コトノハ教授の研究録

春渡夏歩(はるとなほ)

第1話 僕達の世界では

 僕は今、コトノハ教授の取材をしている。記事の名前は「失われた栄光」という。

 コトノハ教授は素晴らしい研究成果により、若くして教授の地位を得た。その頃は天才と称されて、教授の指導を受けたいと希望する人がたくさんいた。

 でも……。あるときを境に、教授は急に今までの研究から手を引いてしまった。

 

 今では大幅に研究費を削られて、研究室は縮小されてしまっている。

 コトノハ教授は、研究所の中でも変わり者ということだった。教授の現在いまの研究テーマは、正直なところ、「一体何の役に立つんだろう?」と誰もが思うものだからだ。


「自分を取材しても面白くもないと思うけど。研究の邪魔をしないでくれ」

 最初に取材の申し込みをしたとき、教授には全く取りつく島もなかった。そこで、所長から話を通してもらったら、態度が多少は軟化した。

「まあ、どうぞご自由に」

 これ以上、所長に悪い印象を持たれて、研究が継続できなくなっては困ると思ったのだろう。


 こうして、僕は教授の研究室に通うようになった。


 * * *


 地球上には、かつて日本という小さな島国があった。

 大規模な地殻変動で国土が水没し、今は存在しないその国では、複雑な独特の言語を使用していたという。文字の種類だけでも、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットと文字数が非常に多い。


 教授は今、この古い言語「日本語」の研究をしている。


 教授のルーツは、どうやら日本で暮らしていた遠い祖先がいたということらしい。

 教授の名前「コトノハ」は、日本語では「言葉コトノハ」という意味なのだそうだ。そして、僕の名前「モンジ」は「文字モンジ」にあたるのだと、教えてもらった。


 —— そう、それは、僕たちのいるこの世界では、もう必要がなくなった「文字」と、もうすぐ不要となる「言葉」だった。


 僕達の世界では、既に文字というものは必要とされていない。

 お互いを同期シンクロする事で、文字情報を介さずに直接、意志をやりとりすることが可能となったからだ。

 僕達はそれぞれ個人のメモリーバンクを持っていて、あらゆる情報はそこから取り出すことができる。だから、自分の頭の中に取り込んでおく必要はない。何かを暗記して覚えるという過程はもう要らないのだ。


 メモリの容量、その内容と処理能力で、個人の能力は評価される。

 そして、その評価によって、ホストのメインバンクへのアクセス権限が決められている。


 以前は、経験や知識を必要としていた作業も、コピーすれば良いのだ。技術を要する仕事でも、分析した動きをコピーさえすればいい。

 努力して長い時間をかけて、何かを覚えるなんて、ずいぶん効率が悪いことだったのだろうと思う。


 僕達は、嘘や偽り、ごまかしなどの負の感情とは無縁になった。同期すれば、お互いが何を考えているのか、隠すことなどできずにわかってしまうからだ。言葉に表や裏がなく、僕達の表現はストレートだ。

 事実と数字であらゆるものが表現される世界に、僕達は暮らしている。


 将来はさらに開発が進んで、頭の中で言葉にする前に、思念波の状態で読み取れるようになるのかもしれない。そうしたら、言葉さえも不要となるのだろう。


 —— 僕達の世界で文字が必要とされなくなったのは、若き日のコトノハ教授の研究によるものだった。



 

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