堂野前 舞乙
「俺って温かい人なんだって」
「は?」
常務が明日別荘に戻ってくる。
その晩、萩野間さんに言われたことを、透夜に伝えたが、案の定ゴミを見るような目で睨まれた。
「そんなのお世辞に決まってんじゃん、調子に乗るなよ」
「ひでっ! の、乗ってないし、それが親に言うセリフかよっ」
「女にちやほやされて鼻の下伸ばしてさ、バカじゃねぇの」
「そこまで辛辣に言わなくていいじゃん。こんな経験、帰ったらもうないんだぞ。透夜こそ、戸鞠さん以外とも仲良く……」
「なに」
「あー……楽しそうにしてて、良かった、なぁと」
辛辣に言うから、こっちも言い返してやろうと思ったが、みんなと交じって楽しく過ごしている横顔が思い浮かんだ。
「はぁ? かなえがそうしろって言うから、交じってるだけだし、女子とつるんでも、別に」
「そりゃ男同士でしか話せないこともあるさ。定番のオカズ、好きな子の話、癖の話だって」
「もう父さんって呼びたくねぇー」
「冗談だから! ごめん。じゃあ、戸鞠さん以外はストレス?」
視線は左斜めに動く。
黙り考えている透夜の返事を待つ。
「……かなえの傍にいると、たまにイラつく時がある」
「え? 戸鞠さん?」
「その、自分と大人に」
大人、俺と常務のことか?
「俺も社会なんて1ミリも知らない子どもだって分かってるけど……同じ目線じゃないっていうか、あーもう! 説明できないのがもどかしい!」
髪をくしゃくしゃにして、ベッドに寝転んでしまう。
枕を抱え込み、俺に背中を向ける。
丸まる背中に何も言えなかった……――。
スマホがない。そういえばリモートの時に上司と連絡を取り合ってたから、空き部屋に置きっぱなしにしたんだ。
透夜を起こさないようゲストルームを出て、書斎の隣室、ドアノブを掴んだ。
こもった熱が通路に抜けていく。
電気をつけ、テーブルに置きっぱなしだったスマホを取る。
なんの着信もない、妻からの連絡もほとんどなく、大体用事があると透夜の方に入ってくるんだよなぁ。
寂しくないか訊いても、「さみしー」の一文のあと、ママ友でたこ焼きパーティーしてる写真を送ってくる。
その写真がめちゃくちゃ楽しそうだから、なんだよってなる。
「ほんと強いな」
思わず零れてしまった。
もし俺が家で1人だったら、寂しすぎて泣く、悲しみに震えながらソロたこ焼きしてる。
それでも、『温かい人』だって言ってくれるかな。
はぁ、寝よう、さっさと寝て明日常務に色々文句言ってやる。
スマホを手に戻ろうとした時、ノックがした。
「え、あーどうぞ」
扉が開く。
ノックした人物を見ると、堂野前さんだった。
長い黒髪にパーマをかけ、大人な雰囲気をもっている。
キャミソールにパジャマパンツ姿で、胸元に時々目線が動く。
他人の感情に敏感、らしい。
「すみません、夜中に……音がしたので、もしかしてと」
「あ、あぁーごめんね、起こしちゃった?」
「少し夢を見てしまって眠れなかったので、大丈夫です。少しだけ、お話相手になってほしいです」
とりあえずエアコンをつけて、冷房の温度を調整する。
イスに腰かけ、よし、と構えていたら、堂野前さんの瞳はうるうると滲み、今にも泣きだしそうだった。
「あれ!? ど、どうかした?! どこか痛かった?!」
「すみません……いつもの癖で、私も分かりません……」
俺、余計なこと考えてたかなぁ。
とにかく別のことを考えろ、そう、智里が微笑んでいる姿を。
白いひまわりみたく微笑む彼女。
「ふふっ」
堂野前さんは目に涙を残したまま笑ってくれた。
「今度は温かい感じがします」
「え、温かい? 俺って温かいのかなぁ」
「なんていいますか、性格とか見た目じゃなくて、五十嵐さんの中にいる素敵な感情……だと思います。ごめんなさい、説明が下手で」
ますます分からない。
「そ、そう? まぁ悪いことを言われるわけじゃないし、照れるなぁ」
「葵ちゃんが言ってた通りですね」
「萩野間さんが?」
「はい、絵本の中に登場するクマみたいな人って」
初耳ぃー。
温かい人って言った裏側で、そんなこと思ってたのか、褒められてる気がしない。
「クマ」
「見た目じゃなくて内側の話ですよ」
本当か? 少しお腹が出てきたのは、甘んじて受け入れよう。
「そ、そう? まぁありがとう。ところで、堂野前さんとはあんまりちゃんと話したことなかったね。普段は何してるの? 学園とか」
「私は、部活とか入ってなくて、いつも葵ちゃんと一緒にいます。他は、バイトを……松島食品で」
「えっ? 松島さんとこで、てことは、常務とも」
「はい、直売所で働いています。戸鞠さんの計らいで、ひとり暮らしもしています」
ひとり暮らし……堂野前さんも親と色々あるんだろう。
「バイトして、ひとり暮らしなんて大変だね。常務、幸太郎さんとも仲良いの?」
「仲が良いというか、恩人なんです」
「恩人?」
「はい、父が、少し、変わった方で……それで、距離をあけた方がいいからって色々してくれたんです……」
自分の体を抱きしめる堂野前さんの顔色は、親の話をしただけで青くなる。
「ご、ごめん、えーとあぁー」
親の話から逸らそうと話題を考えるが、いざって時ほど思いつかない。
そもそも彼女達の話題は踏み込んでいいのか分からないレベルばかりなんだよ。
常務、せめて事前に情報を教えてくれ!
「恩を返したいのに、私の取り柄は、役に立つ方法がひとつしかなくて」
「は、えっ?」
いきなり急展開なんだけど、どうした? 何か変なスイッチでも入ったのか。
世話焼きを通り越した瞳は、切羽詰まったように迫ってくる。
キャミソールの隙間から谷が……ちらちらと、あぁ目が勝手に吸い込まれていく。
「ちょっ、ちょっとまっ!」
「こんな時間までお仕事ですか、ご熱心で……」
待って、と言いそうになったところ、ガチャり、と開いた扉から顔を出したのは戸鞠幸太郎。
堂野前さんの服装と、俺の慌て具合をちらっと見た。
そして、心底ゴミを見るような眼差し。
「期待した自分が恥ずかしいですよ」
「ちちちちち違う! 待って!」
助けて常務、と目で訴える。
事情を分かっていそうな、やれやれという呆れ顔。
「堂野前さん、自分の傷を道具にしなくていいですよ。五十嵐さんは多分、そんな悪い人では、いえ、善人よりの最低な人ですが……貴女の父親より道徳はあります」
これは助けてくれてるのか、嫌味を言ってるのか。
堂野前さんは俯いてしまう。
「すみません……私、これでしか役に立てないから」
「今はまだ視野が狭いだけで、世の中たくさんありますよ。もう、こんな時間ですから」
「そ、そうだな、おやすみ堂野前さん。また明日」
小さく頷く。
常務に連れられていく……――。
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