた。
するとへえ、と感心の息を東條は漏らす。
「なんか変わったね」
「え?」
「筋肉とかも妙に付いた気もするし、なんか雰囲気変わりすぎ」
「そう、かな?」
「うん。前のアンタだったら、須藤を殴るなんてできなかったでしょ」
言われてみて、確かにそうかもしれないと納得する。
燈が聖遺物を手にしてまだ一週間と少し程度だが、間に起きた出来事は一年のうちに起こるどんなトラブルよりも、大きくて濃いものばかりだ。
体感的には、もう何か月も日常から離れていた感覚だった。
「なんか、生意気」
「いふぁい、いふぁいよ、とうじょうふぁん。ほっぺつねらないで」
「燈、あんたはアタシの奴隷。それを忘れないで」
綾乃は燈の頬から手を離し、
「アンタは何があってもアタシを優先する。アタシの命令は絶対」
「……」
燈は頷くことができなかった。
なぜなら燈のもっとも優先すべきことは春陽で、綾乃ではなかったから。
その場凌ぎで頷くこともできたが、それをしなかったのはせめてもの彼女への義理立てだ。
綾乃は燈がイジメられている頃、唯一、春陽以外で手を差し伸べてくれた女生徒だった。
須藤のグループと綾乃のグループは敵対しており、須藤は綾乃に手を出すことができない。
理由はいくつかあるが、権力者である綾乃の親を恐れているのだろう。
燈も風の噂で聞いただけだが、相当に綾乃を溺愛しているようで、彼女に何かあれば海に沈められるとまで言われるぐらいだ。
綾乃自身はそんな親を嫌っているらしく、この手の話を振られるたびに不機嫌になるが、そんなことを知らない須藤は親が出張ってくるのを警戒している。
だからこそ燈を使って裸の盗撮など、綾乃の弱みを握ろうと必死なのだ。
綾乃はそれを利用して、燈を自分の奴隷という名の所有物にすることで、須藤たちが手出しできないようにした。
おかげで綾乃たちの目があるところなら、イジメられることはなくなった。
イジメ事態が無くなったわけではないが、綾乃のおかげで多少は過ごしやすくなったのも事実。そういったこともあって、燈は綾乃に確かな恩があるのだ。
「アンタをイジメていいのはアタシだけ」
「できればイジメられたくないなあ、なんて……いたっ」
膝で太ももを蹴られる。
口答えをしたときや、気に入らないときにやられる、恒例の罰だった。
魔人となった今では大して痛くもないが、反射で声が出てしまった。
「つか、アタシに無断で休むとか調子乗りすぎ」
「うん、ごめん。心配してくれて、ありが……いたっ」
「してない」
不機嫌顔で調子に乗るなと、燈を睨む綾乃。
しかし、口ではそういうものの綾乃が優しいことを燈は知っている。
足早に先を行く綾乃に、燈は自然と後を付いていった。
*
結局、燈は昼食を流れのまま綾乃と一緒に食べた。
綾乃の希望で中華を食べた燈は、食傷気味に腹をさすりながら、ぶらぶらと長い繫華街を歩き回る。
「で」
「でって?」
食後のデザートであるクレープを食べながら、視線で問いかけてくる綾乃に首を傾げた。
決して少なくない量を食べたのは綾乃も同じなのだが、やはりデザートというやつは別腹なのだろう。
「休み」
ほぼすべての修飾語をそぎ落とした一言は、休んでいた間のことを聞かれているのだと分かった。
問われて、まさか馬鹿正直に答えるわけにもいくまい。
どう言うべきか考え込む。
「……もしかして、アイツ?」
残り半分になったクレープをパクつきながら、綾乃はつまらなそうな顔を見せた。
「アイツって?」
「鈍い、言わせんな」
「いてっ、ごめん」
「……あのよくアンタと話す」
「もしかして、春陽ちゃん?」
「そう。その八方美人」
八方美人とは酷い言いようだった。
そういえば前に綾乃は春陽のことを嫌いだといっていた。だがしかし、燈の知っている限り、二人は関りが薄いどころか、面識があるかも怪しかったはずだ。お互い校内では有名なので、名前と顔ぐらいは知っていても不思議ではないが。
「アイツがらみ?」
「……」
「ふーん」
「いたっ、なんで今蹴られたの?」
返事はなかった。
ただなぜだろうか。心なしか、綾乃の機嫌が悪くなっている気がした。
ほぼ変わらないが、表情が少しだけむくれているような。
「なに?」
じろじろと見ていることが癇に障ったのか、鋭い視線と普段よりも半音だけ低い声。
なんでもない、とそう言いかけたときだった。
「――っ!」
無数に行きかう人波のその先で、人を引きずり込んでしまいそうな黒曜石の髪と、邪悪なほど無垢な面貌。この世の清濁を知らなそうな稚気を宿す幼い見た目は、けれどそれが擬態であることを、燈は知っている。
――天子。春陽の忌まわしき
無垢なる悪意の塊が、燈の視線と重なる。
天子は燈を見つけると、童子の無邪気さで笑みを浮かべて、手を振った。
刹那、世界は罅割れた。
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