戸鞠さんアタック

「ごちそうさま……」


 夕食を食べ終えたと思えば、ゆっくりする暇もなく皿洗い。

 これは、妻の教育の賜物なんだろう。

 テキパキ動いて、すぐ2階に上がっていく。


「もしかして、怒ってるのか?」

「前からあんな感じ、でも、この前のこと、気に入らなかったみたい」

「えぇ……謝った方がいいのか、これ」

「謝罪より、距離を考えて」


 分かってるけど、不可抗力だ。


「まぁ、うん、一応気を付ける」

「いちおう?」

「気を付けます」


 透夜のあの睨みつけは、しっかり母親から受け継いだな。

 夕食を終えた俺はソファに腰かけ、妻は後片付け。

 テレビから流れるニュースもバラエティーも、興味の引く内容はない。

 はぁー明日そういや定例会議か……早く寝ようかな、それとも1杯だけビール飲もうかな。

 悩んでいると、


「お酒買ってきてないから」


 超能力者か? 見事に嗜好品を楽しむ選択肢を砕かれてしまう。

 ないと言われてしまうと、無性に飲みたくなってくる。

 キンキンに冷えた缶、開くと弾ける炭酸と香り、黄金が喉を通り、体中を冷やすあの爽快感を味わえないのか。


「あのさ、コンビニ」

「ついでにアイスコーヒー買ってきて」


 許可が下りたので、早速財布とスマホを持ってサンダルで向かうことにした。

 薄っすら暗くなった時間帯、最寄りのコンビニまで歩く。


 犬の散歩を終えたばかりのおばあさんに挨拶。


 部活を終えて帰る途中の、息子の同級生とすれ違い様に挨拶。


 コンビニに到着する。

 仕事終わりの車から配達中のトラックまで駐車している間を抜け、軽快な音が鳴る自動ドアをくぐった。

 雑誌コーナーから通り、飲料コーナーの奥にある冷蔵庫に手を伸ばす。


「こんばんは」


 細い可愛らしい声が隣から聞こえた。

 あれ、この声……缶ビールを掴んだまま、すぐに隣を見る。

 首元まで伸びたふんわりとした黒髪に少し丸みがある輪郭、曇りのない瞳と目が合う。


「え、あっ」


 気を付けますって、かなり難しいんだよ。


「奇遇、ですね」

「こんばんは……奇遇、だね。門限は、どうしたの?」

「迎えが少し遅れているのでコンビニで待っています。この前はありがとうございました」

「いや、いいよ。あの後、大丈夫だった? なんか言われなかった?」


 戸鞠さんは素直という言葉がよく似合う笑顔で頷く。


「はい、とっても親切で、私には勿体ない方です」


 息子にはもったいない、気がする。


「そっかそっか。じゃあ、気を付けてね」


 早く帰ろう、これ以上関わらないように気を付けないと、面影がどんどん濃くなってきた。


「あ、あのっ」


 呼び止められてしまう。

 無視、するべきか? したら、傷つくんじゃないか?

 2、3歩進んだのに、つま先が勝手に踏ん張る。


「ど、どうかした?」

「えと、えと、少しご相談があります」

「えー……あー、透夜に」

「透夜君じゃダメなんです」


 そんな真っ直ぐ切り捨てなくても……。


「私の、父のことでご相談が。えと、連絡先、交換していただけませんか?」


 スマホをぐいぐい持ってくる、顔に近づけようとするな。 

 なにこの子、透夜と妻の睨みが超余裕で脳内に再生されるんだけど。


「迷惑なのは承知しています。ですが父と、その、うまくお話ができないんです」


 それは俺も同じだよ。息子とどうすれば上手く話せるか悩んでる。


「えぇとつまり、俺を練習台にしようとしてるの?」

「いえ、相談に乗って頂きたくて、なんとか父の気持ちを知りたいんです。お願いします、アドバイスをください」

「え、えぇーあーそういわれてもなぁ」

「お願いしますお願いします、他に頼れる方がいないんです」


 商品棚に入れている店員の眼差しがとても痛い、もう刺してくる勢い。

 このまま押し問答している方がどんどんヤバい状況になるのではないか、と。


「わ、分かったから、交換するから、落ち着いて」


 なに言ってるんだ、なんで断る言葉を選ばないんだ、俺は。

 スマホの友だちリストに、新しいアイコンが出る。

 ID交換をしたあとの戸鞠さんは、少しだけホッとした表情を浮かべる。

 こっちは不安しかない。


「初めて年上の方と交換しましたっ」


 犯罪に発展しないことを祈るばかりだ。

 でも、綻んだ戸鞠さんの表情も、見れば見るほど、彼女に似ている。


「……俺も初めてだよ、透夜ぐらいの子と交換したの。まぁ、アドバイスだけだからね、普通の相談事は透夜にしてあげて」

「はい、もちろんです。これ以上のご迷惑はかけません」

「そう、だね」

「あ、迎えが来たみたいです。それではすみません、失礼いたします」


 駐車場に眩しいライトと角ばった高級車のシルエットが見えた。

 父親だろうか、それとも親が常務クラスとなると使用人でも雇えるようになるんだろうか。

 戸鞠さんは丁寧にお辞儀をして、軽快な音と共に出ていく。

 どうすんだよ……連絡先交換しちゃったんだけど……妻にスマホの中身を見られたことないけど、見つかったら、どう説明すればいいんだ?

 せっかく手に取ったビールを飲む気分じゃなくなった。

 冷蔵の商品棚に戻し、炭酸系のジュースを取る。

 アイスコーヒーもしっかり購入して帰ることにした――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る