まさかの誘い

「あのさ」


 洗面台で寝不足気味な顔を洗っていると、透夜が声をかけてきた。

 あまりにも珍し過ぎて、蛇口の栓を止めるつもりが全開にさせてしまう。


「おぁっ?!」


 勢いよく弾けまくる水に、シャツどころか辺りを濡らす。

 急いで止めたが、床までべしょぬれに……妻に見つかったらぶっ飛ばされる。


「うわっなにやってんだよ……」

「悪い悪い、ちょっと驚いて」


 だって、透夜から声をかけられたら、動揺するじゃんか。

 タオルで床を拭き、洗濯カゴに投げ入れた。


「それで、どうした?」


 改めて透夜を見ると寝ぐせはひどいし、なんか目に覇気がない。

 ここまでぐしゃぐしゃな息子は、幼稚園以来だ。


「……行かない?」

「うん、なんだ、もう一度言ってくれ」


 声も少し掠れ気味。

 俯く透夜は溜息をついて、苦い顔で睨んでくるが、弱い。


「っーだ、だから、キャンプ、行かない?」



「お……ぁ……行く」







 頭にビッグバンが起きたと言っても過言ではない。

 まさか息子から誘われるなんて永遠にないって思ってたもん。

 キャンプと言っても、


『デイキャンプ』


 らしい。

 町から1時間以上かけた場所にある森林公園にキャンプ場があるという。

 キャンプ道具なんて持っていない。

 というわけで本日はデイキャンプに向けてまず最寄りのホームセンターで道具を買う予定。


「よろしくお願いします」

「お願い」


 ふんわりとした首元までの黒髪と、錨のシルバーペンダント。

 少し丸みがある輪郭と華奢な体、今に折れそうな細い腕にレザーバッグを抱えている。

 戸鞠かなえさんが、普通にいるじゃないか。

 ちなみに今日は長めのスカートに薄手のカーディガンと黒いインナー。


「えーと?」

「かなえも一緒に、キャンプに連れていってもいい?」


 戸鞠さんをここに呼ぶ前に確認してほしかったが……まぁ、透夜がいいなら、いっか。


「ん、あぁ、全然問題ないよ。よし、じゃあ今日は買い出しな。来週のデイキャンプに向けて道具を買うぞ」

「はい!」

「……うん」


 後部座席に並んだ2人をミラー越しに覗く。


「透夜君、眠たそうですね。睡眠不足ですか?」

「あーちょっと、ね。あとで抱き枕して」


 抱き枕ってなんだ……戸鞠さんを言葉通り抱いたまま寝るのか、それとも、新しい隠語なのか。

 淫猥な妄想が脳内からだだ漏れになる。

 お前らは……いや、いいんだよ、別に。


「はい!」


 いつもやってんの? どんな風に? めちゃくちゃ気になるんだけど……――。

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