萩野間 葵

 ワンルームほどの小さな読書室に萩野間さんがいた。

 ミディアムヘアの毛先を内側に巻いた黒髪と、感情が乖離したような横顔。

 表紙は満月を見上げるクマの親子が描かれた絵本を読んでいる。

 文字を追う目と、ページをめくる音は、速い。

 以前ここで萩野間さんと少しだけ話をした。


『家より、外にいた方が落ち着くから』


 悲しいかな、子どもにこんなことを言わせる親がいる。

 そりゃ思春期で、ケンカしたり、無視したりするけど、でも、家に帰ってきたら色んな「おかえり」と「ただいま」がある。

 良くも悪くもそれが家族だろう。

 俺も同類か……透夜、いつになれば、お前にとって良い父親になれる。

 智里……君の言葉、笑顔、仕草、全てが愛に溢れていたことを、1ミリも気付けやしなかった俺に、誰かを愛せると思うか。


「与志也さん」

「え……あー萩野間さん、どうも」


 か細いながらも吐息を含めた声に引き戻される。


「リビングに行かなくていいんですか」

「リビング?」


 言われてやっと聞こえた、賑やかな声。

 振り返り、通路からリビングを覗けば、テレビを囲んでゲームをしている。


「決着をつけるわよ透夜! アタシに勝てたら、かなえとの交際を認めてあげるわ! このビーチフラッグで!」

「なんでわざわざゲームで……ていうか勝負したくな」

「透夜君、全力で応援しますね!」

「ふぁいとー」

「ファイトーどっちも頑張って」


 透夜は相変わらず戸鞠さんに弱いし、あまり素直じゃない。

 遠くから見ると、女子に囲まれて羨ましい光景だが、微笑ましい。


「保護者は見守り側。萩野間さんは?」


 絵本をそっと閉ざした。


「本を読みたかったので」

「そっか、えーと絵本が好きなの?」

「いえ、そういうわけじゃなくて」


 簡単な相槌のあと、絵本を棚に戻す。

 指先で背表紙をなぞり探す。


「年の離れた弟がいて、絵本のネタを探していました」

「弟さん、小さいんだ?」

「5歳になります。母の再婚相手の、連れ子です」


 一気に複雑さが増してきた。


「さ、再婚」

「好悪なく接してます」


 無感情、割り切り、いろんな見方ができる。


「それでもやっぱり家より、外の方が落ち着く?」


 萩野間さんは指先を止め、俺を静かな瞳で見つめた。


「ここは、落ち着きます」


 再婚相手と連れ子、どっちも遠慮しあうだろうし、何年あれば慣れるのか。不安定な年頃に降り掛かるストレスも計り知れない。


「確かに、いい場所に建てちゃって、戸鞠家は凄いな。はぁ、格差を感じる……」


 この別荘は常務の親が建てたか、ニューヨークにいるご夫人が購入したのかもしれない。

 

「最初、戸鞠さんの父親は与志也さんなのかと思っていました」

「え、えっ、ど、どうして?」


 いきなり核心めいたことを言い始めた。

 落ち着け、俺。まだ動揺しちゃいけない。


「戸鞠さんは普段家族のことを話しません。大体友人のこと、五十嵐君のことです。ここ最近になってから父親のことを話すようになりました。戸鞠さんの言動からイメージできる人物は、実際に会った人物と大きくかけ離れていました。第一にイケメンでしたし」


 ぐっ!! 最後の一言が余計過ぎる。

 社会的地位も、顔面偏差値も、身長の差も、あのムカつくぐらい落ち着いた態度も、全然違うのは分かってる。

 でも残念だったな、常務、どうやら戸鞠さんは俺を理想のお父さんと思ってくれているらしい。

 このマウントが、精神を安定させてくれる。

 萩野間さんの容赦ない言葉だって、本の角でみぞおちを突かれた程度の痛さだ。


「思っていたより聡明な方で、さすがの私も驚きました」

「ぐぅぅぅっ! ね、ねぇ、萩野間さん、俺ってどんなイメージ?」


 大きく変動しない真面目な表情で考え込む。


「温かい人」


 短い、けど擽ったい感じ。


「え、そ、そう?」

「はい」

「あのー他には?」

「…………」

「あれっ」

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