第19話 確たる理由がなくとも


 悠々と空を舞う、常識外の怪物。その姿を目の当たりにして、情けないことに心の中に臆病風が吹いた。


 いくらこの体が恐竜時代最大級の体躯をもった肉食恐竜とはいっても、物理法則を超越した存在ではない、多分。文字通り空想の世界から飛び出してきたような理不尽の極みみたいな怪物に喧嘩をうって無事で済むとは思えない。


 勇気と無謀は違う。勝ち目のない戦いに、理由もなく挑むのはただの馬鹿だ。


 やっぱり引き返そう……そう考えを改めた時だった。


 視界の隅で、見覚えのある金色がきらりと光った気がした。


 目を凝らす。


 飛竜ばかりに気を取られていたが、その足元に動いている人影がある。そもそも飛竜が地上におりてきたのはそれが理由か。


 一体何だろう。思考を挟まず、反射的にその詳細を確認する。


 息が止まった。


『あ、あっちにいきなさい……!』


 声を張り上げる、翼をもった金髪の少女。見慣れない侍女服を着ていてこの距離でも、はっきりとわかった。


 オルタレーネ。


 彼女は、傍目にもわかるほど顔を青くしながらも、必死に飛竜の前に立ちはだかっていた。その背後には、霊長達の子供と思わしき小さな毛玉が二つ。彼らを守っているのか。


 それを見下ろす飛竜。オルタレーネの威嚇がきいている様子は当然ない。


 何の感慨もなさそうに、いや、違う。


 翼と尾が、彼女らの逃走経路を阻むように回される。後ずさる三人を建物の壁際に追いつめるように飛竜がにじり寄っていく。その動きは、妙に動物的で、何を狙っているかは一目瞭然だった。


 まさか。


 ぺろり、と真っ赤な舌が歯茎を舐めた。その黄色い瞳は、好色そうな色を浮かべてオルタレーネを見ている。


 よせ。


 やめろ。


 飛竜が牙を剥き、裂けるように大口を開いた。まるで獲物にこれからの運命を思い知らせるような、やけにゆっくりとした動きだった。


 それを目の当たりにしたオルタレーネが覚悟を決めたかのように目を瞑り、両手を祈るように合わせて、小さく何ごとかをつぶやいた。


 その呟きを。どうしてか、私の耳は拾い上げた。


 拾い上げてしまったのだ。



「●◆●◆……スピノ◆……」



「…………G」


 躊躇とか。恐れとか。


 そんな思考を挟む余裕など無かった。


「uuuuuuUUUUUUOOOOOOOOOO!!」


 全身全霊を込めた、渾身の咆哮。


 その衝撃波によって周辺の空気が濁り、燃えていた家屋の炎が消し飛ぶ。石畳に衝撃波が走り、細かい罅が波紋のように広がっていった。


 はっとしたように、飛竜が顔をこちらに向けた。先ほどまで嗜虐の喜びに浸っていた瞳は、突然の脅威の出現に切り替えが間に合っていない。戸惑っている。


 その視線がこちらを捕らえ、縦に裂けた瞳孔がきゅっと細まる。


「ガアアッ!」


 石畳を割り砕きながら突進する。全速力の勢いを乗せて、牙をむいて飛竜に食らいつく。が、流石に距離が遠かった。私が到達するまでの数秒で飛竜は意識を切り替えたようで、素早く身を翻し私の噛みつきを身を捩って回避、そのまま羽ばたいて空中に離脱する。


 ばぁん! という羽音と共に一瞬で上昇する飛竜。あの体躯とそれに見合った重量でありながらなんという機動力。物理法則を無視するにも程がある。


 だが、間に合った。


 足元には、腰が抜けてしまったのか座り込むオルタレーネと子供二人。信じられない、といった顔で見上げてくる彼女に、小さくウィンクをする。


 さあ、早く。今の内に安全な場所に。


「……ヴォ、ヴォル……」


『! あ、ありがとうございます、スピノ様! ほら、君達、いまのうちに……!』


 オルタレーネが子供たちを励ましながらこの場を離れる。彼女達の姿が私の入れない建物の間の路地に消えていくのを確認しながら、私は上空を旋回する飛竜に視線を戻した。


 飛竜は私から十分距離を置いたまま降下、時計塔らしき建物の屋上に着地した。ガラガラとレンガ造りの建物を崩壊させながら翼で体を支えるようにして時計塔にしがみつき、私に視線を向ける。その瞳からはすでに強者の余裕は消えうせ、対等な、自分を脅かしうる敵への害意で満ちている。


 そうか。


 お前から見て、私は十分に強敵か。


「グォオオオオ!」


「ガァアアアア!」


 双方向かい合い、競うように雄たけびを上げる。ビリビリと気迫が体を震わせるが、今更威嚇程度で尻込みはしない。


 肚はくくった。あとはもう当たって砕けるまでである。


 私はふんすと気合をいれ、こちらに向かって飛翔する飛竜目掛けて突進する。


 飛竜に、コースをかえるつもりはないらしい。コースを維持したまま、まっすぐこっちに突っ込んでくる。それならそれで構わない、と私も正面からぶちかました。


 激突。


 双方、お互いに肩をぶつけ合わせるような姿勢で組み合ったまま停止する。互いの鱗が激突の衝撃で何枚か弾け飛び、しかし互いに譲らない。パワーにおいては、どちらかが一方的に有利という事はないようだ。


 飛翔によって稼いだ運動エネルギーを使い切ったのか、飛竜の推してくる力が僅かに弱まる。その瞬間を狙って首筋にかみつくが、間一髪で再び再飛翔によって回避される。


 厄介だ。あの巨体を瞬時に高速移動させる翼の飛翔力もそうだが、それだけのパワーを生み出す腕の力も侮れない。翼のたたきつけには注意が必要だ。


「ガァア!」


 頭上3mほど上まで退避した飛竜が、ぐるりとそこで体を捩じり、脚爪を突き出しながら急降下してくる。ハヤブサにもにた落下攻撃、鋭い爪が鈍く輝く。目を狙って繰り出されたその攻撃を、こちらもフットワークで回り込んで回避。周囲の建物をなぎ倒しながら、飛竜の側面に入り込む。


 隙あり。太ももに牙を立てて齧りついた。同時に前足で相手の足をホールドし、逃さまいと抑え込む。


「ガァア!?」


「グルルルゥ!」


 翼を羽ばたかせてこちらを振りほどこうとする飛竜。凄まじい力で揺さぶられるが、かといってそう易々と逃す訳にはいかない。スピノサウルスの咬合力はティラノサウルスほどではないが、代わりに捕らえた獲物を逃さないよう牙が鋭く発達している。それを鱗に食い込ませて脚にかじりついたまま離さない。


 このまま持久戦に持ち込めば、陸戦型で体重の重いこちらのほうが有利なはず。そう考えていた私の右目の視界に、何かが唸りを上げて振り回されるのが見えた。


 動物的な直感。背筋の泡立つ感覚にまかせて、とっさに牙を離して腕で顔をカバーする。その腕の上から、分厚く鋭い塊が凄まじい勢いで叩きつけられ、私はそのままガードの上から顔を殴られた。


 つんのめりつつも後ろ足で踏ん張り、状況を確認する。


 尾だ。


 最初に全体像を確認した時に見えた、棘棍棒のように先端が発達した飛竜の尾。それを巧みに使い、至近距離の私の顔を殴打してきた。


 忘れていた訳でも、警戒していなかった訳でもない。ただ遠心力で振り回すのであるならば、肉薄した至近距離では武器として使えないだろうと踏んでいたのだ。計算が狂った、あそこまで小器用に振り回せるとは。見た目以上に尾の可動域は柔らかいらしい。


 ちらりと右手のダメージを確認する。指は折れたりしていないだろうが、鋭い突起に穿たれ出血している。腕が仕えなくなるほどではないが、ダメージには違いない。


 飛竜は私を振りほどいたのを確認するとその場に一度着地し、素早く飛び上がって建物の上にあがった。かわらず素早い身のこなしだが、私が噛みついた左足にはしっかりと歯型が残り、血が流れている。ダメージ交換で言えばややあちらの方が多い、か。


「グルルル……」


 早い段階で機動力を奪っておきたかったが、そう簡単にはいかないようだ。


「ガァアアッ!」


 飛竜が吠えかけてくるのを無視して、じりじりと距離を詰める。それを見て取った飛竜は素早く建物の屋根を這いまわり、私を一定の距離に近づけない。


 だがそれではあちらも攻撃できまい。どうするつもりだ。


「……ヒュゥオオ……」


 相手の出方を伺っていると、飛竜が奇妙な呼吸と共に首をもたげた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る