書斎の鍵

 欠けたものは、愛情不足か。

 けど俺は彼女たちの父親になれない、あくまで別荘にいる間の保護者として気に掛ける程度。


「じゃあ課金やめる」


 呆気ないほど簡単に言う。

 八百原さんはスマホをポケットに入れて、両手を空にする。


「やめたら、もう終わり?」


 ニヤリ、と笑ってくる。

 不足を補う要素を欲しがるような目つき。

 その傍ら、斎藤さんは、戸鞠さんの耳を包み塞いだ。


「未來、この話は一旦終わり」

「うぃー」


 ソファに再び寝転んだ八百原さん。

 何事もなかったように、解散してしまう。

 解放された戸鞠さんは傾げつつも、立ち去るついでと斎藤さんに頬をつつかれ、微笑む。


「あの五十嵐さん、顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ、平気。なんでもない、そろそろ俺も仕事に戻らないと……またあとで」

「はい、お仕事頑張ってください」


 平静を装い、ゆっくり階段を上がっていくが、彼女たちの言葉が引っ掛かる。

 なんか、重くない? 保護者としてどこまで接したらいいんだ。

 仕事どころじゃない、愛情に飢えている子たちばかりで、正直、分からない。

 リモート部屋に戻るつもりが、書斎に目がいってしまう。


『書斎は智里が使っていた時のまま遺してありますので』


 たった1年、物心もつかない娘の記憶に残るぐらい愛情を注いだんだ。

 智里の死を受け入れなきゃいけないのは酷だが……彼女たち、いや、何より透夜と戸鞠さんと正面から向き合うヒントを得る為だ。

 呼吸を整え、取っ手を握ってみたが、微動だにしない。


「あれ」


 鍵がかかってる。

 リーナさんなら知ってるか……。

 そもそもどこにいるんだか、全然姿を見ない。

 管理室があるわけじゃないしなぁ。

 とりあえず玄関に行くか、俯いたまま脚を動かした。

 細い靴先が視界に映る。

 動きやすいパンツスタイルに、真っ直ぐに伸ばした背筋、手相を見せるように差し出してきた掌に、小さな鍵。

 ハッキリとした顔立ちで、素朴だけで言い表せないほどの美人ハーフが立っていた。


「うぁっ……ども」

「こちら書斎の鍵となります」

「あ、あぁタイミング良いっすね」

「いえ偶然です。入った後、出た後、しっかり施錠をお願いします。くれぐれもかなえさんには見せないように、気を付けてください」

「は、はい。あの、智里のことは、どこまで?」

「申し訳ございません、一度も」

「そっか、ありがとうございます」


 失礼します、と一礼して立ち去っていく。

 び、びっくりしたぁ、偶然じゃなかっただろ、絶対。

 常務に動きを全部読まれているような気がして、やだな。

 とにかく、気を取り直そう、もう一度呼吸を整えた。

 鍵穴に差し込んで、ゆっくり捻る。

 開いた金属の音、周りに誰もいないことを確認してから取っ手を引く。

 中は当然のように暗い……。

 一歩を踏み込むと、オートで照明がついた。

 扉をしっかり閉ざし、鍵をかける。

 半畳程度の狭さにテーブルと本棚、テレビとDVDプレーヤーがある。

 本棚には、アルバムが詰め込まれ、日付も丁寧に記載されていた。

 俺と智里が離婚して、数日後から始まっている。

 最初のアルバムを手に取ってみる。

 1ページから智里の写真集だ。

 別荘の玄関前から海辺まで、しばらく続く智里の静かな微笑み。

 少し丸みのある輪郭に、ふんわりとした黒髪、華奢な体。

 ページをめくっていくと、どんどんお腹が膨らんでいる。

 お腹に耳を当て、瞼と閉ざす男の子が写っていた。手書きで丸く『琉夏』と書いてあって、多分常務の息子だろう。

 この筆跡は、智里だ。

 25冊目くらいでようやく、赤ん坊とツーショットが現れた。

 常務の本気度が伝わってきて増々気持ち悪い。


『かなえ』


 智里の字。

 ずっとここから戸鞠さんとのツーショットが続く。

 神奈川の海辺で、赤ん坊の戸鞠さんを抱っこしながら佇む智里。

 海が懐かしいと感じたのは、間違いなく、こういうことなんだろう。

 夕日に照らされた横顔を指先でなぞる。

 どの写真も、戸鞠さんをじっと慈愛に満ちた表情で見つめている。

 最後のページ部分が硬く、めくってみると、円盤型のディスクが挟まっていた。


「……」


 このためのプレーヤーか……――。

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