第11話 剣王 3-4


 ――轟!

 

 木々をなぎ倒しながら十数メートルも吹き飛ばされたのは、刀耶だった。

 頭と体に刺さる木片を引き抜き、粉々に折れた手足を再生させる。


「くっそ、こりゃ最悪なの引いたな」


 いつもの軽薄な笑みを浮かべたまま冷や汗を流し、刀耶は悪態を吐いた。

 足止めとしてアーサーが召喚した、過去の英雄の影法師。

 どういった思考原理のもと行動をしているのか定かではないが、刀耶たちを分断させ、強制的に一騎打ちを仕掛けてくるあたり、ただの操り人形という訳ではないだろう。

 自我らしい自我はないと見受けられるが、だからといって英雄の二字に偽りなく。

 練り上げられた戦闘力は並みの魔人を超える。

 刀耶の体に付けられた、回復しない無数の小さな傷がその証左だ。

 刀耶は自分が戦旗の中でも、それなりに実力のあるほうだと知っている。

 一二を争うとまでは言うつもりはないが、戦旗の、中でも戦闘を得意とする魔人たちの全体で見ても、間違いなく上位に位置するだろう。

 自分より上となると、それこそ数えるほどしかいない。

 剣聖と称される天華や、指一本触れることすら叶わなかった『女帝』、そして我らが支部長ヴァルゼナード。あと何人かいるが、逆に言ってしまえばそれだけ。

 けれどそんな実力者の刀耶であっても、目の前の相手は少々……いや、かなり手を焼いていた。


「っぁぐ」


 寸でのところで聖剣を躱す。

 しかし、返す刃は息を衝かせる間もなく、風を切って音を鳴らす。

 ランスロットの剣を技の極致というなら、ガウェインのは力の剛撃であろう。

 どれをとっても美しく、世界の法則すらも超越していたランスロットとは打って変わって、こちらは一撃一撃が必殺の膂力を込めて放たれている。

 掠っただけでも致命傷。まともに食らえば、ただ純然たる死あるのみ。

 なら躱し続ければいいと考えるが、それも並みのことではない。

 ガウェインの剣技を剛撃と称したが、何もそれはただ力任せであるということではなく、常人離れした剛力の上に理合が成り立っているのだ。

 すなわち、剣士としてもガウェインは英雄級。

 その攻撃を躱し続けるとなると、崖に架けられた綱を命綱もなしに渡る神業に等しい。

 現に今も、体力以上に精神が削られつつあった。


「っ――ぐああッ!」


 コンマ一秒、反応が遅れ脇腹を剣が通り抜ける。

 赤熱するような痛みが体を伝い、焼ける匂いが鼻を衝く。

 追撃を食らわぬよう、血液操作による攻撃と同時に距離を取る。

 当然ながら、攻撃は弾かれてしまったが、お陰で追撃は防げたので良しとするべきだろう。

 脇腹を抑えながら回復を試みるが、やはり再生することはない。


「よりにもよって“太陽”か」


 戦況の不利を語る声とは裏腹に、刀耶の顔からは悲嘆の色は見えなかった。

 目の前の相手を深く観察する。


 ――日輪の騎士ガウェイン。


 着こむ白き甲冑には太陽の加護と栄華を示す黄金の装飾があしらわれ、右腕に持つ聖剣ガラティーンは封印状態にあってなお、陽の力を溢れさせている。

 あの太陽の恩寵を帯びる聖剣のせいで、刀耶のもつ驚異的な再生能力は著しく低下していた。

 今も傷を治そうと試みるが、焼ける痛みだけがじんわりと広がって、小さなもの一つ再生することは叶わない。


「ま、なるようになるか」


 結局のところ、毎回そこに落ち着く。

 もとより、考えるのは得意ではないし、刀耶の領分ではない。

 そこら辺の仕事は、あのチンチクリンの雅がすることだ。

 だからもう、考えることはやめた。

 《変幻》は予想以上に消耗するが、それを気にして倒されてしまえば本末転倒、糞くらえだ。


「そら、今度はこっちから行くぞ!」


 地を沈めるほど踏み込んで、血槍を形成し刀耶は接近する。

 愚直なまでの特攻を見せ、槍を振りかぶる。


「――なんてな」


 カウンターを狙ったのか、急接近する刀耶に対し腰を落とす下段の構えをガウェインが見せると、舌を出して振り下ろした槍を液状に戻した。

 血の目潰しである。

 パシャッとヘルムにかかる血液、しかしガウェインは潰れた視界を構うことなく、気配のみで剣を奔らせた。

 バサバサ! と音を立て宙を舞ったのは刀耶の鮮血……ではなく、無数の蝙蝠だった。


 曰く吸血鬼とは、怪力無双、変幻自在、神出鬼没なる不死者ノスフェラトゥである。


 古代ローマやギリシャ、エジプトに起源をもつこの怪物は、あらゆる時代の変遷を経て、現代でも広く知られるようになった民衆の御伽げんそうである。

 夜と共に現れ、血を吸い、また血を自在に扱いあらゆる生物やものに変身をする無形無貌の存在。

 であるならば吸血鬼である刀耶も、その無貌変幻の力が扱えるのは道理であろう。


「さて、第二ラウンドだ」


 刀耶は紅い眼を光らせながら、肉体を完全に蝙蝠の群れへと変幻させる。

 ガウェインの周囲を旋回する黒の群れ。

 それは不快な音を鳴らしながら、竜巻を描いて騎士を取り囲むと、一斉に爪と牙を立てて襲い掛かる。

 しかし、そんなことをしても無駄だ。ガウェインは頑強な鎧を身に纏い体を守っている。

 いくら吸血鬼の能力によって生み出された食人蝙蝠であろうと、鉄の甲冑を貫くことはできない。


『おいおい、痛いじゃねえか。蝙蝠とはいえ、俺の体なんだぜ? もっと優しく扱ってほしいもんだ』


 ガウェインの腕払いで蚊のように潰れる蝙蝠を見て、刀耶は軽く茶化す。

 潰して潰して潰そうにも、一向に数の減らない蝙蝠に、ガウェインが痺れを切らして聖剣を大きく振り上げた瞬間――地中から無数の紅い棘が伸びた。

 咄嗟に反応し後ろに飛ぶガウェインだったが、一拍遅い。

 棘は無防備なガウェインの片足、鎧の隙間である関節部に深々と突き刺さり、その場に縫い付ける。


『かか、引っかかってくれてどうも』


 無理やり棘を引き抜こうとするが、まるで木の根のようにがっちりと固定されビクともしない。

 不協和音で彩られた蝙蝠の演奏が止む。

 視界が晴れるとガウェインの数メートル先には、長く鋭く血を圧縮し死を研いだ血槍を手に、刀耶が構えている。


「さてそれじゃ、大技行きますか――」


 この一撃が危険だと瞬時に理解したのだろう。

 刀耶が音を超えるのと同時に、躊躇いなくガウェインは己の右足を切断した。


 ――紅蓮一閃。


 吸血鬼の身体能力に物を言わせた閃光の突きは、直線状に大地を抉り、衝撃をまき散らす。

 銀の弾丸シルバー・バレットならぬ紅の弾丸ブラッド・バレットは、だが日輪の騎士の胸に届くことはなかった。

 ぼたぼたと片足から大量の血を流すガウェインは、致命を受けることなく今もって健在である。

 対する刀耶は、ガウェインから受けた脇腹の傷があまりにも決定打過ぎた。

 太陽の恩寵により魔なる属性の能力を阻害され、再生することは能わず、破裂した水道管のように紅い水を垂れ流している。

 出血多量で死ぬことはない。不死者の体は、その程度の死を許さないからだ。

 だが元気に動き回る体力も精神力もない。

 そうなれば、あとはあの聖剣によって呆気のない幕引きを齎されるだけだ。


『――』


 どうした、もう終わりか? 死力は尽くしたのか? ならばこれにて終わりだ。

 言葉はなくとも、ガウェインがそう言っているのが分かった。

 絶体絶命、もはや打つ手なし。

 そう思われた死闘は――しかし、まだ天秤が傾くことはなかった。


「か、かか、かははは、ははははははははは――!」


 僅かな動揺を見せたのは、圧倒的優位にあるはずのガウェインだった。

 当然である。

 死を前にして呵々大笑と天を仰ぐなど、気が触れたとしか思えぬ行動だ。

 実際にそういったことは戦場ではままあるものの、けれど刀耶の気迫から伺えるのは諦観の色相しきそうなどではなく、悪戯が成功した子供のような喜色であった。


「ありがとうな、馬鹿正直に避けてくれてよ」


 目元の涙を軽く拭って、刀耶はガウェインを見据える。


「分からないって面だな。ま、気取られないように立ち回ったし、当たり前だが。……俺の目的はアンタに大きな一撃を与えることじゃない、コイツだよ」


 よっと、と刀耶が地面から拾い上げたのは、切断されたガウェインの足だった。


「俺は吸血鬼ヴァンパイアだ。足りないものは他人から奪い、啜り、貪る」


 にやりと刀耶が笑みを見せた瞬間――ガウェインは、一本の足で大地を踏み砕き跳躍した。

 日輪の騎士が嗅ぎ取った、最悪の予感。

 それは約千年近くも前、数多の戦場で経験した危険と敗北の予兆におい

 なんとしても阻止せねばと、騎士は駆け出す。

 だが、それよりも早く――祖なる吸血鬼は、己が渇きを満たした。


「歌を聞け、私に残された幸せを。どうか帰ってきてほしい私の愛する人よ。貴方は私の光であり、私の太陽。骸となった恋人の歌。汝は誰か、私はその歌を知っている」


 体感世界が加速する。

 何もかもが止まったように感じられる刹那の中で、それは奏でられた。

 この世の何よりも美しく、この世の何よりも悲しい、鮮血の歌。


 ――血の伯爵夫人バートリーは嗤う、引き裂かれる二人の悲劇と血濡れを。

 ――龍の息子ドラクレアは激昂する、侵攻によって死都と化すワラキアの惨状を。


 拷問と極刑に濡れる惨殺の夜の訪れを、二人の怪物ドラキュラは礼賛する。


「戻ってきておくれ、私の恋人よ、死が私たちを別つことはなく、私は信じている。貴方はいつか蘇る」


 世界が塗り替えられる。

 昼は夜となり、太陽は月へとページを捲ったかのように変わった。

 そして、今ここに――完全なる聖句は唱えられた。


「――『いと貴き君主の死都Blue blood ALUCARD』」


 夜の帳が降りる。

 こうして顕現したのは、一つの異界。

 隔絶境界――聖遺物との親和性が八十パ―セントを超えて初めて扱える、『起動』の極致。

 世界の在り方を塗りつぶし歪める、最大最強の切り札。

 天華が己の起動を完全に扱えぬのは、その親和性が十五パーセントと戦旗の中でも最低であるからだ。

 だが刀耶はその天華とは真逆であり、ヴァルゼナードを除いた全ての魔人の中で、最も高い親和性を誇っている。


 その数値、実に九十一パーセント。


 もはや聖遺物そのものに等しい数値だった。


「『龍が棲む都の夜ノアプテア・バラウル』――ようこそ、夜の君主ドラキュラの世界へ。かか、いい月だろ?」


 血染めの赤い月を見上げながら、刀耶は鋭き八重歯をむき出しにして笑った。


 直後、ガウェインは体の半分を失い、地に伏した。


 自身に何が起きたのかを、ガウェインは知らない。知り得ない。

 思いもしないだろう、まさか

 ここは永劫に続く夜の世界。

 祖なる吸血鬼くなぎとうやを創造主とする、吸血鬼という概念を包括した異界なのだ。

 この世界において刀耶は、を扱える無敵の存在となる。

 つまりそれは、原点における吸血鬼の伝承だけでなく、


 ――現代の創作物上の吸血鬼の力も扱えるようになるということだ。


 まさしく、この世の理から逸脱した能力である。

 難点があるとすれば、使うと激しい渇きと殺人衝動に襲われ敵味方関係なく襲い掛かったり、精神の消耗が激しかったり、解除後に来る揺り戻しフィードバックが辛いのなんので使いたくないことぐらいか。

 そもそも今みたいに上質な相手から血を補給しないと、発動のためのエネルギーもままならないので、おいそれとは使えないのだが。


「お前を殺せば、多少はスッキリするだろ」


 腹の底から湧き上がる殺人衝動を不快に思いながら、刀耶はガウェインに手をかざした。


『あーあー、聞こえてますか狗凪』


 唐突に、ここにはいない雅の声が聞こえてくる。


「お、通信魔術じゃん。ってことはお前の方は終わったんだな?」

『ええ、嵌め殺しで今しがたようやく消えてくれたところです』

「え、お前、あれやったの、あの初見殺し?」

『対処できない方が悪いので』


 えぐいなあ、とあまりにもドライな雅に刀耶は頬を引きつらせた。


『私と天華先輩の方は終わってます。狗凪の方は?』

「ああ、今終わったところ」


 ふっと笑い、刀耶は体を反転させて、雅たちの方へと合流すべく歩き出す。

 ガウェインがいた場所には、おびただしい量の血だけが残されていた。

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