埋めたい欲求

 萩野間さんの意図が全く分からない。

 女子高生に名前呼びを許し、挙句に心を揺さぶられてしまうとは、なんて情けないことだろう。

 戸鞠常務取締役(面倒だから常務と呼んでる)、これが俺に対する復讐なのか。


「失礼ですね、そんなことまで考えてません」

「じゃあなんだってこんなことを」


 これから会社に戻る常務を恨めしく睨んでいると、呆れられてしまう。


「彼女達は、どこかしら欠けています。普段の生活ではどうしても埋められない空白があるんです」

「埋められない空白ぅ?」

「はい。この夏休みの間、保護者として交流を深めてあげてください。それでは、また5日後」


 爽やかな笑顔と渋い声を残し、ベンツに乗って職場に戻っていく常務。

 くそーあいつ、マジでなんなんだ……。

 別荘の入り口まで戻ると、戸鞠さんと透夜が並んで立っていた。

 どうやら待っていたみたいで、戸鞠さんが寄ってくる。


「戸鞠さん、見送りしなくてよかったの?」

「そ、そうなんですけど、どうしても緊張と不安が先走ってしまって、慣れません。父は、今度いつ来るのか言ってましたか?」

「5日後だって」


 気合を入れて、握りこぶしを胸に寄せた戸鞠さん。


「わ、私、念願の、父と一緒に寝る、をこの夏休みの間に達成してみせます!」


 過激だ。

 年頃の高校生が父親と一緒に寝たいって、どれだけ愛情に飢えてるのか。

 どうやって育てたら、反抗期すら知らない純粋な子になるんだ。


「そーなんだ、お、応援してるよ」


 後方腕組の透夜は、俺を哀れむ眼差しで見つめてくる。

 くそぉ、よく知らない少女達よりも透夜との関係性をなんとかしたい――。





――リビングでもゲストルームでも神奈川の海を眺めることができる、波もよく聴こえる。

 2階書斎の隣室、部屋が余って使われていない空き室。

 普段と違う環境でリモートができるとは……。

 ただ、慣れないこともあって、上司に時々連絡をしてしまう。


『松島さんとこの常務取締役にどんなコネを使ったんだ? まさか引き抜きなんてことないよな?』 


 予想していた冗談交じりの台詞。

 苦笑いと愛想を織り込んで、返しておいた。

 そうなるよな、ずっと今までリモートをしてこなかった奴が、取引先の常務取締役を通じてリモートしだすなんて、噂にもなる。

 今まで無難にやり過ごしてきた職場に、行きたくないな。


「……はぁー」


 思わず漏れた溜息のあと、ノックが聞こえた。


「はい、どうぞー」


 戸鞠さんかな。

 開いた扉に顔を向けると、入ってきたのは斎藤さんだった。

 強気を張り付けた整った顔立ちと、モデルみたく歩く少女。

 ひらひらのシャツと太ももを露出した白のショートパンツ。

 こちらをジッと強く見つめているが、睨んでいるわけじゃなさそう。


「斎藤さん、えーどうかした?」

「邪魔だったら、出るわ」

「え、いや、何か俺に用事だった?」

「話をしに」


 指先にねじり編みした茶髪を絡ませ、俯きながら短い言葉をポツリ。

 まだ仕事が残ってるけど……んー話ぐらいならいいか。

 保護者として交流はしないと。


「どうぞどうぞ、座って」


 イスに座るよう促し、斎藤さんは俺の隣にゆっくり腰かける。

 改めてかなりハイクラスな顔立ちだと思う。

 容姿端麗が良く似合うスタイルと横顔だ。

 

「……」


 話をしにきたはずなのに、話題の提供はなく、沈黙が続く。

 一体どうしたいんだか……。


「斎藤さんは戸鞠さんと同じクラスだっけ?」

「え、えぇ、そう、同じクラス、1年から続けて同じクラス」

「へぇ、戸鞠さんと透夜のことで心配してたけど、仲良いんだ?」

「だって、かなえは人のこと疑わないのよ、純粋で危なっかしいじゃない! アタシだって心配ぐらいしますけど!」


 いきなり前のめりで早口になるからびっくりした。


「あ、あーうん。仲良いんだなってことがよく伝わるよ」

「心配してるだけ! だけだから!」


 そこまで否定しなくてもいいだろうに。


「そっか、心配してくれるんだから戸鞠さんも嬉しいと思うよ」

「そうでしょう! かなえは誰にでもありがとうって言えるし、否定しない、可愛いし、周りが霞んでしまうくらい優しいのよ!」


 自信たっぷりな笑顔を浮かべる斎藤さん。

 戸鞠さんはみんなに好かれているんだな、ちょっぴり、いやだいぶと嬉しい気分になる。

 つられて笑ってしまった。


「間違いない。でも透夜も、負けないぐらい良い子で、戸鞠さんに一途な自慢の息子なんだ。斎藤さんが良ければでいい、仲良くしてあげてほしい」

「えぇ、でもそれはアタシ自身の目で確かめたいの。少しでもかなえを傷つけるようならアタシ達が許さないわ」

「その時は容赦なくて言ってやって。俺じゃダメだから」

「ふーん、どうして、父親なんでしょ?」

「まぁー色々あるんだよ……親子って」


 傾げる斎藤さん。

 さすがに五十嵐家のことをべらべら話すわけにもいかない。

 少しだけ考え事をするように目を逸らした斎藤さんは、うん、と頷いた。


「ねぇ、五十嵐さん」

「ん?」

「アタシ、邪魔じゃなかった?」


 胸に手を添え、真剣な表情で俺を真っ直ぐ見つめる。

 気にする素振りを見せない態度と自信に溢れた口調なのに、どこか不安な目元。


「色々話ができて良かった、ってぐらいだけど」

「本当に?」

「え、うん。頑張って作ってくれた朝食も美味しかったし、色々みんなのことを知れて嬉しいよ」


 斎藤さんは、ジッと見つめたあと、「ふぅ」と息を吐く。

 再び自信に満ち溢れた笑顔を浮かべた。


「良かった! なら、五十嵐さん、夏休みの間、ここにいる時だけでいいから、パパって呼ぶわ!」

「え、えっ?」


 性犯罪予備軍の仲間入りかな……――。

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