第8話 剣王 3-1
「現地調査、ですか」
余分な飾り気のない、機能性のみを追求した家具だけが置かれた支部長室。
燈は、ヴァルゼナードの言葉をオウム返しに復唱した。
「そうだ。つい先日、京都で不自然な神秘を観測したとの報告があった。詳細は不明だが、聖遺物が絡んでいる可能性もある。楸天華と共に現地へ行き、状況の確認をしろ。お前に拒否権はない」
口を挟む間もなく、言い切られた。
あまりにも傲岸不遜で、万象一切は己に従って然るべきという唯我独尊の自負を隠そうともしていない。
しかし、不快な感情が湧かないのは、他を侮蔑するその様が堂に入っているからだった。
たった一度、この男を視認しただけで理解できてしまうのだ。
ヴァルゼナードとは傲慢であって然るべきで、あの態度こそが彼の常態。
そしてそれを許されるだけの存在の格とも称すべきものを、ヴァルゼナードは有している。
「お前の価値を、俺に示してみろ」
傲慢なる白銀は最後にそう締めくくって、燈は支部長室を出ていく。
ついに初めての任務命令――ほんの数時間前のやり取りで会った。
*
閑散とした山道を歩いて行く。
京都府が右京区の北西部――愛宕山、それが燈たちの今いる場所だった。
山城国と丹波国を隔てる位置にあり、京都において最も有名な比叡山と並ぶとされるこの愛宕山は、信仰の厚い霊験あらたかなる地としても神秘側では知られている。
登山の経験なんてものはほとんどないに等しかったが、不思議とこの山に入ってから燈は調子がよく、体が軽かった。
無論、燈はただの旅行でこの山を登っているわけではない。
先日に確認されたという神秘、その発生地点がこの愛宕山周辺なのだ。
「なんで、こんなド素人と一緒に仕事しなきゃいけないんですかねえ」
わざと棘を含んだ物言いで冷たく言い放ったのは、小柄な黒髪の少女だった。
――
もともとは天華と二人だけで向かう予定だったのだが、ヒルメが万全を期すに越したことはないと、雅と刀耶を任務に同行させたのだ。
ヒルメよりも少しだけ高い身長の雅は、生意気な雰囲気と
「ビビッとムカつきました。今、失礼なことを考えましたね、このド素人。ソリャッ!」
「いたっ」
横を歩いていた雅に、思いっきり尻を蹴られる。
中学生だと思っていた少女の蹴りは、なかなかの威力を秘めてた。
少女とはいえ、戦旗に所属しているだけのことはあるということだろうか。
せっかく支給された真新しい戦旗の軍服に、土がついてしまう。
「言っときますけどね、私は今年で十六です。高校生なんですよ」
「え、そうなの? ごめんね、てっきり中学生なのかと」
「言いましたねこのド素人、この業界じゃ私の方が先輩だってこと思い知らせてやんよ! オラアッ!」
「がふっ」
見た目からは想像できないほどの重いパンチが繰り出され、思わずのけぞる。
ガルルと狂犬さながらに猛る雅に、刀耶はかっかっかと白い歯を見せた。
「気ぃ付けろ、雅はちんまいのがコンプレックスだからな。そこら辺いじると嚙みつかれんぞ」
「てめえもだ、オラアッ」
「がは!」
綺麗なアッパーカットが刀耶に炸裂する。
たった一人の少女に男二人がいいようにされるのを見て、天華は顔を綻ばせた。
「さっそく仲が良くなってるね」
「どこがですが? 私はこんなド素人とド阿呆と仲良くする気はないですよ」
「そうなの? けれどこの任務ぐらいは仲良くしてくれないとね」
「ご心配なく、天華先輩。私、サブクエストも全てキッチリとやるタイプですので、仕事である以上は、こんな馬鹿二人と一緒でもキッチリとこなしますよ」
「くそぅ、言ってくれるじゃねえかチンチクリンの癖に。な、枢摩」
恨みがましそうにガンを飛ばしながら、刀耶は燈に同意を求めるが、さすがにもう殴られたくない燈は笑って誤魔化した。
取っ組み合いを始める二人からは少し離れて、燈は天華の横に並ぶ。
「天華さん」
「な~に?」
目的座標に向かう道中で、話題にはちょうどいいと疑問に思ったことを聞いてみる。
「聖遺物っていうのは、こんなにポンポンと見つかるものなんですか?」
「あ、そっか。戦旗については、ほとんど教えてなかったっけ」
「はい、ヒルメちゃんには聖遺物の基礎しか教えてもらってなくて」
ここ数日に及ぶヒルメの座学は、聖遺物に重点を置いた内容が七割、兵法や心構え緊急時の対処法などが三割といった具合だ。
聖遺物とは言い換えてしまえば超危険な兵器である。
誰にも扱えるという訳ではないが、適合者が使用を一歩誤ったり悪意を持って振るえば、取り返しのつかない被害が起こってしまう。
燈は突如として、そんな危険な兵器を手にしてしまったのだ。
神秘側について何も知らないずぶの素人である燈は、戦旗からすれば赤子が核の発射ボタンを握っているも同然だった。
だからこそ、聖遺物という兵器の基礎知識と運用方法を優先的に教えるのは、至極当たり前のことであった。
「そっかそっか、なら燈が勘違いしちゃうのも無理はないわね」
天華の物言いに首を傾げていると、喧嘩に一段落がついた雅が、ため息交じりに会話に混ざってきた。
「聖遺物っていうのはそのほとんどが所在不明です。今回の任務でも、なんか不自然なことが起きてるし、ワンチャン聖遺物見つかるかもね、ぐらいの期待値です」
憎まれ口を叩きながらも教えてくれるあたり、雅は存外に世話焼きなのかもしれない。
しかしその説明に「あれ?」と首を傾げたのは、当然の如く燈だった。
「待って雅ちゃん先輩、そもそもな話、聖遺物のせいでその“不自然なこと”が起きてるんじゃないの?」
「……なんです、その親しみと敬意を一緒くたにしたカツカレー的な呼び方は?」
「一個下だけど、この業界じゃ先輩だっていってたから」
雅はほう、と感心したように頷いた。
「
「嫌ですぅ、どっかのチビに向ける敬意なんて持ち合わせてませーん」
「
中指を立てる刀耶に雅は青筋を立てつつ、説明を続けた。
「確かに私たちは聖遺物の齎す被害や悪用を防ぐため行動していますが、それだけじゃないんですよ。戦旗は
話が終わると同時――彼方より飛来した極光の御柱が、世界を揺らした。
「「「「っ!?」」」」
直後に身を襲う衝撃は、隕石の衝突を間近で受けたかの如く暴力的で、刹那に空間が光で満たされていく。
突然の非常事態に、燈は咄嗟の判断で行動をした。
「――
すなわち聖遺物の発現、臨戦態勢への移行である。
僅かな淀みなく動けたのは、ここ数日間で叩き込まれた座学や実戦訓練の賜物であった。
光が淡く弾けて溶けていく。
舞い上がる砂塵が止むと、豊かなる山の自然は消え失せ、天災に見舞われたかのような光景が広がっていた。
「一体何が!」
薙ぎ倒された木々の奥、その中央に、燈は化生を見る。
猿の顔に狸の胴体、稲妻を走らせる手足は虎の強靭さ持ち、尾には毒を滴らせる蛇の怪物。
身の丈は優に五メートルを超え、生き物を適当に模った巨岩が如き威容は、明らかに常識の外に棲まう埒外の生命であった。
「京都と聞いてまさかとは思っていましたが……これは、ちょっとだけ面倒ですね」
独り言のようにしみじみと呟く雅は、眉間にしわを寄せていた。
「知ってるの雅?」
「ええ……というか天華先輩も知ってますよ」
「そうなの?」
雅は小さく頷き、言葉を続けた。
「古くは平安時代に息衝いていた、日本においても屈指の厄介さと能力を有する幻獣。平家物語にも姿を記された、黒煙と呪詛の
「――
雅の言葉を奪ったのは、聖遺物の第一段階『発動』によって瞳を吸血鬼の真紅へと変化させた刀耶であった。
一番いいところを刀耶に奪われた雅は、口をとがらせて苛立ちを露わにする。
鵺。雅もいっていたように、古き時代の日本に生きていた大妖――現代風に呼ぶなら幻獣の一種だ。
「ああ、映画の」
心当たりがあったのか、天華も頷く。
天華がそうであるように、燈もまた鵺という名前だけは知識に存在していた。
読書家というほどではないが、インドア派の燈が趣味として読んだ安倍晴明を題材とした本に、鵺という怪物が敵として出てきたからだ。
目の前に突如として現れた創作物ではない本物の鵺に、一同は訝しげに顔を歪める。
「何かに怯えてる?」
怪物といってもいいほどの巨躯を有しながら、燈が気圧されなかったのは、鵺が顔に恐怖を浮かべ、ヒョーヒョーと鳴いていたからだ。
よく見れば、体の所々から血を流している。
しかし傷を負い恐怖をしているからといっても、獣は獣である。
むしろ手負いの獣ほど恐ろしく凶暴であり、またそれが理外の存在たる幻獣であるならば、なおのことであろう。
鵺が怒りに満ちた咆哮を挙げた――刹那、
「っ! 全員避けて!」
裂帛した天華の叫び。
直後に天の裁きが如く放たれた二度目の極光が、燈たちが立っていた場所諸共、地形を吹き飛ばした――。
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