第4話 ブレザーについた匂い

「……………」


 思い出しただけで涙が一気に込み上げてくるのと、心臓が握り潰されるような悲しみが襲いかかってくる。


 バカ野郎………俺はもう高校生だ。あの時のような子供じゃない。泣くなんて、みっともないだろ。


「すー………はー………」


 心を落ち着かせる為に、深く深呼吸をする。体中に通る血管全てに酸素が回るくらい、大きく………大きく息を吸って吐く。


 そうだ、今日からまた新しい1年が始まったんだ。そんな素晴らしい日を、悲しい思いをしながら過ごすなんてごめんだ。


 俺が心を落ち着かせていると、仕掛けておいた電子レンジからピーーッと音が鳴る。

 明太子スパゲッティの温めが終了したみたいだな。


「おっしゃ! 飯じゃ飯………って、あれ?」


 明太子スパゲッティを取り出そうと電子レンジに向かう際に、俺はある事に気がつく。


 それは、マトイだ。


「そう言えばあいつ、俺のブレザーを洗濯機に入れに行ったんだよな? もうすでに5分は経ってるぞ」


 明太子スパゲッティの温めには5分必要だ。そして、今温めが終わったと言う事は、すでに5分が経過したと言う事。


 一方マトイは、俺のブレザーを洗濯機に入れてくると言って脱衣部屋へと向かったはずだが、未だに戻って来てないではないか。


 ただブレザーを洗濯機に入れるだけだぞ?

 距離なんてキッチンから3秒あれば着くだろ。なんで5分も掛かる?


「………マトイ?」


 気になった俺は、マトイが行ったであろう脱衣部屋へと向かう。


 玄関から見てすぐ右側にある脱衣部屋。その名前の通り、服を脱いでお風呂に入る為の準備をする部屋だ。


 脱衣部屋の前に来ると、俺は何の躊躇もなくスライド式の扉をバッと開く。


「すぅ~………はぁ~♡ ミズキィ♡ ミズキィ~♡」

「……………」


 扉を開くと、壁にすがりながら俺のブレザーを顔に押し当て、幸せそうに匂いを吸うマトイが居た。


 顔もほんのりと赤らめ、俺に見られている事に全く気づく気配もなく、ブレザーについた俺の匂いを存分に満喫する。


「ミズキィ~………♡ 好きぃ~♡」

「そりゃどうも」

「ミズキィ………ふぇ?」


 マトイは扉の方に視線を向ける。そして、俺とバッチリ目が合う。


「……………」

「……………」


 互いに沈黙が続いた後、マトイはようやっと状況を理解したのか、みるみる顔が真っ赤に染まっていく。


 無意識に持っていたブレザーをバサッと落とし、体から力が抜け、ゆっくりと座り込む。


「で? 何してんだ。お前」

「………い、いや、別にその、ぶ、ブレシャーによ、汚れがちゅいてたので………」

「ほーん、汚れがねぇ?」

「………そ、そう。汚れが」


 ガタガタと震えるマトイは、無駄な言い訳をするが、当然そんなの通用する訳がない。

 

 ちゃぁんと見たからな。現場を。


「……………」

「………ごめんなしゃい」


 無言の圧に耐えられなかったマトイは、素直に謝罪。落としたブレザーを拾って、洗濯機の中に入れると、肩幅を狭くしながら俺の横を通ってリビングへと戻って行った。


 だが、なんだろう。俺の着ていたブレザーの匂いであんなに幸せそうな顔をするマトイを見たら、ちょっと恥ずかしい反面、別に嫌ではない………そう思ってしまった。


 うん、でも今日は日差しもそこそこ強かったから、少し汗もかいた。やっぱり嫌だわ。匂い嗅がれるの。


「あ、そうだ。明太子スパゲッティ出来てるんだった」


 俺は扉を閉めてリビングへと戻った。


☆☆☆


 割り箸、カフェオレ、ホカホカの明太子スパゲッティ。準備よし、腹が鳴るぜ。


 明太子スパゲッティの蓋を開け、白い湯気を放つ麺を明太子とよーく絡める。黄色い麺に薄いピンク色の明太子がある程度絡まったら、勢い良くパスタに食らいつく。


 口の中が幸せで溢れる………!

 やっぱりコンビニ食って最高だ。近くにあってこんなにも美味しいのだから。生きてる心地がするわぁ~。


「あぁ~、うめぇ。生きてるぅ」

「……………」


 美味しそうに明太子スパゲッティを食らう俺と、ソファからじっと見つめるマトイ。


 その鋭い視線を向けているのは、俺でなくテーブルの上に置かれた湯気を放つ明太子スパゲッティだ。

 その眼差しは、まるで明太子スパゲッティを敵視しているかのよう。


(あんな小さなお店で買える食べ物なんかより、私が作る手料理の方が絶対美味しのに! ミズキの胃袋を掴むのはこの私よ。明太子スパゲッティだっけ? あんたにミズキの胃袋は渡さないんだから)


 だんだんマトイから殺気に似た強いオーラが放たれ始め、マトイの中ではバトルが繰り広げられていた。


『へへっ! コンビニの食べ物ってのはな! 美味しくて、手軽で、いつでも食べられる! あんたの作る手料理がどれほどのものかは知らんが、俺様に勝てる要素なんてない!』

『ふんっ、馬鹿にしてくれるわね。手料理って言うのは、作る側が最大限の愛情を込めて作るからこそ、この世には存在しないほどの美味を作り出す事が出来るの。あんたごときには分からないでしょうね? 愛情たっぷり込められたて・りょ・う・りをね~?』


 喋る謎の明太子スパゲッティマンとくだらない言い争いをするマトイ。正直言ってどうかしている。


(見てなさい明太子スパゲッティ! 夜作る私の手料理で、ミズキを惚れさせてやるんだから。だって私は、ミズキの許嫁! 将来ミズキの花嫁になる身! 明太子スパゲッティごときに負けてられないわ!)


 マトイは1人でものすごく燃え上がっていた。

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