第3話 昔、子供達は

 コトノハ教授が見ているのは、なんだか不思議な映像だった。

「教授。何ですか? それは……?」

 映像の中では、子供達が小さなカードを取り合っているように見えた。

「ああ、モンジ君。一緒に見に行ってみないかい」


 自分の分身アバターを映像の中に送れば、実際にその場にいるような体験をすることができる。

 僕達は映像の中に飛び込んだ。


 床にばらまかれた、たくさんの小さなカード。

 子供達がその周りでひざまずき、何かの合図を待っているようだ。


「もう少し近くで、よく見てみようか」

「そうですね」


 大人がひとり、手にしたカードを読み上げる。

(何? この呪文みたいな……?)

 子供達は我先にと床のカードに手をのばす。

「あったー!!」

 素早く見つけたらしいひとりが、そのカードを取って、嬉しそうに掲げた。

「あーあ」

 取りそこなった子供の残念な声。


 どうやら、読まれた言葉と一致するカードを探すゲームらしい。たくさんカードを集めた者が勝つようだ。


「何だか不思議なゲームですね」

 はじかれた勢いで飛んできた1枚のカードを、僕は拾いあげた。

 小さなカードの右上には、おそらく日本語だとおもわれる『い』というひと文字だけが書かれている。

 そして、棒がぶつかっている犬の絵?

 —— 意味がわからない。


 僕達の姿は、彼らには見えていないはず。

 僕はそっとカードを戻しておいた。


「カードには日本語のひらがな47文字と『京』がひと文字づつ書かれていて、その言葉で始まることわざの絵が書いてあるんだよ。子供達はこのゲームを通して、文字とことわざを覚えるんだ」

「ことわざ、とは何ですか」

「昔から言い伝えられてきた知識や教訓、だね。さっきのカードは、『い』で始まることわざ『犬も歩けば棒にあたる』だよ」

「犬が歩いていると棒にあたる、のですか? そんなこと現実にはないですよね」

「ハハハ。これはものの例えだよ。このことわざは『犬でさえフラフラ歩き回ると、棒で殴られるようなひどい目にあう』という意味だね。『棒に当たる』は『偶然に出会う』、『思わぬ幸運に当たる』という意味もある」

「ずいぶんまわりくどい言い方ですね。何が言いたいのか、僕にはよくわかりません」


 僕達の世界では、言語はあらかじめ個人のメモリにあるから、学習進捗状況に応じて、使い方を学べばいいだけだ。

 僕達の表現は直接的でストレートだ。ありのままを伝えるから、何かを例えたり、ぼかしたり、お世辞を言ったりということは一切ない。


「どうしてこんなやり方で言葉を学ぶ必要があるのでしょう」

「ゲームをしながら覚えられるなんて、楽しいじゃないか。実に興味深い」


 楽しい……? よくわからない。

 これは「いろはカルタ」という昔の子供達の遊びだった。



 * * *


 作者注:「犬も歩けば棒にあたる」の意味については、ウィキペディアを参考にしています。

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