第10話 剣王 3-3
「この辺りでいいだろう」
小さいながらも確かな厳格さと霊験さを示す、愛宕神社本殿。
周囲を見回して、アーサーは燈を解放する。
締まっていた首が楽になり、けほけほと少し咳き込んだ。
慌てそうになる心を落ち着かせて、状況を確認する。
人の手が加わった石畳に、アーサーの後ろに建つ愛宕大神と書かれた神社からして、どうやら燈は愛宕山の正規ルートへ入ってしまったらしい。
戦旗に所属する、現地協力者によって張られた人祓いの魔術。それのお陰で、あたりに人影は見えない。
燈は今、アーサーと二人きりの状況だった。
「ふ、そう警戒するな。俺はお前に興味があったから連れ出した、それだけだ。手出しはせん」
本殿前の階段に座るアーサーの、一挙手一投足を警戒する。
相手は天華が手を焼くほどの相手だ。
この警戒に対して意味があるとは思はないが、だからといって素直に腹を見せれるほどの豪胆さを、燈は持ち合わせていない。
燈は聖遺物を常に発動したままだった。
「余と話すことを許可すると言っているんだ、黙ったままではつまらん。それとも、仲間の安否が気になるか?」
「……っ」
「くは、顔に出ているぞ。だが、なおのこと心配はいらん。俺が呼び寄せたのはあくまで、あいつらのガワだけだ。魂のない人形、あるいは影法師か。なんでもいいが、実力は本物の三分の一といったところだろう。加えて聖剣本来の力も封印してある。手こずりはするだろうが、死ぬことはないだろうよ」
言っていることは、恐らく本当だろう。
アーサーがこの状況で噓をつく意味はないし、仮に噓だったとしても、燈には見破るすべも助けに行けるだけの実力もない。
要は、このままアーサーの望み通りに話し合いをするしかないということだった。
「何のために、僕だけを連れ出したんですか?」
「ようやく話す気になったな。先ほどもいっただろう、興味があると」
興味とはいったい何に対してだろうか。
そういえば最初の方に、面白いものを持っているといってたが……。
「余は少々特異な眼を持っていてな、見なくてもいいものまで見えてしまうことがある」
「見なくてもいいもの?」
「うむ、因果だの未来だの、あるいはお前の中にある二つ目の魂だの、な」
「っ!」
「くは、分かりやすい奴よ。欠けた因果律から、ただの魔人ではないと思っていたが。うむ、さらに興味が湧いた。見たところ、お前の聖遺物とも関係しているのだろう?」
顎で話を促すアーサーだが、このまま本当に話してもいいのかと躊躇をする。
それも当然だ。いくら相手が手出ししないと明言していても、気が変われば燈なんて赤子の手をひねるよりも簡単に瞬殺されてしまう。
なによりも理由は分からないが、戦旗とアーサーは敵対関係にあると、一連の出来事で理解した。
燈は、自身の聖遺物のことを何にも知らないちょっと特殊な魔人なので、別に話しても困るようなことがあるわけではないが、自分の所属する組織と敵対している相手に、素直に話すのも流石に戸惑いを感じる。
ううん……と、数秒間の思考の末、燈は仕方なく口にすることにした。
「その、自分の聖遺物がどういうものか分からなくて」
「……? そんな訳なかろう」
「いや、本当なんです」
ヒルメからは転輪聖王に由来するものである可能性が高いと、そう言われているが今のところ確かな情報は何もない。勿論、そこまで話すつもりはないが。
アーサーは顎に手を当てて考え込む。
「ふむ、確かめるか……。小僧、俺の目を見ろ」
龍のものに変質したアーサーの瞳が、燈の瞳と重なる。
すると燈は不思議な感覚に襲われた。
体を包む
何かされたと、燈がそう思った瞬間、アーサーは哄笑を山中に響かせた。
「くはははは! そうか、そういうことか。あの悪戯小僧め、厄介なことを。くくく」
「あの、何したんですか?」
「ん、ああ、お前の記憶を覗かせてもらった」
「記憶!?」
「うむ。女一人のために命を賭けるとは、嫌いではない」
「うぇ!?」
どうやらばっちりと覗かれたらしい。
なんだか丸裸にされたようで、少々こそばゆさを覚えた。
「それはそれとして、お前が聖遺物を自覚できないのは、贄が不完全だったからだろう」
「贄……それってもしかして、春陽ちゃんのことですか?」
「それがお前の助けた娘の名前だと言うなら、そうだ。あれは恐らく人の魂を食らい貯蔵する機能を持ったホムンクルスの一種なのだろうが、取り込んだ魂が少なかったのか、あるいは別の問題か。ともかくとして贄としては十分に機能しなかったせいで、聖遺物が半……いや、三分の一覚醒といった状態なのだろう」
――人間になるために、人間をたくさん食べた。
あの日の夜の春陽の言葉が蘇り、顔が
「気が変わった。構えろ」
「え?」
アーサーは階段から立ち上がり、虚空から何の変哲もない直剣を取り出す。
「呆けるな。構えろ、と俺はいった」
「ま、待ってください。手出しはしないんじゃなかったんですか!?」
「気が変わったと言っただろうが。聖遺物を覚醒させるには、こうしたほうが手っ取り早い」
こうした方……もしかしなくても、戦闘をするということだろう。
「そういえば、まだだったな。なら、直接名乗る栄をくれてやる。記憶を覗いたから知ってるだろと、野暮なことは抜かすなよ?」
にやりと獰猛に笑う剣王に、燈は何を言っても無駄だと悟る。
このまま嫌がっても、アーサーが痺れを切らして勝手に始めてしまうに違いない。
覚悟を固める必要がありそうだ。
「燈、
「今からでも、車両にトランスフォームして走り出してしまいそうな名前だな。うむ、気に入った。では改めて名乗ろうか。我が名はアーサー! さあ燈よ、お前の覚悟を俺に示してみろ」
*
愛宕山、正規ルートより大きく外れた場所。
アーサーが召喚した騎士によって足止めを受ける三人は、それぞれ分断され、一対一の死闘を強制されていた。
意識の間隙を縫って迫りくる聖剣の一太刀を、天華は己の滑り込ませることによって弾く。
刃金と刃金が克ち合い、耳を覆う金切り声。
都合十二度目の打ち合い。
対峙する黒騎士――ランスロットは剣士という区分において、はるかに格上であると。
「まいったね」
現在進行形で折り重なる技と技の攻防を繰り返しながら、心の底からの声が零れる。
歩法や呼吸術などの体捌き、剣線を見切る眼から行動の起こりを捉える嗅覚、他にも心身に渡るあらゆる技術では、天華はランスロットに劣っていない。
むしろ、体捌きの点では上回っているとすら言ってもいいだろう。
ならばなぜ天華が攻めあぐねているのか、理由は単純だった。
剣技という一点において、埋めようのない差が存在しているのだ。
劣っているあらゆる全てを補って余りある技量、数多の修羅場によって磨かれた天賦の才。
燈のもとへ駆けつけねばという焦燥の裏で、目の前の英雄の技に、天華は敬意を感じていた。
無駄な消耗になると判断した天華は、後ろに跳び距離を取る。
距離こそ一足で詰められる程度ではあるものの、拮抗する戦況は膠着という静寂を生み出した。
無限の時間を内包する、数秒の静謐。
互いが互いの挙動を探り合い、脳内で数千数万の
打ち出される計算結果は、高確率での相打ちだった。
燈が連れ去られて既に数分が経っている。
均衡を崩すには、やはり『起動』を切るしかないだろう。
天華の聖遺物はあまりにも強力ゆえに、仲間を巻き込む危険性から使いたくはなかったが、雅と刀耶とはもう十分に距離を取れただろう。
だから切り札を切ろうとして――先に動いたのは、ランスロットであった。
「――っ!」
星の瞬きを思わせる剣閃が、赤い花弁を散らした。
花弁と思われたのは、天華の肩から噴き出た鮮血だった。
ありえない。
天華は今、間違いなくランスロットの剣を警戒していた。
剣撃の初動、気配や呼吸を完璧に読み、動こうものなら即座に対応できる態勢だった。
なのに、認識をすり抜けて一撃を叩きつけられた。
否――結果を押し付けられた。
この現象を、天華は知っている。知らないはずがない。
なぜならそれは、天華の聖遺物と同種の能力――
「因果の強制――っ!」
物事には必ず、過程があって結果が生まれる。
結果から過程が生じることなどはないし、過程無くして結果が生じることなぞ、世界の法則としてありえない。
しかし
因果の強制とは――過程をすっ飛ばして、結果だけを世界に反映させることなのだ。
真に恐るべきは、ランスロットは聖遺物を用いずに、ただの技量のみでそれを行ったことだろう。
まさしく神域に至る剣士。
これこそが、円卓最強と称される英雄の本領であった。
「くっ」
因果の強制を交えて放たれる連撃剣は
まだ天華の首が繋がっているのは、聖遺物がランスロットの放つ因果の強制を、ある程度レジストしてくれているからだ。
もしこれが別の聖遺物であったのなら、先の一撃でとっくに方がついていただろう。
しかし、それも時間の問題だ。因果の強制がなくとも、剣士としては悔しいまでにランスロットのほうが何十枚も上手なのだから。
であるのならば、なおのこと躊躇している暇などなく。
天華の意識は、躊躇を切り捨てた。
「
唱えられる布瑠の言は、刀に覆いかぶさる見えざる鞘を抜く聖句。
暴威たる荒神を鎮め、天地万物を平定する
最古の神話の再来を舌に乗せて、
「――『
今ここに、あらゆる因果を裂く
『――っ――!』
意志なき英雄の影が、本能で異変を感じ取る。
刹那――愛宕の山から自然が消失した。
比喩ではない。緑の景色は瞬きの間もなく、一帯から消えたのだ。
「貴方だけを狙ったつもりなのだけど」
天華の視線に映る、愛宕山に刻まれた底無しの切断面。
世界を別った、境界切断の斬撃。
それが持つ
この刃の前に断てぬ物質は存在せず、またその一刀が外れることは絶対にない。
「相変わらず、扱いづらいわね」
ランスロットに対象を絞ったはずなのだが……と、たった一振りでこの景観を生み出したじゃじゃ馬聖遺物に視線を落とし、苦笑いを浮かべた。
次いで、失った片足の代わりに剣を突き立てる英雄へと顔を向ける。
布都斯魂剣の起動を受けても辛うじて原型を留めているとは、なるほど
再度、剣を振り抜こうとしたとき、
『――……見事』
円卓最強と謳われた黒騎士は、満足げに言い残し、光に溶けていった。
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