第13話 日常の残り香 4-1



「ようやく目覚めましたね、この問題児」


 戦旗基地の医務室。

 起き抜けに聞こえてきたのは、そんな罵倒だった。

 眼を擦りつつ、ゆっくりと体を起こして横を見ると、ヒルメがミニ浴衣の上からエプロンを着て、リンゴを切っていた。

 椅子が高いせいで床に足が付かずプラプラと遊ばせている姿は、とても愛らしい。


「ヒルメちゃん?」

「ちゃん付けは天華だけで間に合っています」

「ごめん、でもこっちのほうが呼びやすくて」

「……まあいいでしょう。神格を封印した状態のこの外見に、威厳がないのは自覚しています」


 なんだかんだで許してくれる辺りが、ヒルメの性格を物語っている。

 ふと、燈は自分の右腕が繋がっていることに気が付く。


「天華たちから、あるものを預かっています」


 リンゴを切り分ける手を止めて、手を拭いてエプロンのポケットから取り出したのは一枚の手紙だった。


「剣王から、お前が起きたら渡すようにと押し付けられたものだそうです」

「アーサーからの?」

「ええ、どうやら雅たちを任務に同行させたのは正解だったみたいですね。大体の顛末てんまつは彼女らから聞いていますよ」


 手紙を受け取りながら燈は、ヒルメから天華たちが自分を基地まで連れて帰ってくれたことを聞く。


「燈、お前は何があったか覚えていますか?」


 覚えている。忘れるわけがない。

 熾烈に熾烈を極めたる剣王の試練。

 はるか遠き過去、神代において剣の王と称された男の、神域の武威。

 存在そのものが魔人であり、魔人すらも容易く凌駕してしまう英雄の力は、今まで生きてきた中でもっとも恐ろしく、同時に憧れに近い感情を抱いてしまうほどだった。

 相手からすれば、ほんの遊び心や悪戯心じみた好奇心に過ぎないのかもしれないが、それで殺されそうなった方からすれば堪ったものではない。

 そしてその死闘の末に、燈はようやく自分の聖句を自覚することができた。


「なるほど、死にかけたお陰で『起動』の取っ掛かりを得た、と。ではやはり、あれはお前が原因だったとみてほぼ確定ですね」

「あれ? あれって何、ヒルメちゃん?」


 覚えている範囲での説明を終えると、ヒルメは確信をして頷いた。

 疑問を浮かべる燈に、ヒルメは無言でテレビの電源を付けた。


『えー、見えていますでしょうか! こちらが隕石の落下があったという愛宕山になります! ご覧ください、周辺数百メートル付近の木々が燃え、中心には信じられないほど大きなクレーターが……』


 テレビに映るのは、何の変哲もない報道番組だった。

 ドローン撮影を用いた映像を映し、その映像に対して現地の女性リポーターが活舌良く状況を伝えている。

 見ている分には別段何ともない内容だったが、燈には無視できない情報が混ざっていた。


「これ、愛宕山なの!?」

「ええ。天華たちがお前のもとに向かう道中で、大きな衝撃を確認したと言っています。そのことからも、この惨状は燈、お前の起動が作り上げたものでしょう。一応こちらで、隕石の落下と情報の操作をしています」


 あの時、燈はアーサーに殺されそうになり、土壇場で聖句を唱え『起動』を行使した。

 そこから先の記憶はないが、ああ確かに自分の起動ならこの程度のことはできるだろうという、そんな確信がある。

 それだけ燈の聖遺物は強力なのだ。

 聖句を自覚した今だからこそ、より一層、この力の凶悪さが理解できた。


「どうやら、己の聖遺物がどう入ったものか、知ることができたようですね」

「うん。前にヒルメが言っていたこと、ちゃんとわかったよ」

「遅いですよ、馬鹿たれ」

「むぐっ」


 ぺちっと軽く頭を叩かれ、口に兎の形をしたリンゴが無理矢理差し込まれる。

 嚙んでみるとシャリとした触感と甘みが、口内に広がった。

 リンゴを食べながら、燈は手渡されたアーサーからの手紙を開封する。

 中にある紙を取り出して確認するが、紙面は綺麗なほど真っ白だった。

 なにこれ、悪戯? と首をひねったとき、青白い光を発して、文字が浮かび上がった。

 あぶり出しのように紙に焼き付く文字を、声を出さずに読み上げる。


『これは魔力を用いて記したものだ。どうだ、驚いたか、ん?』


 遊び心たっぷりの書き出しから始まった。


『さて燈よ、おれがわざわざこんなものまで要したのは他でもない。単刀直入に言おう、あの男――ヴァルゼナードの組織を抜け、俺に仕えろ。……ああ、まてまて、よいよい。お前のことだ、どういうことだと混乱しているのであろう?』


 ただのメッセージに見透かされて、少しドキリとする。


『全てを説明するのは面倒ゆえ省くが、お前も気付いている通り、余とお前の組織は敵対関係にある。委細いさいは語らん、気になるのなら組織のものにでも聞け。俺がここで言うことは一つ、俺の騎士となれ。お前にはその機会をくれてやる。期待しているぞ、それと……』


 文面から滲み出る無言の圧力を感じて、燈は頬を引き攣らせる。

 断ったら面倒なことになりそうだなと、ため息を吐きだしそうになった。


「……?」


 読み終えて手紙を折りたたもうとしたとき、手紙に焼き付いていた文字が再度淡く光り出し、新たな一文を書き加えた。


『最後に警告だ――ヴァルゼナードにだけは、気を許すなよ』


 その文を最後に、手紙は自動で燃え尽き、灰も残さず消えた。


「どうしました、何とも言えないような顔をして」

「……うん、アーサーに勧誘された」


最後の一文のことを言わなかったのは、その真意を燈自身も掴みかねていたからだった。


「それはまた……」

「ね、ヒルメちゃん、そのアーサーってなんなの? なんで戦旗と敵対してるの?」


 アーサー・ペンドラゴン。ブリタニアの頂点に君臨する英雄にして、剣王の号を関する最強の魔人。

 尊大にして自信家、傲慢でありながら清廉せいれんなる偉大な王。

 ヴァルゼナードと同様に天上天下唯我独尊を地で行くが、その方向性ベクトルは完全に真逆だ。

 ヴァルゼナードの持つ、他を屈服させ支配する力を魔性のカリスマというならば、アーサーは他者を懐柔し平伏させる黄金のカリスマ性であろう。


「まず大前提として、彼は正真正銘のアーサーです。その子孫でもなければ、名を騙る不埒ふらちものではない。そこはいいですね?」


 首を縦に振って頷く。

 直に見て接した燈だからこそ分かる。

 あの存在感は決して偽物や紛い物なんて、安っぽいものではない。


「ではなぜアーサーが存在しているのかという疑問ですが、燈、お前はどこまでアーサーを知っていますか?」

「えっと、本でアーサー王伝説を読んだぐらい」

「十分です。さて、アーサーの輝かしき生涯、その最後から語りましょうか」

「最後……カムランの丘?」


 不義の子モルドレッドの叛逆により訪れだ、伝説の幕引き。その舞台。

 今度はヒルメが首を縦に振り、肯定する。


「史実においてアーサーはモルドレッドと共に命を落としたことになっていますが、それは間違いです」


 歴史学者もびっくりの真相が、あっさりと語られる。


「アーサーはモルドレッドを討ち取ったあと、モルドレッドに付けられた深い傷を癒すため、聖剣と共に湖の乙女のもとで長い年月、眠りについてたのです」

「ベディヴィアの聖剣返還は……」

「ええ、有名なその話は、アーサー王が生きているとバレたらまずいと思った、ベディヴィア本人によって造られた話です」


 隻腕の騎士ベディヴィア。カムランの戦いを生き残った数少ない騎士であり、忠臣。

 当時のアーサー王は、いくつもの諸王をまとめ上げブリタニアを一つにした偉大なる王であったが、同時に敵の多い存在でもあった。

 侵略者サクソン人は言わずもがな、天災も同様の幻獣たち、支配していたとはいえ諸侯の王たちも全員が全員心の底から忠誠を誓っていたわけではない。

 そんな中での叛逆が起これば、混沌とした時代が訪れることなど明白だろう。

 ましてやアーサーが重症で生き残っていると知れば、これを好機としてあらゆる存在がその命を狙いに来るのは必定だ。

 だからこそ、当時のベディヴィア卿は剣王の死を偽ることにしたのだ。


 ――いつの日か蘇る、そのときを信じて。


「そしてベディヴィアの願い通り、つい最近アーサーが目覚めた」


 話を聞いてた燈は、そう締めくくる。


「はい」

「でも、それだけで敵対することは……」

「ええ、ただ永い眠りから起きただけなら、おはようございますの一言で済むのですが……」


 一拍間をおいて、眉間に皺を寄せたヒルメがため息を吐いた。


「こともあろうに、あの剣王は神代かみよ再生の目標を掲げているのですよ」


 神代が終焉を告げて時代は完全に人間のもとなった。

 神々も幻獣もそれに合わせて現世から離れ、それぞれの神界エリュシオンへと姿を隠し、以後世界への干渉を断った。たまに何かを切っ掛けとして、鵺のような幻獣が降りてしまうことはあるが、それだって稀だ。

 今ではそれらは空想とされるようになり、人々の間で物語として歩いてくるものに過ぎない。

 唯一、この世界に留まり続ける聖遺物だけが、その例外なのだ。


「もしそれが実現されれば、今ある世界がどうなるか分かったものではありません。最悪、神々の降臨などの神代再生の余波で、魔人だけを残して人類が絶滅する可能性だってあります」


 なるほど、と頷く。それは戦旗と敵対するのも納得の理由であった。

 自分はそんな危ない存在からヘッドハンティングされようとしているのかと、燈は静かに慄くのであった。

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