第7話 世界の裏側で 2-3


 戦旗に身を寄せることとなり数日――燈は、戦場の只中に立っていた。


 地を穿つ衝撃が炸裂する。


 破壊という一点に集約された力は、その威力をもって大気を震わせ、大地に決して消えぬクレーターという傷跡を残す。

 さながら核でも投下されたような有様だった。

 二次大戦に用いられ、数え切れないほどの命を奪った凶悪なる現代兵器。

 当然ながら、現代においてそのような危険兵器を用いることは、核兵器禁止条約によって禁じられているし、そうでなくても到底一個人が気軽に扱える代物ではない。

 そう、この凄惨とも称すべき破壊の痕跡は、たった一人の魔人によって生み出されていた。


「は、どうした! 逃げてばかりじゃ、どうにもなんねーぞ!」


 茶髪に同じ茶色の瞳、八重歯を見せて笑う表情は愉快に染め上げられている。

 背中から蝙蝠の羽を生やし己を見下ろす男――狗凪刀耶くなぎとうやを、燈は見据えた。


「……くっ」


 燈の立つ平原には、一面に破壊の限りを尽くされた痕跡が残っている。

 傍から望むこの光景は、空爆による生命の鏖殺ホロコーストを連想させた。

 しかしこの景色を描くのに用いられたのは、科学の粋を用いて作られた現代兵器おもちゃなどではない。


「まったく、仕方ねえな! 一度だけ、手本を見せてやるよ」


 にやりと刀耶が八重歯を見せる。


「私の歌を聞け、これはむくろとなった我が恋人の歌――『いと貴き君主の死都Blue blood alucard 』」


 聖句を紡ぐと同時に、刀耶に変化が現れる。

 茶色だった髪は病的なまでに白く色素が抜け落ち、瞳は真紅に濡れた鮮血の色へと変わる。

 奏でられたのは血を欲する主君の聖句うただった。


  ―― 高貴なる血を身に宿しながら、その生涯を極刑と鮮血に浸した龍の息子ドラクレア

 ――同じく、森の彼方なる国トランシルヴァニアに君臨せし王者の血脈を継ぎながら、民衆に恐れられ耽溺の中で血を浴びた伯爵夫人。


 ともに高貴なる起源を宿しながらも、その時代の人間に忌み嫌われ怪物といとわれた者たち。

 そして真実、己が罪業の末に怪物となり果てた二人の吸血鬼。

 刀耶の中に宿る、串刺し公ツェペシュ血の伯爵夫人バートリーの血。

 『いと貴き君主の死都ブルーブラッド・アルカード』――吸血鬼と成り果てた二人の偉人の血液、それが彼の聖遺物であり、吸血鬼の概念を身に宿した狗凪刀耶という魔人であった。


「また!」


 宙空に制止する刀耶の周囲に、赫々とした鮮血が出現する。

 パチンッ!

 刀耶が指を鳴らすと、鮮血は鋭利なる朱槍へと形状を変えた。

 誰が信じられようか、あの血槍こそがこの惨憺たる光景を生み出した原材料であると。

 合図と同時に、血槍が風を切って射出される。

 撃ち出された鮮血の穂先は音の壁を越えて、燈と刀耶の間にあった距離を一秒以内で零にした。

 まるでバグめいた速度と威力は、いとも容易く銃火器のそれを凌駕する。

 鉄砲の鉛玉ですら人間は肉眼で捉えることは不可能なのだ。

 ましてやそれをはるかに凌駕する異能の一端など、視覚で捉えることは愚か、知覚できずに粉々になるのが道理というもの。

 しかしそれは――人間であるのなら、という前提の話だった。


「うわあ!」


 飛来する血槍を寸で躱し、着弾の爆風に吹き飛ばされる。


「……っ!」


 枢摩燈は魔人である。

 日は浅くとも、この身は紛れもなく人の理を凌駕する超越種であった。

 連続で投射される血槍。

 爆風によって崩れた今の体勢では躱すことは不可能だと悟り、咄嗟に黒く染まる右腕を前に差し出した。

 一見すれば右腕を盾にする苦肉の策。

 燈は輪を纏う極黒の腕に、己の命を賭ける。

 砕けた大地の二の前なると思われたその行動は、しかし次の瞬間――鮮血の朱槍いのうを砕いた。


「……ふうっ」


 なんとかなると理解していても、実際に行動に移すには勇気が必要だった。

 新たに生まれたクレーターに冷や汗を流し、燈は再び空を見上げた。

 残る血槍はあと四本、つまりあと四回は死にかけないといけないということ。

 ごくりと、生唾を飲み込み、本日何度目か分からない死の気配を感じる。


「古来より言葉ってのは力だ。確とした意思をもって口に出して初めて、幻想は現実と結びついて形になる」

「聖遺物の本格的な起動には、鍵となる聖句えいしょうを唱えないといけない、でしょ?」

「座学は入ってる見てえだな。ならあとは実践するだけだぜ?」

「うん」


 天華やヒルメたちに教わったことを思い出す。

 あとはやってみるだけ、言葉にするのは簡単だったが、燈の表情からも分かる通り、成果は芳しくはなかった。

 さあいざ再開だと、揺蕩う血槍が燈に向いたとき、横から声が割って入った。


「そこまで」


 それは天華の声だった。

 しかし辺りを見回しても、彼女の姿はない。

 幽霊にでも話しかけられている気分だったが、燈に驚いた様子はなかった。

 それは鮮血の朱槍を消して、燈の横に降りてきた刀耶も同じであった。

 世界が音を立て砕ける。

 先ほどまで存在していた空間は硝子の割れるような音と一緒に、夢幻の如く消えていく。

 世界という壁紙を一枚剝がして出現したのは、基地の訓練場だった。


「いつ見ても不思議な光景だ」


 砕けた世界の破片が腕に触れると、さらに細かい粒子となって空気に溶けていく。

 この得も言われぬ現象に関心していると、刀耶が笑いながら同調した。


「かか、そうだな」

「虚数空間だっけ?」

「そ、ヒルメ様の呪いを用いて造られた、そこにあってそこにない空間。本来なら滅多にやってくれることはないんだが、枢摩の特訓っていったら快諾してくれたぜ」


 好かれてんな、と刀耶に肩を叩かれる。

 『戦旗』に身を預けて、はや数日。

 この数日間、燈は学校を休み、自身の聖遺物の力を扱えるようになるため、色んな人物の手を借りていた。

 横にいる刀耶も、その一人だ。


「どうだ、何か掴めたか?」


 刀耶の問いかけに、フルフルと首を横に振る。


「そうか。ま、あんまり焦んなよ。気楽に行こうぜ?」

「ありがとう、狗凪くん」


 かっかっか、と快活に笑う刀耶のお陰で、焦りが少しだけ薄れた。

 カツカツと靴底を鳴らして、二人の影が姿を見せる。


「お疲れ様~、刀耶、燈」


 別室で二人の戦闘訓練を観戦していた、ヒルメと天華だった。


「楸さんにヒルメ様も、お疲れっす」

「お疲れ様です。それで成果の方はどうです、燈」

「やっぱり、分かりません」

「そうですか」


 やはりヒルメにも同じことを聞かれて、同様のことを答える。

 予想していたのか、ヒルメの反応は薄いものだった。


「不思議ね~。聖句って本来、魔人となったその瞬間に自然と理解できるものなんだけど」


 燈の直面した問題、それを天華は改めて口にして深く考え込んだ。

 思考に耽るヒルメに同調するように、燈も最近教わった基礎的な話を振り返る。

 聖遺物は言うまでもなく、現代の兵器すら軽く凌駕する超弩級の権能や異能だ。


 それはときに神話で語られる武具や道具であったり、珍しいケースでは、積み重なった呪いや罪業により元はただの物でしかなかったものが、聖遺物となることもある。


 刀耶の聖遺物である『いと貴き君主の死都』などが、後者それに当てはまるだろう。

 他に有名なところで言えば、神の子を刺しその血を吸って聖遺物となったロンギヌスなどがそうだ。余談ではあるが、燈が求めている死者蘇生の力がある聖遺物、神の子の聖骸布なんかもそれに該当する。


 しかし、問題はそこではない。

 聖遺物の能力発動には、三つの段階が存在している。

 それぞれ、上から順に『発現アイン起動ソフ冠位オウル』である。


 初期段階である発現は、文字通りに適合した聖遺物を形として発現させる状態だ。

 発現状態は限定的に自身の聖遺物の能力を行使できる。

 燈もこの発現までなら難無くできた。

 黒く染まる両腕と、その両腕に顕現した光の輪がその証拠だ。

 問題はその先、次の段階である『起動』だった。


「発動はできて当たり前のことです。しかし、お前がこれからこの世界でやっていくためには、最低でも起動を覚えなければいけません」

「そんなに重要なの?」


 いまいち重要性を理解できない燈は、首を捻った。

 こうして、発現だけでも身体能力の爆発的向上や能力の限定行使など、恩恵は大きすぎるほどに感じられたからだ。

 しかしヒルメは不出来な息子を𠮟りつける母親のような目で、燈をなじった。


「起動の重要性については教えたはずなのですが。仕方ありません、もう一度だけおさらいしましょう。次はお馬鹿なお前にも分かりやすいように、です」


 やや辛辣な言葉交じりだったが、突っ込まない方がいいなと、燈は黙って聞くことにした。


「例にしましょう。最初の段階である発現、これは懐にしまった拳銃を取り出す行為だと思いなさい。そして続く起動とは、銃弾を発射することです。つまり起動に必要な聖句とは、この聖遺物じゅうの中に込められた本来の性能じゅうだんを射出するための、“引き金を引く行為”のことなのです」

「な、なるほど」


 前に聞いたときよりも、より分かりやすい解説になっていた。

 最初からそう言ってほしかったなどとは、間違っても言わない。

 要は武器はいつでも取り出せる状態にあるが、どう扱えばいいか分からないのが、今の燈であった。

 取りだした拳銃で相手を殴りつけたり、銃そのものをぶん投げたりすることはできるが、それは銃本来の用途ではない。

 鉛球を火薬で撃ち出して対象を殺すのが、本来の性能ようとなのだ。

 そしてそれをするには、聖句という引き金を引く行為が必須なのだが、今の燈は聖句がわからない……ヒルメの話に沿っていうならば、引き金の引き方をしらない状態だった。


「けれど、それは本来ありえないことなのです」

「というと?」


 聞き返すと、これも教えましたけどね、とヒルメにジト目で返された。


「聖遺物の大小強弱に関わらず、適応し魔人となったときに、聖句は勝手に自覚されるのです。これは聖遺物が当人の魂と高次元に混ざり合うがゆえ、ですね」

「じゃあ、なんで僕は分からないんだろう?」

「それが分かったら戦闘訓練こんなことはしていません」

「はは、ちげえねえな!」


 呆れ気味のヒルメに、難しいことは考えない主義の刀耶は笑い飛ばした。


「原因は不明ですが、お前の聖遺物からは、太陽(わたし)と似た匂いがします。それこそ転輪聖王(てんりんじょうおう)辺りの聖遺物で間違いないでしょう」


 結局いくら考えても、四人は答えを見つけることはできなかった。

 この後に燈はヴァルゼナードに呼び出され、天華とともに初の任務を言い渡された。

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