第12話 剣王 3-5


 時間は少し巻き戻り、天華と刀耶が円卓の騎士に苦戦を強いられていた頃。

 愛宕神社より数百メートルほど逸れた山間では、熾烈に熾烈を極める光景が繰り広げられていた。


「――ぐ!」


 音の壁を越えて飛来する光の斬撃を、殴り砕く。

 質量、熱量、運動量といったあらゆるエネルギーごと根底から破壊された一撃は、形を保てずに細かい粒子となって空間に消える。

 刀耶の血槍の威力をはるかに凌駕する光の攻撃は、これで聖遺物ではなくただ魔力を飛ばしているだけだというのだから、堪ったものではなかった。


「十一度目だ。いい加減、芸がなさすぎるぞ」


 どういう原理か、空を踏みしめながらアーサーは宙を歩き、息も絶え絶えの燈を見下ろした。


「そんなことを言われても」

「だがある程度、分かったこともある。お前のその聖遺物、破壊の概念――それに近しいものを宿したものだ」

「破壊……?」

「うむ、詳細は測りかねるがな。ただ断言できることがあるとすれば、神ないし神話に端を発する聖遺物だということか」


 ようするに聖遺物の中でも一際珍しく、強力なものであるということだった。

 ヒルメの座学でも習ったことだと、燈は思い出す。

 現在確認されている聖遺物というのは、その形や能力から来歴まで実に様々で千差万別だ。

 人に益を齎すもの、または害しか齎さぬもの。殺傷能力のあるもの、ないもの。能力や影響に至るまでの全ての詳細が分かっていないものまで。

 共通するのは、どれも人類の手には余る代物で、容易に手出しをしてはいけないことだろう。


 実際に強力な力を有しているからといって、必ずしも適合し魔人となれるわけではないのだ。

 むしろ聖遺物の力に耐えきれず、魂が砕かれ死ぬ場合がほとんどである。

 そんな人間にとっての劇物そのものである聖遺物の中でも、一際危険とされるのが神話と関係する聖遺物だ。

 例に挙げるならば天華の『布都斯魂剣』がそうであろう。

 記紀神話に名を記す、霊剣にして神刀。

 それはもともと素戔嗚尊スサノオノミコトが所持していたものであり、とどのつまりは神が扱うことを前提として存在する武装なのだ。


 当然ただの人間では触れることすら叶わぬし、なんなら近付くことすらできない。

 無理矢理にでも接触しようものなら、肉片一つ残らず細切れになってしまう。

 よしんば適合できたとしても、扱いきれずに自滅を招くだけである。

 天華が布都斯魂剣を扱えているのは、彼女が人類最高峰の剣士であるからなのだ。

 アーサーの言葉を信じるならば、燈の持つ聖遺物はそれと同等の代物ということになる。


「ギアを上げるとしようか」

「――っ!?」


 言うや否や、アーサーは当然の如く音を超えて燈の懐に移動すると、流麗なる動作で剣を滑らせた。

 残像すらも視線で踏むことのできない、神業めいた高速移動。

 やることの一々が超越的なのだ、このアーサーという怪物は。

 だからこそ、その初太刀を防げたのは魔人となったことで人外の領域へと押し上げられた反射神経のお陰だった。

 ガキンッ! と、およそ人体からとは思えない金属音が発生した。

 腕でなんとか斬撃をガードすることに成功し、安堵を漏らす。

 だがそれは悪手だった。


「初撃を防いだだけで、安心する阿呆がおるか」


 戦場を知る者の冷めた声。

 防いだ刃は身を翻して鈍く輝く。

 風を切って踊るは数多の苦難を裂き、偉業を積み重ねてきた剣王の一刀。

 なにか特別な神秘ちからが宿っている訳ではない。魔力を乗せている訳でもない。まして、聖遺物などと反則級の手段を用いている訳では、断じてない。


 これはただの袈裟斬りの一閃。それ以外の何物でもなく、だからこそ剣王アーサー・ペンドラゴンの異常性がこの上なく如実に現れる。

 勢いよく溢れ出す鮮やかな赤色。飛沫しぶきをあげて空に弾ける様は、さながら噴水だ。

 だからこそ燈は理解できない。

 なぜ、どうして……


 

 

 そう、アーサーの持つ直剣は折れていた。

 おそらく初撃で、破壊の概念とやらを宿す燈の腕に触れた際に砕けたのだろう。

 けれどそれに構うことなく、刃のなくなった剣をもってして魔人を切り伏せるなど。

 彼のランスロットといえど不可能な御業だ。

 その道理を理解できるのはこの世界にただ一人、剣王その人だけ。

 燈は膝から崩れた。


「ぐっあああ……ッ……!」

「剣が砕けたからと安心したか? なら、その傷をもって戒めとし、教訓とせよ」


 淡々と告げられるのは戦場の常識。

 今の現代にあって失われた常在戦場という古き概念アンティーク


「命を賭けよ。二度の情けはないと知れ」


 刹那に浴びせらる滝のように重く、氷雪のように冷たい殺気。

 今になって芯から理解する。

 そうだ、今、己は戦場にいるのだった。

 アーサーの人柄があまりにも善性に寄って、あまりにも対話ができてしまうものだから、話の通じる相手だと勘違いしてしまっていた。


 相手は英雄。神代という修羅の時代を生き抜き、頂点に君臨した者。君臨せし者。


 まして民衆を束ね、万夫不当の英雄どもを率いた王であるのなら、理解などできるわけがない。

 最初は警戒していたはずだ、敵であると。決して気を許してはならないと。

 けれど気が付けば許していた。愛しき友のように、敬愛する主のように。

 これこそがアーサーの持つ強制懐柔、無意識に心を開くようになる――黄金のカリスマだった。


「くは、ようやくやる気になったか。待ちくたびれたぞ」


 ずきずきと痛む傷を無視して立ち上がり、警戒と敵意を込めて睨み返す。

 何が面白いのか、アーサーは口角を釣り上げた。

 向ける殺気は変わらず、アーサーは砕けた剣を放り投げて、また新しい剣を虚空より取り出した。


朽ちること無き黒剣カレトヴルッフ――今はこれで十分か」


 握られるは不壊の概念を宿す、神代最高峰の一振りたる黒剣。

 ランスロットたちの依り代として使った先の聖剣にこそ及びはしないものの、絶対に壊れないという特性を持つ一級品である。


 アーサーが剣を握り、所感を確かめているとき――仕掛けたのは燈だった。


 地面を蹴りあげて他の魔人同様に音の壁を越える。

 初撃に狙うは頭。攻撃が当たるかどうかなどは、思考の外に追いやる。

 油断をしている今だからこそ、狙う意味があるのだ。

 筋肉が蠕動ぜんどうする。

 生物の枠組みから大きく外れた、魔人の肉体から繰り出される致命の打撃。

 武術の心得や極意といったものは燈にはないが、世の中の武人を嘲笑うかのように、その一撃は無謬むびゅうにして、天稟てんぴんを感じさせるものであった。


「――隙を突くのは悪くない。が、狙いがあからさま過ぎる」


 まるで指導者のような口ぶりで、アーサーはいとも容易く攻撃を避ける。

 避けられてしまうことは、燈でさえ知っていた。

 だから最小の動きで最短の距離を詰め、続く二撃目を加える。

 息をかせてはならない。

 攻撃のいとまを見つけられてはならない。

 攻撃と攻撃の間に生まれる間隙かんげきを縫い合わせろ。

 風を巻いて放たれる拳は乱流と化す。

 夜空に駆ける星の瞬きよりも速く、清澄なる川よりも滑らかに、そして大地の胎動よりも一層重く。

 燈の繰り出す嵐の剛撃は、その数を増すほどに合理さを得、より鋭いものへと最適化される。

 攻撃の度に、アーサーのカウンターが決して浅くない傷を与えてくるが、防御という選択肢はもう既に存在していなかった。


「は、度し難いぞ。これほどの才能を埋もれさせていたのか、貴様は」


 喜悦満面に歪む顔は、戦いに生きた剣の王のもの。


「づぉおおお!」


 怒号と共に拳に纏われる、ここ一番の気迫。

 血が流れすぎてもはや鬼と呼んでもやぶさかでない姿で、燈は小さな確信を掴みつつあった。

 すなわち自身の体術の最適化。


「ほう」


 感嘆の息をアーサーは漏らす。

 燈がついに、アーサーのカウンターに対応し始めたのだ。

 あちらの攻撃を凌ぎ、己の攻撃を当てる。至極当然にして単純な理想戦術ではあるが、単純であるがゆえに実践するのは至難の業。

 完全とはいえないまでも、それを僅か短時間で燈は習得し、自身の戦い方に取り入れ始めていた。

 戦闘は終局へと移ろう。


「……っ」


 燈の限界が近付いていた。

 雷火の如き怒涛の拳閃を浴びせても、アーサーに触れることすらできず、一方的に燈だけが傷を蓄積させている。

 決めるのなら今しかない。

 絶えず腕の攻撃をして来たからこそ、意識の薄いであろう予想外の一手。

 極大の殺意と闘気を纏わせた正拳――それを囮とした、右足の蹴撃。

 僅かにアーサーは目を見開いた。

 決まる! そう確信したとき、


「及第点はくれてやる」


 視界は紅く滲む青空を移していた。

 え、と声が漏れそうになって、代わりに口から出てきたのは血の塊だった。


「ごほ、ごぼっゔ」


 何が起きたのかを考えて、数秒後に斬られたのだと気付いた。

 右腕が肩の先から無くなっている。

 顔を横に向けてみれば、数センチ隣に右腕だったものが転がっていた。

 体が動かない。

 どうやら僅か一瞬の間で、無数の斬撃を浴びせられたようだ。

 体感でいえば、百近くは切り刻まれただろう。

 アーサーが手加減したのか、魔人の馬鹿げた肉体の耐久性のお陰か、こうして原型を留めているのは奇跡に近いだろう。


「ふん、終ぞ覚醒することはなかったか」


 剣を右手に遊ばせたアーサーが、燈を見下ろす。

 自分は死ぬのだろうか。


「死なせておくには勿体ないが、生かす理由もあまりない」


 アーサーは冷酷に決断を下す。

 冷たい鉄の感触が、心臓を貫く。


「……ッ……ぁ……」

「さらばだ、燈。少女を救わんがために散っていく勇士よ。俺を楽しませたことを、あの世で自慢するがいい」


 救う……?

 誰を、と考えて、陽だまりの中に存在する記憶を想起した。

 はるひ……ああ、そうだ。春陽を救わねばならない。

 今このときも、彼女は胸に穴をあけて、寒い暗闇の中で生きているのだから。

 であるのならば、なぜこんな所で枢摩燈は眠っている?


 ――ドクン。


 心臓が熱を帯びて脈動する。


 そうだ、寝ている暇などない。

 何のために燈はここに来た。何のために戦いに身を投じると決めた。何のための覚悟を抱いた。

 無論。無論だ。無論だとも。ああ、無論なのだ。

 枢摩燈は桜咲春陽を取り戻す。そのためにここにいるのだから――。

 刹那、脳裏に最古の記憶が溢れ出す。


 ――高原と砂漠、営む人々の平穏と闘争。今よりもはるか昔、人々の日常の中に神と信仰が寄り添っていた時代。


 古代ペルシャの原風景きおく

 殺された者たちと後に残された者たちの、地上における苦しみに満ちた日々。

 蛇と火の激しい闘争。英雄時代の到来。

 今の今まで忘れていた、聖遺物に宿る軌跡。

 自分あかりのものではない記憶けしき

 はるか遠き彼方の記憶と同調し、燈は無意識に言葉を唱えていた。


「――開闢せよ、新世界フラシェギルド。我が名は“火を識る者ツァラトゥストラ”」


 異変を感じたアーサーは、歩みを止めて振り返る。

 それは未完の聖句。

 しかして、侮りがたき異能の奔流。


「は、ようやくか!」


 神域の剣王が歓喜を弾けさせる。

 星を溶かす炎が、世界を包み込んだ。


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