ヴィアール伯爵家の花嫁になれなければ死ぬ呪い

 ※この話は昔小説家になろうに掲載していたものです※

 -------------------------------------------------------


「私は天才」


 娘が大真面目にこんなことを口にしたら、普通の親は心配するだろう。

 現にクリスティーヌ・ロゼーの父もそうだった。


「クリスティーヌ――外でそれを言ってはだめだよ」


 一家団欒いっかだんらんの場でたしなめられ、十二歳のクリスティーヌは『納得がいかない』とばかりに片眉を上げた。


「どうして?」


「皆から、やばい子だと思われる」


「だけど事実なのに?」


「あのね、クリスティーヌ――」


 何かを伝えようとする父を手で『黙れ』と制してから、クリスティーヌは偉そうに胸を張った。

 動作に合わせて、腰まで伸びた癖のないプラチナブロンドがサラリと揺れる。おそれを知らない菫色の瞳は、生き生きと輝いていた。


「何度でも言うわ――私は天才! 天才魔法少女! ついでに可愛い! 超絶可愛い! こんなに可愛くて天才なんだから、人生楽勝! よって私は一生、自由気ままに遊び暮らすと決めているの!」


 おおなんてこった育て方を間違えた……父は絶望し、手のひらで顔を覆った。問題があるのは分かっているけれど、娘に嫌われたくないので、これ以上は強く注意できない。

 一方、呑気な母は編み物をしながら、「そうねえ、クリスティーヌちゃんは私に良く似て可愛いものね」と心の底から娘を全肯定した。

 と……こんな具合に甘やかされて育ったクリスティーヌは、天上天下唯我独尊、父が言うところの「やばい子」になっていた。

 それが原因で、彼女はこれからとんでもない目に遭うのだが――……。


   * * *


 クリスティーヌは最近、読書にはまっている。

 食事と睡眠以外の時間は、ずっと読書にあてているといっても過言ではない。

 今もそう――街を歩きながら、本を広げ、視線はずっと紙面に釘づけである。

 文字を目で追いながら、「ふふ」と可憐な笑みをこぼす。


「この話、面白ーい♡」


 カエルのフロッギーが地獄世界に転移し、カエルスキルを使って管理職に上り詰めていく物語は、波乱万丈、先が読めない展開で心躍る。

 この本は先ほど行きつけの本屋で手に入れたばかりのものだ。

 そういえば危ないところだったわ……クリスティーヌは本をゲットした時のことを思い出した。

 書棚の一番上にあったこの本をクリスティーヌが見つけた時、誰かがこれを棚から引き出そうとしていたのだ。引き出そうとしていたと言っても、実際に手で掴んでいたわけではない。

 ククッ……と本がひとりでに棚からせり出してきたのを見て、クリスティーヌは『誰かが魔法を使っている』と察した。そして『困るわ』と考えた――だってこの本は私のものになる運命なのだから!

 そこでクリスティーヌは手のひらをチョイチョイと軽く振り、目当ての本を自分のほうに引き寄せた。

 何をしたかというと、魔力の強さで競り勝って、横取りしたのだ。

 天才魔法少女たる彼女にかかれば、この手の行為はお茶の子さいさいなのである。

 鼻先で本をかっさらわれた誰かは呆気に取られて悔しい思いをしただろうが、しかしそんなこと、クリスティーヌは知ったこっちゃないのだった。


 魔力の強い者が勝つ、それが世の道理だ――クリスティーヌ談。


 後出しジャンケン的にズルをしたクリスティーヌであるが、強者ゆえの傲慢さで特に罪悪感を抱くこともなく、鼻歌混じりで本の会計を済ませ、正式に所有権を得ることができた。

 そして買ってみたらすぐに読みたくなり、歩きながら目を通すことにしたというわけだった。

 道中、誰かから「おい」とか「ねえ」とか肩を叩かれたりしたような気がするが、当然無視する。

 だって物語が良いところに差しかかっているので、途中で読むのをやめられない。

 歩き読書は大変危険なので、やめましょう――それは世間一般のマナーである。

 ところがクリスティーヌはこれを守らない。いざという時は魔法で危機回避できるので、相手も自分も怪我をすることはないからだ。

 普通は子供がマナー違反をしていたら親が叱るものだけど、クリスティーヌの母は大変変わった女性で、マイペースな駄目人間であったので、娘を叱るということがない。

 そして父は惚れた弱みで母に逆らえず、家庭ではとっても影が薄い。

 そんな家庭環境で育ったために、クリスティーヌは十二歳になった今でも、伸び伸び自由気ままに暮らしていた。


   * * *


 本来なら一年前、クリスティーヌは魔法使いの学園に入学するはずだった。

 魔法の才能がずば抜けていた彼女は、入学試験だけは一応受けたのだ。

 そこでトップの成績を叩き出し、教師陣が「すごい才能だ!」と瞳を輝かせて詰め寄ってくるのを適当にあしらって、「私、試験を受けたかっただけなので、入学は辞退します」と告げ、クリスティーヌは颯爽とその場を去った。

 彼女からするとテストが面白そうだったから受験しただけで、入学する気はなかったのだ。だって毎日通学とか、面倒じゃない?

 その後何度も学園から入学要請が来たのだが、やはり心惹かれなかったので無視した。

 そんな訳でクリスティーヌは学園にも通わず、かといって働きもせず遊んでばかりいた。それでもやはり親に叱られることはなかったのである。


   * * *


 家に帰ると、まだ夕刻であるのに珍しく父が帰宅していた。

 騎士をしている父は、外では結構強い――ついでに言うと、騎士団ではかなり出世しているらしい。

 ムキムキマッチョなエリートだけれど、妻と娘には決して勝てない、悲しき男だ。


「ただいまー」


 ちょうど読み終わった本をパタンと閉じ、クリスティーヌが帰宅の挨拶をすると、玄関口まで迎えに出て来た父がギョッとして足を止めた。


「ク、ククククク、クリスティーヌ――何があったんだ!」


 うん……何かな? クリスティーヌが小首を傾げると、父が震えながら叫ぶ。


「クリスティーヌ、お前の肩にドラゴンが乗っているぞ!」


 は……肩にドラゴンが乗っている、ですって?

 そんな阿呆な……クリスティーヌは半目半笑いになり、自身の右肩を見遣った。まったく信じていないが一応確認したのは、父に「ドラゴンなんていないじゃないの」とツッコミを入れるためだった。

 ところが。


「お? おお……おおおお……」


 クリスティーヌは目を瞠り、手を震わせながら乙女キュン顔になった。

 なんとなんと――右肩にミニサイズのドラゴンが乗っているではないか! クリスティーヌの相棒です、とばかりに、肩にしっかり掴まっている。

 クリスティーヌは震える手を伸ばし、ドラゴンの足をガシッと鷲掴みし、高らかに叫んだ。


「やったぞ、イケてるペット拾ったー!」


 叫び声の残響が消えた途端、家の中にモクモクと暗雲が立ち込めた。どういう原理か分からぬが、部屋全体が暗くなり、ピカピカと稲妻が走る。

 台所にいた母が慌てて駆けつけてきて、盛大な悲鳴を上げた。


「きゃあ、やだ、世界が終わるわ! たたりよ、空が堕ちる!」


 部屋中を覆い尽くした暗雲の冷たさに、クリスティーヌは思わず身震いした。

 その瞬間、ひときわ激しく光が弾けた。そして辺りにおどろおどろしい声が響く。


『呪いの書を手にした少女――なんじは呪われた。呪いを解くには、王都で一番強力な魔法使いの家系――ヴィアール伯爵家にとつがねばならぬ。汝はヴィアール家の花嫁になれなければ、死ぬ』


 展開が急すぎてついていけない、とクリスティーヌは思った。

 しかし母はこの唐突な展開にもちゃんとついていけるようで、内容を理解した上で、泣き出してしまった。


「ああ、なんてこと……可愛いクリスティーヌちゃんが死んじゃうなんて!」


 母の泣きごとを聞き、クリスティーヌは引いてしまった。

 いやこれ嘘でしょ……本当のわけがない。

 内心小馬鹿にするクリスティーヌをとがめようというのか、部屋に立ち込めていた暗雲がねじれるように収縮し、縄状になって体の周囲を取り囲んだ。その渦はシュルシュルと何回転かしたあとで、クリスティーヌの手首に絡みつき、青灰のラインを肌に残した。遠目だとブレスレットのように見えるかもしれない。

 ――途端、頭がガンガン痛み出す。

 ここに至り、クリスティーヌは初めて青ざめた。

 こ、これ、マジもんのやつだー!

 ガクリと膝から力が抜ける。

 暗雲が消え去ったあと、四つん這いでうなだれるクリスティーヌ、泣き叫ぶ母、呆然とする父、それらを眺めるミニドラゴンの姿があった。

 ――地獄絵図だった。


   * * *


 すぐに緊急家族会議が開かれた。

 議長は父だ。


「話を整理しよう――まず、クリスティーヌは今日、本屋で『地獄のフロッギー』という本を購入した。手に入れたその本は、運悪く呪いの書だったらしい。それでクリスティーヌに死の呪いがかかった。呪いを解除するには、クリスティーヌはヴィアール伯爵家に嫁ぐ必要がある」


 こういう時、理論的に判断を下すのは、大抵クリスティーヌの役目だった。

 父は騎士団ではお偉いさんだが、家庭での序列は最下位なので、何かを主導する権利はない。しかし今日は下っ端の父が司会役、兼、リーダーを務めている。

 なぜかというと注意力のない母に司会役は無理だし、当事者のクリスティーヌは体調不良だったからだ。今のクリスティーヌは体がだるく、気分がささくれ立って、何かを考えるどころではなかった。

 強い呪いを受けたことで、現在は魔力酔いをしているのだ。

 自身の魔力と、刻印された呪いの魔力が拮抗している。たとえるなら、体内で免疫が病原体と闘っているような状態だ。

 少しすれば体が呪いを受け入れ落ち着くだろうが、今は体内でバチバチにやり合っているので、本体は耐えがたいほどに調子が悪い。

 ぐぬう、忌々しい……クリスティーヌは少女らしからぬ殺し屋みたいな目つきで、テーブルの木目を睨みつけた。


「ねえだけど……そもそも結婚って、十六歳にならないとできないんじゃない?」


 柔軟な母はすでにショックから立ち直ったらしく、のんびりとそんなことを問うた。

 これを聞き、父は眉を顰める。


「いや……その知識、間違っていると思うぞ」


「あらじゃあ、法律では何歳から結婚OKなの?」


「あとで調べておくが、下限はなかったような気がするな……」


 木目を睨んでいたクリスティーヌは思わず身じろぎした。

 えっ、本当? じゃあ生後ゼロ歳でも結婚できるの? いやいやいや、嘘でしょー……。

 クリスティーヌが疑いの目を向けると、途端に父の挙動がおかしくなる。


「あーと……その辺は記憶が曖昧だから、あとで調べておく」


 適当をかまさないでくれ、頼むぜ、パピー……クリスティーヌの目つきが冷たくなった。

 一方、自由人の母はといえば、矢継やつばやに質問を重ねる。


「でもうちって貴族じゃないじゃない? 平民だもの。それに対してヴィアール伯爵家は『伯爵』ってつくくらいだから貴族よね? 階級差があるけれど、クリスティーヌちゃんはヴィアール伯爵家に嫁ぐ資格があるのかしら?」


「まぁ無理だな」


 沈痛な表情で父が答える。

 でも……と母は何かを思いついたようだ。


「そういえばあなた、二年くらい前に、貴族の称号をもらえるみたいな話がなかったかしら? すごい手柄を立てたとかなんとかで、ご褒美的に――あれって結局、どうなったの?」


 この話は初耳だったので、クリスティーヌは驚いた。

 ええ? ちょっとマミー……この話って「結局、どうなったの?」の軽さで確認するような話題じゃないよね。

 平民が貴族になるってすごいことよ? 本来、もっとかしこまってする話だし、当時、もっと真剣に話し合わなかったの?

 一方、母の軽薄な態度に、父は腹を立てたようだ。


「覚えていないのか? さすがにひどいと思うが――あれは君が駄々をこねて、ナシになっただろう!」


「私、駄々なんてこねた?」

 母がきょとん顔を披露する。

 父は前のめりになって訴えた。


「貴族になんかなったら、面倒な付き合いが増えて嫌だって言ったじゃないか! 私は君の意思を尊重して、断ったんだ!」


「えーでもぉ……今からなんとかできない? やっぱちょうだいよ、ってダメもとで言ってみるとか」


「無理に決まっている、一度断ってしまったのだから」


 父にそう言われ、母は悲しげに頭を抱えた。


「ああやだ、なんてことかしら! クリスティーヌちゃんは、顔だけは上等で私に似た美少女だから、黙ってさえれば、ヴィアール伯爵家の御子息にも気に入られたでしょうにー……過去の私の我儘のせいで、あなたは貴族に嫁げないぃ……ごめんなさいねぇ……愚かな母を許してぇ」


 クリスティーヌは母を許すも何も、もともと責める気がなかった。それよりも、母の言葉の中でどうでもいい点が気になっていた。

 ……顔だけは上等って、ずいぶん失敬ですよね。こちとら魔力もすごいっつーの。私、天才なんだからね!

 クリスティーヌは膨れツラになり、テーブルに頬杖を突く。

 確かにクリスティーヌは艶やかな白金の髪に、灰がかった紫の瞳、薔薇色の頬が愛らしい美少女なのである。口を開くと途端に残念少女になるので、先ほど母が言った「黙ってさえれば、ヴィアール伯爵家の御子息にも気に入られたでしょうに」は、あながち的外れな見解でもないのだった。

 ふてくされて視線を彷徨わせたクリスティーヌは、ソファでくつろいでいるミニドラゴンを見た途端にハッとした。

 ドラゴン……そうか!

 クリスティーヌは勢い良く席から立ち上がった。


「そうよ! ドラゴン退治よ!」


 両親がギョッとした顔でクリスティーヌを見た。娘が突然訳の分からないことを叫んだので、ストレスでおかしくなったかといぶかしんだのだ。

 しかし興奮しているクリスティーヌは両親の戸惑いに気づかず、早口に続ける。


「私、ちょっくらドラゴン退治に行ってくるわ! 凶悪な人食いドラゴンの首を持って帰れば、その手柄で、貴族の称号くらいはもらえるでしょう――運命は自分で切り開く! 私は自力で貴族に成り上がり、ヴィアール伯爵家に売り込みをかけるわ!」


 母も瞳を輝かせて立ち上がった。


「なんて良いアイディアなのかしら! さすが天才! 天才魔法少女!」


 もっと言って! クリスティーヌはすっかりテンションが上がり、景気づけに拳を突きあげた。

 体調不良から完全復帰し、やる気満々である。


   * * *


 ――半月後の昼下がり。


 樹海の奥の奥のほうで、歴史が動いた。

 華奢な少女が水色のワンピースを血塗れにし、山のように隆起した黒い何かの頂上で仁王立ちしている。

 足元の黒い何かは、巨大な生きものの背中だ。

 クリスティーヌは長剣を天に突き上げ、雄叫びを上げた。


「人食いドラゴンの首、討ち取ったりー!」


 勝者となったクリスティーヌはハラハラと涙を流した。

 ドラゴンは善良な種類もいるが、残忍で狂暴な種類もいる。このドラゴンは村をいくつも襲っている高額賞金首だ。けれど強すぎて誰も倒せないだろうと言われていたのだが……。

 私、頑張った……すごく頑張ったわ!

 最近インドア派に傾いていたクリスティーヌは、なまった体を父に鍛え直してもらうとこからスタートした。筋トレはしんどいし、めんどい。だけど頑張った。

 魔法で身体強化しつつ、日々メキメキと武術の腕を上げて、しっかりレベルアップしてから狩りに出た。

 父が心配して一緒に行くと言い、クリスティーヌが断ったのに譲らなかったので、「明日発つわ」と嘘をつき、一日早くひとりで家を出て、無事成し遂げた。

 だってパピー……弱っちいから足手まといなんだもの。

 とにかくやってやった、やってやったわ、ふははははー!

 高笑いがしばらく止まりませんでした。


   * * *


 名誉なんちゃらかんちゃら――という長ったらしい名前のついた貴族の称号(正確に言うと貴族と同等の称号)を無事もらい受け、クリスティーヌは意気揚々とヴィアール伯爵邸に乗り込んだ。

 あ……ちなみに我が国は、十三歳から結婚できるのですって。

 とはいえ十三歳で結婚する人なんて、ほとんどいないみたいだけどね。

 もうすぐクリスティーヌは十三歳になるので、呪いで死ぬ前にギリギリセーフで籍を入れられるはずだ。まあ……相手がもらってくれれば、の話だけど。


「こんにちはー!」


 元気に挨拶したあと、出て来た執事さんに自己紹介してから、「次期当主様に会いたいんですけど」とお願いしてみたら、あっさり応接室に通された。

 待っていると重厚な扉が開き、サラサラのブロンドに青い目をした美少年が入って来た。

 うーん……インドア派っぽい子だなー。この子が私の旦那様になる人か。

 クリスティーヌは意外にもファザコンのがあったので、異性の好みとしては筋肉質な人が良かった。

 見た目はあれだが……背に腹は代えられん。

 などと失礼なことを考えていたら、なぜか相手が冷たい目でこちらを見つめ、警戒したように口を開いた。


「僕はリュカ・ヴィアールです。それで、どんなご用件ですか?」


「用件の前に、あなたは何歳ですか?」


「十三歳」


 じゃあ同い年か。


「結婚はしています?」


 ここ大事ね。


「しているわけないでしょ、十三歳だよ」


 やった! 相手が十三歳未婚と聞き、クリスティーヌは口元を緩ませる。

 さて、それでは結婚を申し込みますか。

 クリスティーヌは腕の呪い痕を見せながら、かくかくしかじか……と経緯を説明した。

 リュカは同情して「結婚してもいいよ」って言うかと思ったのに……。

 リュカが眉を顰めて言う。


「それで僕になんのメリットがあるの? 死にたくないから結婚してって、すべて君の都合だよね」


「いやそうだけど……死が身近に迫った時、人は勝手になるものでしょうよ」


 クリスティーヌは戸惑いながらそう返した。だってまさか、相手がこんな正論をぶつけてくるとは思いもしなかったから!

 それでふと思いつく。


「あ、じゃあ、ガチンコ勝負して決めるのはどう? 私が勝ったら、嫁にもらって?」


「え……じゃあ僕が勝ったら?」


 クリスティーヌは少し考え『私が負けるわけがないから、なんでもしてあげよう』という結論を出した。


「私のこと、奴隷にしていいよ」


「本気?」


「イエス、本気」


「……ちょっと考えさせてくれ」


 えー! 何そのしょっぱい回答! がっかりだよ、あんたには本当、がっかりだよ!

 クリスティーヌは狩人の目つきになり、ジリジリとリュカににじり寄った。

 そしてふたりの距離が充分に縮まってから飛びかかった。


「隙あり!」


 そのまま押し倒して唇を押しつける。

 これは母から伝授された、いざという時の作戦であった。


「既成事実を作るのよ、クリスティーヌちゃん」


 普段落ち着きのない母が、この時ばかりは年長者の余裕を持って、優雅に告げたものだ。


「押し倒して、やっておしまいなさい」と。


「だけどそれって痴漢じゃない?」


 クリスティーヌが珍しく常識的な疑問を口にすると、


「あらクリスティーヌちゃん――ヴィアール伯爵家は、王都で一番強力な魔法使いの家系なのよ? あなたは弱い相手を襲うわけじゃなくて、圧倒的強者に挑むの――だからギリギリセーフのはず。それにあなた、手段を選んでいられるような状況じゃないでしょう? 生きるか死ぬかの瀬戸際だってこと、忘れないで」


 襲っても、ギリギリセーフのはず? そうかなあ? 正直ちょっと疑問な部分はあったけれど、クリスティーヌは死にたくないので、母のアドバイスに従うことにした。

 そう――キスしちまえばこっちのもんだ。

 リュカ君、諦めてくれたまえ。お詫びに、君のことは一生大事にするよ。危ない目に遭ったら助けてあげるし、誰かにいじめられたら私に言いたまえ、相手をとっちめてあげるからね。

 これで万事解決のはずだった――クリスティーヌの計画では。

 ところが。

 ん……ん?

 唇を押し当てた直後に奇妙な違和感を覚え、そっと顔を離す。

 それでもまだ距離は近い。すぐ先に、揺れ動く青の瞳があった。

 クリスティーヌに組み敷かれているリュカが混乱したように呻く。


「……どういうつもり?」


「いや、既成事実を作ってしまおうかと……」


 クリスティーヌが答えると、途端にリュカ少年がキッと睨み上げてきた。少し目が潤んでいる。


「き、君は! 君は、誰彼構わずこんなことをするのか!」


 リュカ少年の怒りは相当なものだった。

 その後、どんなやり取りをしたかはあまり覚えていない。

 クリスティーヌはすぐに屋敷を追い出されてしまった。


   * * *


 リュカ・ヴィアールは応接室の中を苛々と歩き回った。

 なんでこんなことになったんだ……予定と違う……!

 彼女との初めての出会いは、一年ほど前――魔法学園の入学テスト会場だった。

 圧倒的な好成績でリュカを抜き、トップを取った女の子がいて、すごく驚いた。リュカはこれまで誰かに負けたことがなかったから。

 屈辱よりも、未知の喜びを感じた。この子と一緒に過ごせたら、退屈しないかも。

 だけど彼女は「私、試験を受けたかっただけなので、入学は辞退します」と言い残し、颯爽と帰ってしまった。

 リュカはがっかりした。

 その後、街で何度か彼女を見かけた。そのたびに勇気を出して声をかけてみたのだけれど、当たり前のように無視されてしまい……。

 なんなんだ……透明人間になった気分だよ。

 ――そして、運命のあの日。

 本屋に入り、面白そうだと思った本を魔法で引き寄せようとした。ところが横から何者かに介入されて、本をかっさらわれてしまった。

 驚いた……ここまで強力な魔力を感知したのは、入学テスト以来だったから。

 なんて思って横を見てみれば、なんと、あの子じゃないか!

 ――クリスティーヌ・ロゼー!

 リュカとしては一度でいいから、ちゃんと目を合わせて、お喋りしてみたかっただけなのだ。

 でも彼女はかたくなにこちらを無視する。

 苛々が溜まり、気づいた時には、子飼いのミニドラゴンを彼女の肩に乗せていた。

 そして一般的に悪戯でよく使われる、軽度な魔法をいくつかかける。それは相手に幻影を見せる魔法と、幻聴を聞かせる魔法と、発動時に倦怠感、嫌悪感を与える魔法と、肌の色を変える魔法と、それらを時間差で一斉に作動させる魔法の組み合わせだった。

 ドラゴンを肩に乗せたのは、魔法を遠隔行使する際の座標とするためだ。

 リュカがかけた魔法は、子供騙しで阿呆な内容だったから、あとで彼女が当家を訪ねて来て、「ねえ、あなたね、魔法で悪戯したのは! こういうの、やめてよ!」と文句を言い、こちらが謝って終わるはずだった。

 それなのに……。

 なんで彼女、害獣扱いの凶悪なドラゴンを退治しちゃうんだよ……発想が怖すぎだよ……。

 あと、いきなりキスされたのもすごくショックだった。

 嫌だったとかじゃなくてさ……正直に言うとドキドキしたんだけど、考えてみればクリスティーヌは、誰が相手でもああするつもりだったんだ……それに気づいたら、すごく傷ついた。

 リュカは仲直りのタイミングを逃し、ひとり頭を抱えた。


   * * *


 クリスティーヌは天才魔法使いだ。

 彼女はその能力の高さゆえに、リュカをひと目見た時に、外見は自分の好みから外れるものの、彼の中心を流れる魔力の質が、自分の好みにピッタリであるということをすぐに理解した。

 魔力の質は、たとえるなら、声のトーンに似ている。

 注意深く耳を傾けていると、人となりが分かるというか。

 リュカの魔力に耳を傾け、クリスティーヌは本能で、『いい人に違いない』と確信した。

 それで内心ほっとしたのだ。

 だからキスをした。

 母からそうするようアドバイスをもらっていたけれど、クリスティーヌはたぶん、対面した相手が嫌なやつだったら実行しなかったと思う。

 ところが想定外のことが起こる。

 唇が接触した瞬間、クリスティーヌは真実に気づいた。

 え? これ――呪いをかけたやつと同じ波動だ!

 唾液の接触というのはある意味、かなり濃密な関わりだから、一瞬でこのような複雑なことまで分かってしまう。

 ひとり歩いて自宅に帰りながら、クリスティーヌは殺し屋みたいな悪ーい顔つきになった。


「ふふ……ふふふ……リュカめ、やってくれたな! 目的は分からんけども、この私に喧嘩を売ったこと、とくと後悔させてやるわ!」


 やつとの唾液接触により『死の呪いは嘘』だというのもはっきり理解できたし、これでもう怖いものはない。

 人生で初めて好敵手を得たクリスティーヌは、血湧ちわ肉躍にくおどり、瞳をキラキラと輝かせた。


   * * *


 それから数年の長きにわたり、リュカ少年はクリスティーヌに一方的に追い回されることになる。

 これは別の解釈をすれば、『自分を見てほしい』というリュカ少年の願いが叶ったわけだね。




   * * *


 ヴィアール伯爵家の花嫁になれなければ死ぬ呪い(終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る