第18話 凶翼来襲


 オルタレーネを人里に送り届けてから三日。


 それから私は何をするでもなく、ぼうっと過ごしていた。


 食事も適当。日がな一日、神殿の礼拝堂で這いつくばって時間をつぶしている。


 お腹があまりすく事はなかった。人間だったころの習慣で三食とっていたが、この体はどうやら思っていたよりもずっと燃費がよかったのかもしれない。


 それとも、あるいは。


 食欲が出ない、という奴だったのかもしれない。


「グォルル……」


 これはいけない、と思いつつも、どうにもならない。


 頭では分かっているのだ。目的もなく、生活の張り合いもなくダラダラ過ごしていたら、それこそ獣に急速退化してしまう。知恵も技術も必要に応じて育まれるものなのだ。何もしないでいたら、それこそ何もできなくなってしまう。


 それが分かっていてなお、どうにも動く気力がわいてこなかった。どうやら、一時生活を共にしただけで、私は随分とオルタレーネに心を許していたらしい。


 前の生でも一人でいた時間の方が長かったが、同じ人間、同じ言葉を話す相手が周囲に探せばいくらでもいる環境と、探しても同じ種族、同じ言葉を使う相手がいない状態で独りぼっちというのは、天と地ほどの差があると実感する。好んで孤独になっているのと、意図せず孤独になっている事の違いというか。


 そもそもおひとり様というのは高等貴族というか自由人である。好きな事を好きな時に出来る、恵まれた立場であり、困窮している訳でもない。それに比べて今は何もかもが不足している。やりたい事を好きに出来る、というのは変わらないようで、そのためにやらないといけない事があまりにも多すぎる。


 そんな事をぐだぐだと考える。いや、本当にこれは不味い。思索ばかりして体を動かさないのは劣化の証だ。


「グルルル……」


 オルタレーネ。彼女は今、どうしているだろうか?


 現地の住民に保護してもらったとはいえ、どうにも見る限りは種族が違う。見た目も違う。原住民が比較的温和な質であるのは間違いないのだが,それでも一緒に暮らすとなるとどうしても問題が生じるはずだ。


 いじめられてないかな。


 困ってないかな。


 そんな事ばかりが頭に浮かぶ。


「……ヴォ」


 のそりと重たい体を持ち上げる。


 とにかく、行動あるのみだ。あれこれ考えずに、まずは行動に移してみよう。


 その結果、何か不味い事になったとしても、ここでぼっとしているよりは意味があるはずだ。そもそも、彼女を助けたのは私だし、街に送り出したのも私だ。私には彼女が元気にやっているか確認する義務もあるはずだ。


 そう、義務。義務なら仕方ない。


 思い立ったが吉日。私はさっそく身を起こし、湖に繰り出した。



 いつもの木の所に向かったが、今日は見張りの姿は見えなかった。


 最近、しばらくここに来ていなかったからだろうか?


 あるいはその必要が無くなったか、だ。オルタレーネが現地住民と上手くやっているのなら、きっと私の事も伝えてくれたはず。少なくとも無暗に危害を加える存在ではないと分かれば、無暗に監視をよこして警戒させる事もない……そう考えるのもおかしな話ではない。


 いや、これは少し私に都合が良すぎる考えか。いくら危険性がないとオルタレーネが訴えても、現地住民からすれば体感30mの超巨大生物である私が、身近な所でうろうろしているというのはとても看過できる事ではない。危険性が無いという意見があっても、保険のために最低限の監視はよこすべきだろう。


 となると、ここに彼らが居ないのは偶然だろうか?


 あるいは、もしかすると。


 ……何かあったか?


「グルル……」


 少し心がざわつく。少しいつもと違うからと異変を疑うのはあまり健全ではないが、しかし、弱肉強食の掟が色濃くみえるこの世界、危険を見積もっておくのはそう悪い判断ではないはず。


 取り越し苦労だったならそれでいいのだ。


 私は周囲に警戒しつつ湖の畔に上がると、いつも監視者達が潜んでいる草叢を踏み越えて、そのまま先に進んだ。


 この先は丘陵になっており、湖からだとその向こうが見えなかった。先に進むのは初めての事だ、何があるのかはこれまで知らなかった。


 ノシノシと丘を踏み越えた私は、そして初めて、湖以外の遠景を目の当たりにした。


 緑。


 広がっていたのは、見渡す限りの草原だった。雨季のサバンナを思わせる、背の高い草が密集した緑色の絨毯が、どこまでもどこまでも広がっている。地平線には黒黒とした山脈らしき影があり、どうやら盆地のようになっているのが垣間見えた。


 風が吹くと草がそよそよと波打ち、まるで緑色の海のようだ。ところどころに点々と小さな藪や梢が点々としているのが岩礁のようにも見える。


 その中を、数本の街道が線を引いたように果てしなく伸びている。


 穏やかな光景だ。天気は快晴、草原に横たわり昼寝でもすればさぞ気持ちが良いだろう。


 だからこそ違和感があった。


 これだけ広い草原なのに、草を食む動物が一匹たりとていない。


「グルルル……」


 この世界の野生動物がどんなものかは知らないが、湖にいる魚やザリガニ、森のバケモノ熊を見るにそう生態系サイクルが現実のそれと違う事はないだろう。だとすれば、これだけ豊かに草が生い茂り、これだけ広い面積が確保されている草原に草食動物がいないという事があり得るのだろうか?


 空を見上げる。


 広い空には、鷲一匹見当たらない。……湖の上はどうだったか。時折、鳶っぽい影を見かけたような気がする。


 ふと、小鳥遊、という言葉が日本語にあったのを思い出す。小鳥が遊ぶ、すなわち天敵である鷹が居ない、だから小鳥遊と書いて鷹無しと読む。言葉遊びというか難読問題の一つだが、一度意味を覚えればこれほど覚えやすいものもないのでよく覚えている。


 これも同じ事というか、逆の事象が起きているのではないか、という考えが頭をよぎる。


 小鳥一匹いないのなら。それはつまり、恐ろしい天敵がこの地に居るという事になるのではないか。一瞬私自身の事かもしれないと思うが、考え直してそれはないと結論する。確かにこの肉体は、現地の動物にとって恐ろしい捕食者足りえるが、そもそもこの世界にもともと存在していなかった生命体だ。動物の本能で恐れる事はあっても、逃げ出すほどの脅威を覚えているとは考えづらい。


 となると、何か居るのだろうか。


 草原からウサギ一匹残らず逃げ出し、空からは小鳥一匹いなくなるほどの恐怖を振りまく何かが。


 首を巡らせて空を見回す。鳥までいなくなるというからには、空を飛ぶ何かであると考えたのだ。だが視界にそのような生物を見出す事はできず、探していたのと違うものを私は空に見出した。


 たなびく、一筋の黒煙。


 不吉を思わせるそれを目で追う。


 地平線というほど遠くない場所に、一つの街があった。頑丈な防壁に覆われ、外敵の存在を強く意識したと思われる街並み。黒煙はそこから立ち昇っている。みれば、小さな煙の筋は幾重にも空に立ち昇っており、その中でも一際大きな煙が、私の目についたもののようだった。


 その街がなんであるか。今更思索を巡らせるまでもあるまい。


 ぞわり、と背筋が泡立つ。


 脳裏にチラリと、オルタレーネの取り繕ったような笑顔がよぎった。


 一も二もなく駆け出す。


 草原を突っ切り、私は後先考えず、ただ燃える街へと急行した。


 土を草ごと蹴り上げ、街道も無視して最短距離をひた走る。スピノサウルスが地上でどれぐらいの速度で走れるかは知らないが、少なくとも苛立つほど遅い訳ではなくて助かった。


 近づくにつれ、街の様子が詳細に判別できる。


 大きな外壁に覆われた、ローマあたりの衛星都市……ポリスだったか? とにかくそんな感じの、さして広くはないが防備のしっかりした街のようだ。外壁はレンガか何かを積み上げた上に泥を塗りたくり頑丈に作ってあるようで、恐らく私が体当たりしてもびくともしないだろう。出入りできそうなのは城門だが、そちらは鉄の扉がしっかり降りて封鎖されている。


 破壊できない訳ではないだろうが、突破には手間がかかると思われた。


「ガルル……?」


 おかしい。守りはちゃんとしている。


 ただの火事とかボヤでないのは断言できる。なにせ、防壁の上に兵士の姿が見当たらない。これだけしっかりした守りがあるのに、見張りの兵士の姿がないのでは片手落ちだろう。見れば櫓のようなものだってある、外敵が街に侵入し、そちらへの対応に手いっぱいで人が足りない、といった状態なのは間違いない。


 何か街に異常が起きているはずなのに、外壁に損傷が見当たらない。


 そのロジックを示すのは一つ。


 街上空に目を向ける。


 黒々とした煙が、清水に滲む汚濁のように青空に舞い上がっている。その煙の向こうで、何か大きなものが蠢いている。一瞬だけそのシルエットを垣間見せた怪生物は、再び煙の根元へと降り立って姿を城壁の向こうへと隠してしまう。直後、赤い光と共に新たな煙が空に立ち昇り始めた。


 飛行可能な巨大生物。


 なるほど、それなら城壁を越えて直接街を襲撃する事も可能だ。


 それにちらりと見えたシルエット。かなりの大きさだ。スピノサウルスである私ほどではないが十二分に大きい。


 もしかしてプテラノドンか、それともケッツァコアトルか? だが翼竜はその構造上、羽ばたいて飛行する事はできないという。薄い皮膜を広げ、風にのってグライダーのように飛ぶというのが通説であり、私もそれが正しいと思う。現代にだって、似たような飛行方法を使うアホウドリとかが現存している。


 それに対し、いま垣間見えたシルエットは力強く羽ばたいていた。滑空というより飛翔であり、ハヤブサのように獲物を狙って地上に舞い降りる動きだった。


 明らかに私のもつ現実の生物知識から逸脱した存在である。


 推察するに、巨大な猛禽類のような生き物だとして。そう、仮に翼長15mを越えるハクトウワシだったとしよう。その巨体を瞬時に飛翔させ、羽ばたいて加速し、急降下しながら鋭い爪と嘴で襲ってくる。その一撃は、湖のザリガニの牙よりよほど鋭いだろう。


 そんなものが、果たして私の手に負えるのか?


 ……無理に決まっている。


 いくら肉体がスピノサウルスでも、その精神は貧弱な現代人だ。牙と爪を用いて、命の奪い合いをする事はあまりにも不得手だ。湖のザリガニ相手でも一手誤れば命はなかったのだ。今街を襲撃している怪物が、あのザリガニより弱いなどという事は恐らくあり得ない。


 引き返すべきだ。


 自分の命を大切にすべきである。ここで街を救うために命をかける義理はないし、引き返したとて誰も責めない。いや、むしろ助けに行った方が彼らの迷惑になるかもしれない。今の私は言葉の通じない巨大な怪物なのだ。善意が空回りしてろくでもない事になるなんて、創作の世界に限らずありふれた話だ。


 私は選ばれたヒーローなんかじゃない。どこにでもいて、何にも成れなかった、無価値な誰かに過ぎない。


 何かを成せるなんて、思い上がっちゃいけない。


 そう。理解っているのに。


「グルルルル……!」


 防壁に爪を立てて、一気に駆け上る。さすがに飛び越えるのは無理だが、這いあがるぐらいならなんとかできる高さだ。腹を壁の縁で擦りながらも、なんとか城壁によじ登る。


 見れば、予想通り兵士は慌てて街に引き返したらしい。弓矢やそれを収めていた樽が散乱し、人の姿はない。


 街に目をむける。


 城壁の中に広がる街並みは、思ったよりも文明レベルが高かった。緑や赤の屋根の随分と小さな家屋が、密集するように並んでいる。看板には見た事のない文字が描かれ、広がる道は石畳が敷き詰められギリギリ私が通れるぐらいには幅広かった。建物のほかには、つながっていない防壁がいくつか街の中に仕切りのように存在している。街を上から見ると、もしかして迷路のようになっているのだろうか。明らかに戦争を想定した作りに見える。


 私はそのあたりの歴史にはあまり詳しくないが、それでも中世レベルの中でも上澄みぐらいの文明水準というのは見て取れる。特に衛生観念がしっかりしているようで、汚物が道に転がっているという事はない。


 だからこそ、破壊された街並みは無残なものだった。


 いくつかの家屋が巨大な足で踏みつぶされたようにへしゃげ、あるいは鋭い爪で切り裂かれている。オープンテラスのテーブルには、二人分のカップが残されたままで、床にサラダやトーストがぶちまけられていた。生活の跡を色濃く残したまま誰もいないというのは、どこかぞっとする光景だ。


 と。


 バサバサという大きな羽音を耳にして、私は顔を上げた。


 燃え上がる家屋の向こう、何か巨大な生物が高度を下げて地面に降り立った。ズシン、という振動が私の元まで伝わってくる。


 大きい。そして重い。


 目を凝らしてその姿を確認する。襲撃者の概要を確認し、私は目を疑った。


「グルル……」


 街を襲った怪物は、全身が濃緑色の鱗に覆われた爬虫類系統の生物だった。ところどころ鱗が鋭い棘に変質しているのは、恐竜系統だとアンキロサウルスを思わせる。恐らく相当に肉体自体が頑強だろう。


 にもかかわらず、その前肢は巨大な翼と化していた。細く伸びた骨芯の間に皮膜が張られている、という点ではコウモリや翼竜のそれと同じだが、翼膜はやたらと分厚く、頑丈そうに見える。腕そのものも太く逞しく、まるでゴリラのように鱗の下で太い筋肉が張り詰めているのが見て取れた。軽量化が何より優先されるべき飛行生物にはあるまじき剛腕である。


 そして首はひょろりと長く、蛇のようだ。ここは一見翼竜に似ているが、その先に乗っている頭は顎が強靭に発達しており、ワニのようである。発達した牙はあきらかに獲物を骨までかみ砕くための用途であり、強い肉食性を思わせる。そして長い首のバランスを取るように、尻尾もまた長く、太ましい。それ空を飛ぶのに邪魔じゃないの? とさえ思う。その尻尾の先端は、棘が密集し瘤状に膨れ上がっており、アンキロサウルスの骨ハンマーを思わせた。こっちは棘が生えているのでモーニングスターか?


 総じて、飛行するにはあまりにも非現実的な体躯の怪物としかいいようがない。そして私は、その怪物の名前を知っている。人の想像が作り出した、空想上の化け物。


 飛竜。


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