変わらぬ日常を
「ただいまー、ごめん遅くなって……はっ?!」
妻が驚く、無理もない。
リビングで息子の彼女が作ってくれた肉じゃがを囲んで食べている男3人がいるんだから、そのうち1人は妻と初対面の戸鞠常務取締役だ。
「おかえり、ごめん、先に食べてる。戸鞠さんが、肉じゃがをご馳走してくれたんだ」
「お邪魔しています」
「……おかえり、母さん」
「どうも、かなえの父、戸鞠幸太郎と申します。いつも娘がお世話になっています」
席を立って、丁寧にお辞儀をする常務。
少し前、「最低な人間に等しい」なんて言っていたが、優しい笑みを浮かべてなんてことない顔だ。
「え、あ、どうも初めまして透夜の母です。こちらこそ透夜がいつもお世話になっています。あのさ、今日って何か重要な集まりだったの?」
「いやぁ、なんか勢いでこうなった」
そう答えるしかない。
「ご馳走様。美味しかった、ありがと」
透夜は味わう気がないのか急いで平らげ、皿洗いに行こうとする。
「透夜君、洗いますよ」
「いいよ、自分の分は自分でする、ことになってる」
お言葉に甘える気もなく、いつも通り。
戸鞠さんを横切り、さっさと洗い終えると部屋に戻ってしまう。
「そろそろ僕らも帰らないとね。少し、父親同士でお話させていただきました。奥様、今後ともよろしくお願いいたします」
思ってもないことを……――。
「美味しい……」
妻は戸鞠さんの手料理に驚いている。
「だな」
相槌を打ちつつ、内心味どころではなかった。
そりゃ美味しいと思ったけど、智里と俺の子ども、っていうことがちらついて集中できなかったんだ。
まだ全然落ち着いてないけど、そっと肉じゃがに箸を伸ばしてみる。
「アンタもう食べたじゃん」
箸は空を挟んだ。
「いやちょっと一口ぐらい」
「ダメ」
「透夜と常務がほとんど食っちゃったしさぁ」
「ダメ、今日仕事でレジやら接客やらで走り回って大変だったんだから、お腹空きすぎて死にそう。ご飯作らなくて済んだし、びっくりしたけど戸鞠さんに感謝しなきゃ」
「……そうだな。お疲れ様」
智里と俺の子どもだって知ったら、怒るんだろうか? 悲しむか?
透夜に知らせるのも、まだできない。
ハッキリとした答えが無ければ、戸鞠常務は納得してくれない。
智里なりの愛を今さら知らされたうえ、なんの因果か2人が惹かれ合ってしまうなんて……俺への罰なんだろうか。
「洗濯物、ちゃんと畳んでくれたんだね」
「ん、あぁ、なんとか」
戸鞠さんがほとんど畳んでくれたけどな。
「やるじゃん。ありがとう」
「どうも」
笑顔を見せる妻に、うまく笑みを返せない。
「あのさ、戸鞠さんのことだけど」
俯きながら、途中まで零す。
「戸鞠さん?」
「あぁ……透夜と別れるなんてあり得ないよな?」
訝し気に俺を睨んでくる。
「それってどういう意味よ、結局あの人に未練あるわけ?」
「そうじゃない、俺の感情は今関係ない。2人のことだ、きっとこの先もずっと一緒にいて、結婚とかもあるのかなって」
「あるでしょ。あの錨のペンダント、一緒に探してたんだってさ」
ペンダント……。
「繋ぎとめていたいとか、切れない絆とか、そういう意味」
「切れない絆」
「そう。だから、別れない」
「そっか……そうだよな」
微かな安心感と、重く圧し掛かる後悔が、交互に寄ってくる。
遠のいた皿が俺の方に寄ってきた。
残った戸鞠さんお手製の肉じゃが。
「お腹いっぱいになったから」
「……ありがとう」
軟らかく、味がしみ込んだじゃがいもと、牛肉を食べた。
しっかりと甘辛さが伝わってきて、温かくて、
「美味い……」
二度目なのに、俺はようやく口にした――。
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