第20話 悪魔の炎


 蛇のよう、あるいは鳥類のように長い首を前後にS字にくねらせる。コブラの威嚇、あるいはこれから噛みつくための溜めのようにも見えるが、彼我の距離はまだ随分と遠い。飛翔して噛みつくつもりか? だがそんなテレフォンパンチに当たってやるわけにもいかない。


 慎重に相手の様子を見守っていると、奴の口元で赤い何かがチロチロとしているのが見えた。一瞬舌かと思ったがそうではない。さきほどちらりとみえた、内臓っぽいピンク色のそれではなく、もっと根源的な意味での赤色。


 そう、焚火の火の粉のような。


「……ガァ!!」


 飛竜が噛みつくように首を伸ばし、大きく口が開いた。その咥内で一瞬ピンク色に何かが光ったかと思うと、真っ赤に燃え盛る炎が視界を覆うように燃え広がった。


 ブレス攻撃、いや火炎放射か。20m前後の彼我の距離などあってないようなものだった。


「グァア!?」


 真正面から襲い掛かってくる炎に顔を庇いながら後退する。じゅう、と肌の焼ける音、鱗の焦げる音に半ばパニックになりながら距離を取る。ダメージ以上に心理的な恐怖から私は冷静さを失っていた。


 そこを飛竜は見逃さなかった。炎に炙られて後退する私の隙をついて素早く飛び上がり、側面に回り込んでくる。気が付いた時には上空から脚爪が降り注ぐまさにその瞬間だった。


 ザシュ、と脚爪が肉を裂く。


 左背中に深々と血の筋が描かれた。激痛と怒りに炎に巻かれてパニックになっていた頭が覚める。


 首を巡らせて反撃で噛みつくが、飛竜は深追いせず素早く飛び上がり私の追撃をかわした。さらに再び口を開き、炎を浴びせかけてくる。咄嗟に顔を庇っている間に飛竜は素早く飛び去り、反撃の届かない高度まで上昇してしまう。


「グォオオ!」


 雄たけびを上げるが、飛竜に応じる様子はない。まるで鳶のように私の頭上を旋回しながら、こちらの隙を伺っている。その口元が再び光を生じ、炎を浴びせかけてくる。


 空中の奴と私では距離があるので比較的マシとはいえ、ジリジリと肌を焼かれるのは苦痛極まりない。さらに視界を妨害されて奴の姿を見失う。


 頭上から風切り音を感じ、咄嗟にその場を飛び退る。直後、急降下してきた飛竜の鉤爪が一瞬前まで私の頸動脈があった場所を切り裂いた。空振りの隙をついて飛び掛かろうとするが、迎撃で放たれる炎にまかれて慌てて後退する羽目になり、ついうっかり背後の建物を押しつぶしてしまった。その間に再び飛竜は飛翔し、私の手の届かない場所にいってしまう。


 徹底したヒット&アウェイ。どうやら持久戦が得意なのはあちら側だったようだ。このまま炎で私の動きを抑えつつ、私の疲弊を狙うつもりか。


 私は背中に深々と刻まれた傷跡に目を向ける。今もドクドクと血を流す深い傷。スピノサウルスの体躯からすれば重症ではないが、かといって軽傷でもない。飛竜の攻撃に対応して動き回っているかぎり傷口はなかなか塞がらないだろう。出血死とはいかなくとも、血が足りなくなって動けなくなるのは時間の問題だ。


 残された時間はあまり長くなさそうだ。


 飛翔する飛竜に視線を戻しつつ思考する。動物的な反射にまかせて勝てる相手ではない。まずは相手を理解しなければ。


 一番の問題は口から吐いてくる炎だ。まあ飛竜が火を吐くのは前世の考えでいえば別に不思議な話ではないのかもしれないが、それはそれとして厄介すぎる。


 あの炎をまずどうにかしないと勝ち目はない。


 しかし、それとは別に納得いかないものがある、やはり生物として不自然だ。魚を焼いて食べる事が出来た以上、この世界の動物もまた肉体がタンパク質で構成されているのは明白。そしてタンパク質は熱に弱い。その変質は不可逆的なものであり、自ら炎を吐いたりなんかすればまず真っ先に自分がバーベキューになる。


 勿論、創作の世界でもそういった問題はしばしばネタとして考慮され、様々な対応策が考案された。不燃性の粘液で気管を覆う、尋常ならざる再生力で焼けた端から再生する、等々。だがあの飛竜は恐らくそのどちらでもないし、肉体的に火炎放射に耐えられる造りであるようにも見えない。


 恐らく秘密は、火炎放射を本格的に放つ寸前、喉の奥に見えた光だ。ブレスの炎の赤とは違う、ピンク色がかった発光現象。


 どうしても気になる。直接勝利には結びつかないかもしれないが、あの秘密を無視してはいけない、と直感が訴えかけてくる。


 再び急降下してくる飛竜が炎をあびせかけてくる。私は後退して炎の範囲から逃れるが、こちらの対応を見て飛竜は追撃せず再び上昇する。手慣れているというか、焦りが無い。恐らく以前にもこうやって対等の大型獣を仕留めた事があるのだろう。奴にとっての必勝パターンにはまってしまっている気がする。


 このままではなおさら不味い。


 なんとかして炎を防ぎつつ距離を詰める手段がないだろうか。飛翔する奴に近づく手段はなんとかなりそうだから、とにかく炎だ。あれをなんとかしないと。


 私は旋回する飛竜を視界に収めつつ、街並みに目をむけた。


 もともと荒らされていた街は、二大怪物の激突によってますます荒れ果てていた。一部区画はぐしゃぐしゃに粉砕されて見る影もない。廃墟から逃げ出す霊長達の人影がちらりと見えて心が痛むが、しかし今は他に目を向ける必要がある。


 霊長達の体はホモサピエンスと比べても酷く小さい。それゆえ、立ち並ぶ建物も前世のそれにくらべれば小さめなのだが、それでもミニチュアハウスという訳ではない。ところどころ、大きな木を切り出したであろう柱、看板、そういったものを備えている建物もある。


 その中の一つ。飛竜の炎で延焼しつつある大きな建物があった。この世界の文字はさっぱりわからないのだが、どうやら総合商店のようなものらしい。大分繁盛していたらしく、店先には大きな看板がでている。何が書いてあるのか、この世界の文字はさっぱりわからないが、肝心なのはかかれている事ではない。


 大事なのが、その看板がスピノサウルスの体格からしてもギリギリ顔を隠せそうなサイズである事だ。


 慎重に飛竜との位置関係、距離を調整する。大事なのは城壁の位置と商店の位置。奴はこちらの狙いにはまだ気が付いておらず、再度攻撃のために旋回しつつ高度を落とし、まっすぐこっちに突っ込んでくる。火炎放射を放ってくるつもりのようだ。


「グルル……」


 それを見て、私はさも成す術なし、といった風に背を向けてひた走る。一見すれば諦めて逃亡したように見えるはずだ。そしてあの飛竜は見るからに性格が悪い、そうなれば喜々として追い回してくるだろう。


 案の定、まっすぐ私のあとを追ってくる飛竜。チラリとその姿を確認しながら、道すがら確認していた看板をもぎ取る。


 そしてまっすぐ向かうは、街を取り囲む城壁だ。私の体格でもひとっとびとはいかず、乗り越える際に動きが止まる。飛竜は恐らくそこを狙うつもりだろうが、私は勿論、この街を見捨てて逃げ出すつもりなどない。


 脚を速める。これからやろうとしているのは一発勝負だ、失敗は許されない。緊張で喉がひりついた。


 背後の飛竜との距離関係を再度確認する。いい感じだ。どうやら奴は私が城壁にひっかかった無様な所を追撃しようと、少し間合いをいつもより詰めてきている。振り返って反撃に応じても回避が間に合う絶妙な距離を維持しているあたり、最低限の警戒は失ってはいないようだが。


 城壁が目の前に迫る。ここまできたらやっぱ無し、は無理だ。


 あとはなるようになれ、だ。


「グォオオオゥ!」


 レンガを積み上げて作った防壁にむかって跳躍。飛び越えるのではなく壁を踏み台にするように、飛びついた勢いで両足を踏ん張る。そのまま体を捩じるようにして、再度跳躍。


 所謂、三角飛びだ。この巨体で出来るかどうかは怪しかったが、なんとかなった。


 眼前には、すぐ目の前に迫る飛竜の姿。慌てて翼を広げて急ブレーキをかけているようだが、今更回避は間に合わない。そして正面からもろにぶつかり合えば、体重が重く陸戦型の私の方に軍配があがるのは先ほど証明されている。


 ならば奴の取れる手段は一つ。


 かっ、と飛竜の顎が限界まで開かれる。喉の奥、気管に続く洞の中で何やらピンクの輝きが灯っているのを、今度ははっきりと詳細まで確認できる。


 何らかの器官がある……そう思っていた私の予想とは違っていた。奴の喉の奥は、ごく普通に舌とか咽頭とか、そういうのがあるだけだ。


 ただなにやらそれに加えて、幾何学的で有機的な文様の形を成してゆっくり回転している光の図形が浮かび上がっている。


 魔法陣。


 例えるなら、そう、それだ。それが飛竜の喉の奥でゆっくりと回転しながら、その中心に火種を生み出した。


 その火種が、吐息と交じり合って噴き出される。先ほどまでと違って明確な有効距離、まともに食らえば大火傷は免れられない。


 だから、私はとっさに掴んでいた看板を前に突き出して盾にした。


 私の全身を覆うような防御は望めないが、それでも一時的に炎に対する盾にはなる。何より、奴のブレスはただの炎、燃え広がる事はあっても、物理的に障害を破砕する力はない。看板が燃え上がり、爪先がジュッ、となるが、それでも飛竜に私が殴りかかるまでの数秒間、看板は立派に盾の役目を果たしてくれた。


 炎をつっきって向かってくる私の姿に飛竜が目を見開く。そのどてっぱらに、勢いのままに私はタックルをぶちかました。


 二匹とも抱き合うようにして地上に落ちる。巻き込まれてまた数件の建物が廃墟となった。


 のしかかるようにして飛竜の動きを抑えにかかる。が、飛竜も滅茶苦茶に暴れて抵抗する。前足で押え込もうとした私の顔を、翼の一撃が痛烈に打った。警戒していた通りの凄まじい衝撃が頭部を襲い、一瞬気が遠くなる。


 その隙をついて体の下から飛竜が這い出してしまう。急いで空に逃げようとするその尻尾に間一髪飛びつき、羽ばたく飛竜を引きずり戻す。


「グルォオオォッ!」


「ゴガアアアッ!」


 そのまま振り回して民家にたたきつける。衝撃で動きのとまった飛竜へ踏みつぶしでトドメを刺そうとするが、寸前で飛竜は横に転がって回避した。


 もともと破壊されていた廃墟が私の攻撃と飛竜の回避でさらに破壊され、無数の木片が飛び散り、屋内の調度品がなぎ倒されて食器が割れる音が響く。


 その中に紛れて、「ヒッ」という声を私は確かに聞いた、


 反射的に視線が向く。


 破壊された事で剥き出しになった室内に、一人の霊長が縮こまって恐怖に染まった目でこちらを見ていた。飛竜が暴れだし家の奥に籠っていたのだろう。目の前で繰り広げられる怪物同士の戦いに腰が竦んで逃げ出せないようだ。


 しまった、考えてみれば当たり前の事だ。


 頭に血が上りすぎていたか、闘争本能に引きずられすぎたか。


 うっかり周辺への被害を度外視しすぎた。本当に申し訳ない。


 謝ってすむ問題でもないが、あとで誠心誠意謝罪しよう。今は被害の拡大を抑えるのが先だ。


「グルルル……」


 視線を逸らしたのは一瞬の事。とにかく飛竜を仕留めるのが最優先と視線を戻した私の目の前で、仰向けに転がっていた飛竜が首をもたげた。その口元が引き攣るように持ち上がる。


 にたり。


 例えるなら、そんな感じの嫌らしい笑み。その視線は、私ではなく屋内に隠れ潜んでいた霊長に向けられている。


 阻みに入る暇もなかった。奴は蛇のように鋭く首を伸ばし、霊長を素早く咥えると、私の目の前で見せつけるように宙づりにした。


「ヒ、ヒィイイイ……!」


「グルル……?!」


 しまった。性格が悪そうな奴だとは思っていたが、ここまでとは。


 私がオルタレーネを助けに入った所を見ていたのか。私が少なくとも現地住民と敵対するつもりがないという事を、こいつはどうやら把握していたらしい。そして、住民が人質として機能するという事を、今の一瞬で把握した。


 思っていた以上に知性が高いというか、タチが悪いぞこの飛竜。性根が腐ってやがる。


 そして困ったことに、この人質というのは私には実に有効な手段だと認めざるを得ない。


「グ、グルルウ」


 判断しかねて攻め手を止めてしまう。


 勿論理屈では、飛竜を好きなようにさせればこの一人どころか際限なく被害が拡大してしまうし、残念ながら私自身の命と引き換えにできるような人質でもない。テロリストの排除と同じ理屈で、最小限の犠牲は許容し速やかに鎮圧するのが最適解、それは分かっている。


 だが、別に訓練を受けた兵士でもない私に、犠牲を踏み倒す選択肢は即断できなかった。頭ではそうするべきとわかっていても、これまで育んだ道徳観と倫理観が牙を止めてしまう。


 そんな私の逡巡を見透かしたように、飛竜は素早く次の手段に切り替えた。


 軽く首のスナップをきかせて、人質を投擲する。小さな体が、小石のように宙を舞った。


「ヒィィイイイアアア……?!」


 か細く消える悲鳴。この世界の霊長の身体能力がどれほどか知らないが、いきなり放り投げられ受け身も取れずあの高さで、無事に済むとは思えない。


 そう考えた瞬間、体が動いていた。


 集中のあまりゆっくりに感じる時間の中で、ぐるぐる回りながら放物線を描く青い犬のような姿を追いかける。


 落下する小さな体と相対速度を合わせ、衣服を甘噛みするように首をのばす。そのままだと首がしまってしまうので、軽く落とすようにして勢いを殺さねばならない、やれるか? いや、やるまでだ。


 人間だった頃なら運動音痴の私には到底できもしない芸当だが、しかしこの肉体のスペックならば。


 はみ、とダブついた服を咥え込む。速度調整が足りなかったらしくビリ、と服が破ける音がして一瞬肝が冷えたが、そのまま服が千切れて地面に落下、という事にはならなかった。脱力した状態でぷらぷらと手足を揺らす彼を、ゆっくり丁寧に地面に降ろす。


「ハ、ハワァ……」


「グルルル……」


 地面に手をついたまま立ち上がれない様子だが、怪我はないようだ。彼の無事を確認し、私はふぅ、と息を吐く。


 直後。


 側頭部から襲ってきたすさまじい衝撃に、私の意識は抵抗する暇もなくブラックアウトした。


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