第14話 日常の残り香 4-2


 土曜日。この日一番の目的を終えた燈は、一階の受付を通り過ぎて病院を出た。

 燈が病院へやって来たのは、別に自分を診てもらいたいからとかではない。

 そもそも怪我や病気などは戦旗本部でどうとでもなるし、むしろ重症や果てには呪いなんてものまで直せることを考えると、一般的な医療機関などにかかるいは限りなく薄い。

 であるのなら、自分に関係なく病院を訪れる理由など、ほとんど限られてくるだろう。

 面会――燈はヒルメにお願いして一日の休みを貰い、ここに入院をしている祖母のお見舞いに来ていたのだ。

 昼下がりの時間帯でも、病院に足を運ぶ人並が衰えることはない。

 来院する人の邪魔にならぬよう、さっさと入り口から燈は離れる。


「おばあちゃん、元気そうだったな」


 誰に言う出なく、安堵混じりに呟く。

 戦旗に身を置くようになってからまともな日常は愚か、学校にさえ行けていない。

 ヒルメたちの計らいで学校側には連絡してくれているらしいが、いい加減家庭の事情で押し通すのも限界が近いだろう。

 そうでなくとも、このままでは単位を落として進級できなくなってしまうかもしれない。

 けれどそれ以上に燈が一番懸念していたのは、祖母の容態だった。

 祖母は所謂、癌を患っている。ステージは2で、末期ではないものの、高齢ということもあり入院を余儀なくされた状態だった。

 人間いつかは死ぬ、なんてことを本人はいつも軽くいうが、できればまだ一緒にいたいと燈は思う。

 親離れができてないと言われればそれまでだが、両親のいない燈にとっては、世界でたった一人の家族なのだ。

 いつか別離の時は来ると分かっていても、もう少しだけ時間を先延ばしにしたいと思うが、人の心というものだろう。

 せめて、高校を卒業して独り立ちできる姿を見て欲しいと、燈は考えていた。


「あれは……」


 ふらっと何か食べていこうと思い、繫華街に立ち寄った時だった。

 道の先に見覚えのある三人組を見つけた。

 須藤とその取り巻きである。

 燈は反射的に物陰に身を隠してしまう。

 隠れて様子を窺っていると、どうやら須藤たちは一人の女性にしつこく付きまとっているようだった。

 周囲の人は気付いている様子だったが、絡まれるのを嫌ってか足早にその場を通り過ぎていくだけ。

 そうこうしているうちに痺れを切らしたのか、須藤たちは女性の手を無理矢理引いて裏路地へと入っていった。

 咄嗟に体が動く。もとからどうしようもなさそうだったら割って入る予定だったが、こんなことなら早く動くべきだった。

 須藤たちが何をするのかはわからないが、きっとろくなことではないだろう。

 助けに入れば、きっと暴力を向けられるに違いない。本音を言えば、殴られるのなんて燈は嫌だ。けれど、それだけで人一人を助けられるなら、安いものだとも思う。

 だから燈は、裏路地手で女性を囲む三人を呼び止めた。


「ああ? ……って、おいおいおいおい、誰かと思ったら枢摩クンじゃねえか」


 相変わらず、わざと威圧感のある声を出して詰め寄ってきたのは、須藤であった。

 須藤が燈の方を向いた瞬間、女性は隙を見て急いで駆け出す。


「ごめんなさいっ」


 すれ違いざまに、罪悪感を感じさせる女性の声が聞こえた。

 恐らく燈を身代わりとしたことを、申し訳なく思ったのだろう。

 しかし、もとより燈はそのつもりで割って入ったのだから、謝罪など不要だった。


「ちっ、てめえのせいで逃げられたじゃねえか、ああん。お前、分かってんだろうな」

「っ」


 ひゅっと、小さく喉が鳴る。

 体に染みついた須藤たちへの恐怖トラウマが、蘇ったからだ。


「枢摩くーん、久しぶりじゃん。ずっと最近休んでてどうしたの? 寂しかったよ」

「そうそう、寂しすぎてストレス溜まりまくり。だからさ久しぶりにサンドバックごっこ、してくんね?」


 取り巻きの二人も笑みを浮かべた。

 いつもの流れ。この後の展開など、呆れるほどに分かり切っていた。

 けれどなぜだろうか。燈はいつも自分をイジメている三人が、小さく見えた。

 怖いはずなのに、一ヶ月前の彼らの方が恐ろしく見えていた。


「聞いてんのか、ああ!」


 まったく反応を見せない燈に、須藤は苛立ちを隠さず襟首を掴んでくる。

 それでも、体が震えることはなかった。

 どうしてなのかと考えたとき、あ、と理由を知る。

 同時に迫っていた須藤の拳を、燈は左手で受け止めた。


「な、てめっ!?」


 驚愕に顔を歪めて、須藤は焦る。

 焦る、焦っている。あの須藤が。

 怖くないはずだ。怖く無くて当然だった。

 なぜならば彼ら以上に怖い存在を、燈は知っているから。

 悍ましき夜の狂宴を見た。幻想に棲まう獣を見た。その獣を一撃で葬る英雄の威を見た。

 彼らと比べれば、須藤たちなど蟻も同然で。

 感じていた恐怖はただの錯覚。須藤たちは怖いものであると、そういう思い込みから湧き上がってきただけのまやかしだった。

 気付いてしまえば後はもう、なんてことはない。


「離しやが」


 言葉が最後まで続くことはなかった。代わりに、ドガ! と大きい何かが地面に落ちる音が響いた。


「は?」


 間抜けな声を漏らしたのは、下卑た笑みを浮かべてた瘦せぎすの男。

 男の視線は燈から、宙を舞って三メートルは吹き飛ばされた須藤にゆっくりと向いた。

 人間を三メートルも飛行体験させるほどの力を受けた須藤の顔は、鼻がめり込み陥没していた。

 白目を向けて気絶する姿は、滑稽の一言であろう。


「ひっ」


 燈と眼が合い、取り巻きは小さな悲鳴を上げた。

 威嚇の意味を込めて軽く拳を振ると、轟! と風を巻いて音が鳴り響く。


「う、うあああ!」

「あ、おい、まて……ひい」


 瘦せぎすの男が我先にと逃げ出し、もう一人の取り巻きは怯えと気絶する須藤を抱えて離れていく。

 不良のくせに仲間をおいていかない絆だけは、確かなようだ。

 三人の姿がなくなると、緊張の糸が切れる。

 軽い仕返しのつもりで反撃したのだが、須藤が予想以上に吹き飛んでしまい少し焦った。

 無論のこと手加減はしている。魔人の一撃をただの人間が食らえば、秒速で挽肉ミンチが完成してしまう。

 だから相当に、赤子の肌を撫でるつもりでやってみたのだが、もっと力を抜かないとダメだったようだ。

 拳に残る人を殴る感触。それを確かめながら、


「苦手だなぁ……」


 一年分のイジメの仕返しは、そんなものだった。

 やっぱり自分には暴力は向いていないようだ。

 思えば、聖遺物を手にしてからも誰かに攻撃が成功したためしがない。

 刀耶と天華との訓練はほぼ全て攻撃を避けるだけだったし、アーサーに至っては一方的にボコられただけである。

 なんだか後味が悪いなと、燈は顔を顰め路地裏を出た。


「燈?」

東條とうじょう、さん?」


 路地裏の入り口で、燈は思わぬ人物と出くわした。

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