第4話 魔人の生まれた日 1-3

 月下に立つ銀灰の美女。

 彼女が薄く微笑んだ刹那、


「これはまた、大変なのに好かれてしまったみたいだね」


 ――一閃。


 それは月の光にも似た美しさだった。

 いつの間にか右手に握られている鍔のない深紅の刀。

 何が起きたのだろうか。

 瞬きをした次の瞬間には刀が握られていて、後ろから感じる邪悪なる気配が霧散した。

 事実、燈が振り返ると、そこにいたはずの異形どもが跡形もなく消滅している。


「そちらの少女が、この騒ぎの起点のようだね。その子、差し出してくれるかな?」


 ドキッと、心臓が鼓動する。


「……何を、するんですか?」

「何をって、この騒ぎを止めるの」


 銀灰の美女は空に浮かび上がった天輪を指差した。


「それは具体的に、春陽ちゃんをどうするのかって聞いてるんだ!」

「――殺すよ。首を飛ばして」

「ッ!?」


 いっそ燈の口から呆れた笑いが出てきそうだった。

 心臓を抉られ殺された上に、首を飛ばすと、そう言ったのか。

 死してもなお、酷い仕打ちをされなければならないというのか。

 嚇怒が体を満たす。堪えようのない激情で、憤死してしまいそうだった。

 ああ、もし、視線だけで人を殺すことができたのなら。

 燈は迷わずに目の前の女を殺していただろう。


「んな……っざっけんなよ! どいつもこいつも! 皆そんなにこの子を殺したいのかよ! この子がなにをした! お前らに……ゴボッ、おばえらに、殺されなきゃいけないような、そんな、悪いことをしたのかよ!」


 叫んだせいで、喉に血が詰まり吐き出される。


「かは、ハアッハア」


 喘鳴ぜんめいの音だけが山林に響く。

 視界の端が徐々に暗くなっていく。

 口にするまでもなく、限界だった。

 だが、もしここで意識を失ってしまえば、銀灰の美女は確実に春陽の首を飛ばしにくる。

 認めない。許さない。こんなふざけた運命けつまつなんて。

 誰よりも優しかった少女は、誰よりも報われるべきだったのに。


「……してやる」


 胸の内で眠る少女の頬に、燈は優しく手を添える。


「みんなみんな、全部――ぶっ壊してやる!」



 ――願いは聞き届けられる。



「……これはっ!?」


 その異変に勘付いたのは、魔術や神秘に携わり生業とする銀灰の美女だけだった。

 空に浮かび上がる天輪が、鳴動し廻っている。

 曼荼羅にも似た複雑怪奇な紋様を描きながら、神代かみよの権能を解き放とうとしていた。


「うそ、少女が起点じゃなかったの!?」


 熱い。どこまでも熱い、全てを焼く炎の光。

 もし、嚇怒いかりで全てを壊すことができたなら。

 それはきっと、あの空の天輪のような形をしているのだろう。

 燈は夜空を明るく塗りつぶす光に、手を伸ばした。


「そんな!?」


 天輪は鈴のような音を奏でながら、収束していく。

 太陽が如き熱量が、燈を包む。

 太古の記憶が燈の脳に映し出された。

 高原と砂漠、営む人々の平穏と闘争。

 今よりもはるか昔、人々の日常の中に神と信仰が寄り添っていた時代。

 知らぬ原風景に、燈は郷愁にも似た懐かしさを覚えた。

 夜天に昇っていた超熱量の光輪けんのうは、新たなる主を得る。

 直後に今宵、最後の異変は起こる。

 春陽の体を抱く燈の両腕は、黒く黒く、どこまでも極黒に染まっていく。

 そして黒く染まる両腕に赤い文様が奔り、同時に光の輪が出現した。


「適合者……新たな魔人が生まれるなんて……っ!」


 驚いたように叫ぶ、銀灰の美女。

 さっきまでとは違い、明確な警戒が彼女から備わっている。


「少し待ってて」


 燈は近くの木に春陽を下した。

 そして銀灰の美女を見据え、ボロボロの体で相対する。


「仕方ないわね~。悪いけれど、ぱぱっと終わらせましょうか――由良由良止ゆらゆらと布瑠部ふるべ


 紡ぎだされるは布瑠の言。

 ひふみの祝詞とも称されるその聖句は、抑えられていた確かなる古の権能、その行使を可能にする。

 刹那――銀光が閃く。

 降り抜かれた己が一太刀を前にして、しかし驚愕の表情を浮かべたのは、銀灰の美女の方だった。


「どういうこと……。なぜ、腕が繋がったままなの」


 彼女の言からして、恐らくは燈の腕を両断したつもりなのだろう。

 事実、燈もコンマ一秒にも満たぬ一刹那の中で腕を起点として発生した違和感を、弾いた感覚があった。

 いや、より正確にいうのならば、弾いたのではなく砕いた感触だった。

 銀灰の美女の様子からして、恐らくそれは気のせいではない。

 ――人の理を逸脱した奇跡が、己に宿ったのだと燈は確信する。

 体を巡る力。それを自覚して、燈は足に力を込めた。


「――速いっ!」


 瞬く間もなく、景色は切り替わる。

 五メートル以上は離れていたであろう銀灰の美女との距離が、一瞬にして埋まる。

 春陽に何かをしようというのなら、容赦するつもりなどない。

 全身の筋肉が蠕動する。

 それは普段暴力を振るわない燈からは、到底想像のできないような鋭い一撃であった。


「たしかに速い、けれど追えないレベルじゃない」

「がはっ」


 決まるかに思われた拳打は、見事なカウンターによって返される。

 刀の頭による腹部への強打は、女性の華奢な腕からは考えられない威力を内包していた。

 体内にある空気が、強制的に排出される。

 僅かに飛びかける意識を、気合だけで繋ぎとめる。


「頑丈……ではなく、根性か。気絶させる気だったのだけど」

「――まだ、だ」


 そうだ、倒れてはならない。

 ここで気を失ってしまえば、この女の切っ先は春陽に向くだろう。

 それだけは許さない。

 これ以上もう、誰にも彼女は傷つけさせない。

 己の中の誓いが、燈を突き動かす。


「男の子ね。嫌いじゃないわよ。けれどごめんなさい、やらなといけないの」


 銀灰の美女が腰を下ろして刀を構えた。

 ――来る。

 そう思った次の瞬間、


「え?」


 世界が傾いた。

 一体何がと逡巡して、気付く。

 世界が傾いたのではなく、燈の体がバランスを崩して倒れたのだ。

 下半身に喪失感を覚え、視線を落としてみれば、右足が無くなっていた。


「ぐ、あああああああっ」


 体の異常を脳が認識した途端に、体を激痛が駆け抜ける。

 斬られていた。認識する間もなく。

 噴水のように、右足の断面から血が噴き出す。


「うん、能力は大体予想ついたかな」


 おもむろに近付いてくる銀灰の美女を、燈は睨み付ける。


「もう一度だけ謝るね。ごめんね、でも悪いようにはしないよ。事情が変わったからね。だから、少しだけおやすみ」

「く……そぉ……っ」


 鞘の一撃が燈の意識を刈り取る。

 困った笑みを浮かべる銀灰の美女を最後まで睨みながら、燈は暗闇に沈み込んだ。


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