第2話 魔人の生まれた日 1ー1

 放課後の校舎裏で、一人の男子生徒――枢摩燈くるまあかりは窮地を迎えていた。


「おい枢摩、撮ってきたんだろうな?」


 わざと威圧感のある話し方で燈に詰め寄るのは、校内随一の嫌われ者である須藤一すどうはじめだった。

 黒髪黒目の平々凡々な見た目の燈とは対照的に、金に赤のメッシュと派手な髪色、校則違反のピアスと、どこからどう見てもガラの悪い不良である。

 そんな如何いかにもな見た目の須藤は取り巻きの二人を連れて、またしても校舎裏という、如何にもな場所に燈を連行してきた。

 今日日きょうびの不良学校の生徒ですら、そんなコテコテのシチュエーションは選ばないというのに、一昔前のザ・不良という行動の悉くを再現する須藤には、一周回って感動すら覚える。

 まあ勿論、それも自分が標的でなければという話なのだが。


「……須藤くん、前も言ったけど、それはさすがにできないよ」

「ああ!? お前に拒否権なんてある訳ないだろ!」

「……やらない」


 襟首を掴まれ壁際に追い込まれるが、それでも燈が頑として首を縦に振ることはない。

 例えここで辱められようが、リンチにされようが、人としてやってはいけないことの分別ぐらいは燈にも分かる。

 だからこそ、須藤の言葉には頷けないのだ。

殴られる覚悟を固めていると、取り巻きの一人であるやせぎすの男子生徒が近付いてきた。


「まあまあ一くん、落ち着いてよ」


 痩せぎすの男子生徒は、須藤をなだめながら、軽薄な視線を燈に移動させる。


「よく考えてよ枢摩くん。これはさ、君のためにも言ってんだよ?」

「僕の……?」

「そうそう。いつも君を扱き使ってくるクソッタレな東條とうじょうたち、彼女たちに復讐するいいチャンスだよ。君だって奴隷みたいな扱いされて、本当は嫌だろう?」

「そのお手伝いをしてやるってんだよ。優しくね、俺ら?」


 もう一人の取り巻きが同調するように下卑た笑みを浮かべた。

 厭らしい目つきと、粘りつくような口調で、見掛けだけの優しさで近寄ってくるその男子生徒に燈は嫌悪感を覚える。


「だからさ、ね? こっそりと裸を撮ってくれば」

「……何を言われても、僕は断る」


 確かに、彼女たちにはいつも迷惑をかけられている。

 それこそこの男子生徒がいうように、彼女たちの燈に対する扱いは奴隷も同然だろう。

 けれど裸の盗撮など、許される訳がない。

 それに、それをこの男たちに渡したらきっと碌なことにはならないだろう。

 例えどんな仕打ちをされようが、燈は絶対に引き受けるつもりはなかった。


「はあ……君、マゾヒストだろ。東條のバター犬が、奴隷根性染み付きすぎ、気持ちわる。いいよ、一くん教育してあげなよ」


 燈が絶対に頷かないと分かると、途端に化けの皮が剝がれだす。

 結局はお馴染みのパターンだ。この後に行われることなんて、未来予知の超能力がなくても大体理解できる。

 暴行がバレぬよう腹部めがけて飛んでくるパンチを、燈は素直に受け止めた。

 パンチやキック、あとは動画で見たであろう格闘技の技の練習台になる。

 そうして人間サンドバックに徹すること五分、疲れたのかあるいは飽きたのか、須藤たちの暴力が止んだ。


「顔、洗っとけよ」


 這いつくばる燈の顔を軽く蹴飛ばすと、最後にそれだけを言って離れていく。


「……っつぅ!」


 服に付いた土埃を払いながら立ち上がると、口内に小さな痛みと鉄の味がじんわりと広がる。

 どうやら最後の蹴りで、口の中を切ったようだ。

 体のあちこちに痛みを感じながら、今日は短い方だったな、と近くにある水道で顔を洗いうがいをする。

 須藤たちが顔を攻撃することは滅多にない。

 それは燈に加えた暴行がバレないようにするためだ。

 この高校に入学して一年、だんだんと須藤たちの手口が巧妙になっていく。

 教師たちに相談をすれば済む話ではあるのだろう。

 実際に担任なんかは、お人好しで押しに弱い燈のことを気にかけてくれている。

 けれど、貧乏ながらも高校へ入れてくれた祖母に迷惑をかけたくなかった。

 だからこんな仕打ちをされても、ずっと黙っていることにしたのだ。

 その結果、暴力に対する耐性と力の受け流し方を身に着けられたのは、ある意味で必然のことだったのかもしれない。


「と、急がなきゃ!」


 そういえば今自分はお使いの最中だったことを思い出して、燈は水道の上に置いてあった荷物を手に取り、走り出した。



 多少のいざこざはあったものの、使いっ走りを終えた燈は勢いよく学校から飛び出し校門を抜け、そのまま一直線に少し先にある桜並木へ向かう。

 教室を出るときに確認した現在の時刻は、午後四時十五分。

 本当ならもっと早く下校できたのだが、運悪く須藤たちに捕まってしまったため、予想以上に時間を取られてしまった。

 ある少女と一緒に帰る約束をしていたのに、一人で待たせる形となってしまった。

 春の陽光を迎えて、暖かさが本格化をしようという四月後半とはいえ、肌寒い日が完全に無くなった訳ではない。

 事実、今日の気温は三月並みで、上から一枚羽織ってないと寒がりな者は少々堪えるほどだ。

 だから、桜並木の入り口に一人でたたずむその少女のもとへ、燈は急いで駆け寄った。


「ごめん! 遅くなっちゃった」


 少女は走ってくる燈に一瞬だけ驚く。


「大丈夫ですか?」


 心配そうな表情で、少女は手に持った鞄の中から水筒を取り出すと、コップの役割も持つ蓋の中にお茶を注いでいく。


「緑茶です」

「……ありがとう」


 コップを受け取ってお茶を飲む。

 もともとはステンレス製の水筒に入れてもいいように温めのお茶だったのだろうが、相当に時間が経ってしまったせいで、少し冷めていた。だが、今は逆にそれがありがたい。

 少しだけ上がった息を整えると、クスッとその少女は柔和な笑みを浮かべた。


「ふう……おまたせ、春陽(はるひ)ちゃん」


 空になったコップを返し、燈も笑みを浮かべた。

 桜咲春陽さくらざきはるひ

 ミディアムボブの綺麗な茶髪ブラウンに、亜麻色の瞳。美麗な顔立ちは、まるで聖母といっても過言ではないほどに穏やかで。

 端的に言って、美少女だ。


「それでは帰りましょうか」


 四月の後半。春も半ばを過ぎ、それでもなお美しく咲かんと花開く桜の道を歩く。


「またイジメられたのですか?」


 不安げな春陽の瞳が、横を歩く燈を見上げた。

 いつも自分の身を案じてくれる少女の視線に、燈は気まずくなり顔を逸らす。

 燈と春陽の出会いは、去年の今頃だった。

 運悪く高校に入学してすぐに須藤たちに目を付けられてしまった燈は、今よりも酷いイジメの数々を受けていた。

 殴る蹴るは当たり前で、根性焼きや改造エアガンで撃たれるなど、地獄のような日々。

 そんな時期に出会ったのが、春陽だった。

 須藤たちに目を付けられたくないと、誰もが見て見ぬふりをする中で、ある女生徒と春陽だけが燈に優しく手を差し伸べてくれた。

 去年の夏なんか、堪忍袋の緒が切れた春陽が直接須藤たちに殴り込もうとしたりもして、慌てて止めたことは記憶に新しい。

 そのとき燈は、春陽は顔に似合わず意外と大胆なのだなと、驚いたものだ。


「そんなことないよ?」

「口に血が付いてますよ」

「えっ! ちゃんと洗い流したのに……!」


 燈は反射的に腕で口元を隠した。

 春陽にだけは絶対にバレないように念入りに洗ったはずなのに、と自分の詰めの甘さに冷や汗が流れる。


「やっぱり、そうなんですね」


 呆れたように呟く春陽を見て、燈は鎌をかけられたのだと気が付いた。


「……噓?」

「はい。噓です」

「うう、酷いよ。春陽ちゃん」

「最初に嘘をついたのは燈くんです。見せてください」


 有無を言わせずに、春陽の手が燈の頬に触れた。


「いたっ」


 須藤の蹴りで付いた口内の傷が歯にあたり、小さな痛みが走った。


「口の中を切ったのですか?」

「うん」

「いったん、座りましょうか」


 本当は隠していたかったのだが、バレてしまったのなら仕方ない。

 燈は近くにあったベンチへ移動する春陽に、大人しく付いていく。


「少し失礼しますね」


 言うや否や、隣に座った春陽は燈の制服を下のTシャツごと軽くめくりあげた。

 服の下にある痣や傷を見て、春陽の顔が痛ましく歪む。

 彼女にこんな顔をさせたくなかったから、隠し通すつもりだったのに。

 何も春陽に怪我がバレたのは、今回が初めてではない。

 というか毎回、必ずといっていいほどに、燈の強がりはなぜだか春陽には通じない。

 その度に春陽は、今のように鞄から救急ポーチを取り出して、嫌な顔一つせずに手当てをしてくれる。

 それが燈にはどうしようもなく、申し訳なかった。


「燈くん、やはり学校に相談した方が……」

「ありがとう春陽ちゃん。……けど、大丈夫だから」


 自分を案じてくれる声に、けれども燈は首を横に振る。

 燈に両親はいない。

 物心付いたときには、既に祖母との二人暮らしだった。

 決して裕福とはいえない家計であっても、なんとか高校へと行かせてくれた祖母は、現在入院をしていた。

 燈の祖母はもともと体が強くない。そんな自分のことですらいっぱいいっぱいな中で、燈は自分のことで祖母の心身に負担をかけたくなかった。


「……そればかりですね」


 事情を知る春陽は、どこかやるせない諦観の笑みを向けた。


「家族のため、ですか。――羨ましいですね」


 最後にボソッと呟かれた言葉は、普段の彼女からは考えられないほど痛切なものだった。

 だからふと、気になってしまった。


「羨ましい?」


 聞き返されて、一瞬だけ春陽はしまったとでもいうように、苦笑いを浮かべる。


「私にはいませんから。そんな“家族”と呼べるものが」

「それってどういう……」


 燈は深く聞こうとして、しかし春陽は会話を終わらせた。


「分かりました、もう何も言いません。けれど何かあったら、相談してくださいね?」


 手当てを終えた春陽が道具を閉まって立ち上がる。


「私は、燈くんのためなら、なんだってしてあげますから」


 そういっていつものように愛らしい笑みを浮かべる彼女の顔は、いつもと違ってどこか切なく、悲しげなものに映った。

 これはまだ、燈と春陽が幸福だった記憶。

 春が半ばを過ぎ桜が散っていくころの、何気なく続いていくはずだった日常の欠片。

 ――二ヶ月前の出来事だった。

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