第2話 コトノハ教授と僕

 文字を介することなく、直接的な意思疎通が可能であるという、教授の画期的な研究成果が発表されたあと、世の中はガラリと変わった。

 あらゆるものに時短と効率化が求められるようになった。現実に起きていること、今そこにあること、事実だけが重視されている。


 教授は「このような世界が来るとは想像しなかった」と言う。


 この取材を受けるにあたり、教授がたったひとつだけ示した条件がある。

「研究室内で見たり聞いたりしたこと、見解、意見……何を記事にしてもかまわない。けれども、文字としての記録も残しておいて欲しい」


 それは、この世界から「文字」を無くした教授の罪滅ぼしなのだろうか。教授は、後悔しているのだろうか。


 以前の研究の際、あらゆる文字をデータ化し、メモリに取り込むプログラムを開発した教授は、今度は逆にデータから文字を書き起こす方法を考えた。

 僕はそのプログラムを利用して、この文章を作っている。


 * * *


 教授は分厚い本を何冊も積み上げて、パラパラとめくっている。


「教授。なんですか? それは」

「モンジ君。これはね、『辞書』というものだよ」

「ああ、言葉の意味や使い方が文字で書いてある昔の本ですね。なぜ何冊も似たようなものがあるのですか」

「その辞書によって、取り上げる言葉の種類や解釈が違うからね」


 僕は驚いた。

「待ってください。言葉の解釈がそれぞれ違う? のですか」


「そう、言葉は生きているものだから。使われなくなるもの、使い方が変わるもの、新しく生まれるものもある」

「それじゃ、データをどんどん更新していかなければ、追いつかないじゃないですか。こんな古い本が役に立つとは思えないです」


「モンジ君。古いから役に立つんだよ。もう消えてしまった言葉が、この中にはまだ生きている」

「どういうことです?」

「そもそもデータとして保存されていなければ、検索することはできないだろう? 無いもの、の中から探すことはできないよ。もう必要ないと消したり、壊れたデータはメモリには存在しない。言葉の歴史を紐解くには、文字で書かれているこの辞書の中を調べるしかないんだ」


 教授は静かに言った。

「文字の記録は必要とされることもあるんだよ」


 だから、教授は文字でこの記事を残して欲しいと言ったのだろうか。


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